1990年代の初頭、華々しくその可能性を顕示していたヴァーチュアル・リアリティ(VR)の技術。初期のVRシステムの、ヘッド・マウンテッド・ディスプレイ(HMD)にデータグローブというSF的な道具立ては、今までとは全く違った未来的情報環境の到来を多くの人々に強烈にメッセージした。
その後、VRのブーム的な熱狂は一段落したが、研究開発とその社会的な実装は着実に進んできた。当初のHMD+データグローブという“典型的”なシステムから、CAVE(ケイヴ)と呼ばれる複数人が同時に体験できる大型の没入型環境へ、あるいは実空間を情報的に補完するオーグメンテッド・リアリティ(AR:拡張現実感)へ、さらには民生用の安価な(しかし十分なレゾリューションを備えた)HMD製品などへと多様に進化し、その応用分野も産業用シミュレーションからパーソナル・エンタテインメントにいたるまで、幅を広げつつある。
3月中旬、パシフィコ横浜で開かれたMRプロジェクト研究成果発表会「
MiRai-01(みらいゼロワン)」は、こうしたVR技術の進化が実世界との融合という新しいフェーズへと突入していることを強く印象づける、興味深い場であった。ここでは、従来のVRが指向していたヴァーチュアルな情報空間への完全な「没入」ではなく、情報空間と実空間とのリアルタイムの重合・融合によって作りだされる、新たなリアリティの創造への試みが各所で始まっていることを確認することができた。
MRプロジェクトは、旧郵政・通産両省共管の基盤技術研究促進センターとキヤノンが共同で「
エム・アール・システム研究所」を立ち上げ、そこに東大、北大、筑波大がバックアップするかたちの時限プロジェクト(1997年から2001年まで)として展開。今回の発表会はその集大成と位置づけられる。
今回、動態展示されたのは10を超すシステムやアート作品。特に来場者の大きな関心を浴びていたものをいくつか取り上げよう。「
今そこにあるMRカー」は、ドイツのアート&テクノロジー研究機関
ART+COMとMRシステム研の共同開発によるもの。ビデオシースルー型のHMDを装着すると、何もない空間に高精度のCGで描画された実寸のメルセデス・ベンツの乗用車が現われ、その周りを歩き廻ったりドアを開けて「実物」のシートに座って内部を確認する、といったことが可能になる。言うまでもなく、企業が製品開発の各段階におけるシミュレーション、プレゼンテーションに応用することを狙ったシステムであるばかりでなく、「実際には存在しないモノを、フィジカルな世界に重ね合わせて体験できるようにする」という意味で、物理的な空間の制約に依存しないヴァーチュアル・ミュージアムの展示システムにも有望だろう。
ウェアラブル・コンピュータを装着し、屋外の実空間を移動しながらMRを体験する「
TOWNWEAR」では、実際の風景に仮想の建造物を映し込み、ヴァーチュアルとリアルとがシームレスに融合した世界に身を浸すことになる。現在の技術ではバックパックを背負い、ヘルメット型のHMDを被るという重装備だが、小型軽量化が進み、次世代携帯電話などの無線アクセスやGPSとの連動が実現していけば、自分が歩く街そのものがミュージアムになったり、エンターテインメント空間に変容していくということも可能になる。
MRを映画撮影に応用することを想定した「
2001年MR空間の旅」では、俳優がビデオシースルー型のHMDをかけ、CGキャラクターを視認しながらの演技リハーサルを行うことができる。これまで実写とCGを融合した映像表現はポストプロダクションに多大な手間と時間を要していたが、描画処理能力の驚異的な進歩によってそれが実時間レベルでも可能になりつつあることが具体的に示されたわけである。
このMRプロジェクトには、岩井俊雄らのメディアアーティストも参加し、会場にはいくつかのMRアート作品が出展された。
IAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)の学生だった村上泰介による「
Contact Water」は、ビデオシースルーHMDをかけた複数の参加者が、自分の手のひらに現れる水棲生物たちと戯れ、他の参加者とその生物を交換しあうというインタラクティヴ作品。ヴァーチュアルなキャラクターを媒介役にしたコミュニケーションの環境をつくる――というコンセプトには、あの大人気メールソフト「ポストペット」にも通じるような"fun to communicate"の感覚がMRによって増幅、拡張されていく可能性を読み取ることができる。
また、岩井俊雄は「
SOUND-EYE」「
SOUND-LENS」「
Floating Music」という3作品を発表。ここでは、音と映像とが相互触発することで生まれる世界体験のデザインという試みが、MRの技術によって実現されている。たとえば、ビデオシースルーHMDとヘッドフォンを装着した体験者がカラフルな図形が描かれた空間を眺め回し、その視界に現れる色情報が音楽へと変換され、視界の変化によって音がダイナミックに変容していく「SOUND-EYE」は、体験者の「見ること」が音のへと転換され、そこに情報世界を立ち上げていくというユニークな試みである。
ウォークマン型の端末を持ち歩き、光のある場所を探索しながら我々が知覚できない光の明滅や明るさの変化を音として体験していく「SOUND-LENS」も素晴らしい。光に満ちた空間の中で音を探索して歩くという、不思議でアフォーダンスに満ちた体験が味わうことができた。
今回行われた成果発表会でMRプロジェクトは幕を閉じ、以後の研究開発はキヤノンが継承してビデオシースルーHMDの実用化などさらなる技術の向上が続けられることになるという。MRによって切り開かれる、デジタルとフィジカルとが重なり合った世界の創造、その可能性が今まさに垣間見えてきたのである。