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情報空間と重なり合うコミュニティの「結節点」
――せんだいメディアテーク |
渡辺保史 |
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この数年、建築界の期待を集め続けてきた伊東豊雄設計による公共文化施設「せんだいメディアテーク」(smt)がついに1月26日、オープンした。すでに建築やデザイン関連の雑誌でもこぞって取り上げ始めているが、ここでは「地域における情報文化施設の未来」という観点からこの場所のもつ意味を考えたい。
ケヤキ並木が続く仙台市内の定禅寺通りに面したsmtは、一見するとガラスの箱である。ランダムに配列され、微妙に曲がりくねったスチールパイプで構成された13本の「チューブ」状の柱――これは建物の構造であると同時に、屋上から太陽光を引き込み、エレベーターシャフト階段、各種の配線・配管といったインフラストラクチャも束ねている――が7層の薄い鋼板のスラブ(床板)を貫き、その周囲をガラスで覆うという非常に軽やかで透明性との高いデザイン。これが、smtの活動のコンセプトを強力に実体化していることは明白である。
smtが掲げている3つの「理念」――「最先端の知と文化を提供(サービス)」「端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)ヘ」「あらゆる障壁(バリア)からの自由」が具体的な事業活動に落とし込まれていく上で、この空間デザインは決定的に重要な意味をもっている。固定化された境界を排し、可動的・流動性の高い設備によって自在にその空間利用の形態を変えうること。そこで展開される多様な活動に参加したり、知識の編集や伝達のプロセスに関わる人々が互いの行為を見通すことができること、等々。
こうしたsmtの空間的な構造の特徴は、これから先の情報テクノロジーやその利用形態の変化にも柔軟に対応できる「メディアを収める棚」という基本的なコンセプト(メディアテークのテークとは、仏語で「棚」を意味する)を具体化しているばかりでなく、これまで「図書館」「美術館」あるいは「公民館」「学校」といった文化・教育施設が縛られて続けてきた「まずユニットありき」の発想からの自由をも意味している、といえるだろう。
実際、この場所を訪れてみるとまさに「何でもアリ」の敷居の低い雰囲気をどこでも感じることができる。取材に訪れたのは2月中旬であったが、オープン間もない土曜日ということもあり、館内はどのフロアも非常に多くの利用者でにぎわっていた。特に強く印象づけられたのは、どの利用者も思い思いのスタイルで利用していて、そうした多様なスタイルを許容できる懐の深さを空間がちゃんと受け持っている、ということである。
情報ブラウジングのスペースで子どもがビデオプロジェクターで壁面にアニメを投影しながら楽しんでいる傍で、大人が雑誌をめくっていたり、映像・情報機器が揃った7階スタジオで学生が黙々と勉強に打ち込んでいるかと思えば、下のギャラリーでは親子が「音の出る絵本」づくりのワークショップに参加し、別の場所では活版印刷機のデモがおこなわれている――言葉は悪いが、こうしたゴッタ煮状態は、今までの文化施設にはおよそ欠けていた、一種のバザール(市場)のような様相さえ感じさせるのである。
開館記念イベントとして5-6階にあるギャラリーで3月20日まで行われている「メッセージ/ことばの扉をひらく」という展示も、そうしたバザール的な雰囲気の色濃い企画となっていた。展示は内容別に「メッセージの博物誌」と「記憶の扉」という2つのサブテーマにわかれており、前者では歴史と風俗のなかに潜在してきた様々なメッセージを詰め込んだモノ(すごろく、牛乳瓶のふた、鉛筆、真空管ラジオ、仙台市内でボランティアスタッフたちが収集してきた市民の声…)が陳列され、後者では藤幡正樹の「Beyond Pages」やエキソニモの「DISCORDER(Installation version)、高谷史郎「front frames」などのメディアアート群が集められた。
先に示したようなsmtのコンセプトを強烈にメッセージングするという意味で、この展示はいい意味で「啓蒙的」な内容だったといえよう。たとえば、アナログとデジタル、歴史と現在、ローカル(仙台)とグローバルといった境界(分断)を越えて、そこに融合や横断の軸を発見していくことは、smtが標榜している「あらゆる障壁(バリア)からの自由」というコンセプトそのものといえる。施設内のバリアフリーデザインのみならず、メディアや言語、文化のなかにかくされた様々な障壁をのりこえていくという姿勢は、いわゆる「デジタルディバイド」のような皮相な問題設定の先を見据えているようで、これからの具体的な活動に期待がかかる。
smtが真価を問われるのはこれからであることは言うまでもない。目新しさの段階を過ぎて、市民の情報文化活動の結節点として有効に機能していくためには、まさに前述の「あらゆる障壁(バリア)からの自由」という方向性が徹底して模索されていくべきだろう。
施設が開館する以前から、smtの開設準備室では市民参加型のワークショップやイベントなどを多数開催し、今後もそうした試みが展開されていくことは間違いないだろうが、運営者と参加者などという障壁を越えた、ある種の「コミュニティ」がsmtを起点に立ち上がっていくような状況まで発展していくとすれば非常に興味深い。それはソーシャル・デザインの実験とでもいうべきものであり、そうなって初めて、この透明度と自由度の高い建物が持つ本当の意味が人々に理解され共有されることになるのかもしれない。
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