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「ユビキタス」への長い道
――「情報技術のあけぼの」から「Everything over IP」へ
渡辺保史

 6月3日まで、東京・上野の国立科学博物館で珍しい展覧会が開かれていたのをご存知だろうか。『情報技術のあけぼの――「情報世紀」の主役たち』と題されたこの展覧会、文字通り今日のITの礎となった歴史的発明がほぼ時間的な順序に従って展示され、その一部は動態展示されるという、滅多にお目にかかれない代物に出会える知的刺激に満ちた企画だったといえるだろう。
 まだ増築途上の科博新館の地下深くに設けられた展示会場は、大きくわけて4つのゾーンで構成され、一巡することで情報技術の歴史を俯瞰することができるようになっていた。
 第一のゾーン「情報通信技術のあけぼの」では、平賀源内が発明した日本初の電気装置・エレキテルに始まり、初期の電信の送受信装置、電話機、交換機、あるいは無線技術といったテレコミュニケーションの原点ともいうべき技術が紹介され、第二の「画像を送る」では、昭和天皇の即位式を速報した写真電送装置(ファクシミリの原型)や、テレビの実用化に先鞭をつけた高柳健次郎による「イ」の文字を表示したブラウン管式の受像機などが展示された。

 そして第三の「コンピュータの登場」では、数学者パスカルや哲学者ライプニッツによる計算機からヴァネヴァー・ブッシュの発明によるアナログ計算機(微分解析機)、IBM社の基礎を築いたホレリスによるパンチカード・システムといった“前史”に続き、日本初の真空管式電子計算機であるFUJIC(これは富士写真フィルムがレンズの設計のために開発した)や旧国鉄の座席予約システム・MARS101など、創成期のコンピュータ群が静かにその存在感を主張していた。さらに第四の「情報技術の縁の下、演算素子と記憶素子」には、エジソンの蓄音機やリレー式の「電気」計算機、コアメモリーと呼ばれる磁性記憶素子などが並んだ。

 19世紀から20世紀の情報メディア史を語る上で見逃すことのできない、これら発明品の数々は、私たちにかすかなノスタルジーを喚起させるとともに、それとは別の、不可思議な感慨を抱かせずにはいられなかった。まるで手の込んだ工芸品のようなフォルムを持つ初期の電信装置。重厚なキャビネットの中に歯車とワイヤーを収め、あたかも現代アートのオブジェを思わせるケルビン式潮候推算機(潮位を予測するために発明された計算機械)。1700本の真空管がビッシリと配列され、その裏で無数の配線がのたうつFUJICのメタリックでメカニカルな物量感....。こうした、今ではとうに使命を終えたテクノロジーが持つ「モノ」としての存在感は、私たちの身の回りで今やメディアテクノロジーが「ユビキタス」(遍在)化し、ほとんど透明化してしまったことを逆に浮き彫りにする。

 もはや、電子メールやケータイがない頃のことさえ想起できないほど、私たちの身体は急激に進行する情報テクノロジーの革新の流れに呑み込まれてしまっている。そこに、まるでエアポケットのように現れた「旧い」テクノロジーたちは、この一世紀半ほどの間に私たちの社会が不可逆的な変容――メディアによる世界認識と意識の変容――に直面してきたことを否応なしに物語っていたのではないだろうか。ひっそりとした会場の中で、真空管やパラメトロンで構成された「巨大な」情報機械と、ふだん持ち歩いているちっぽけなPDAとを見比べながら、そんなことを感じた。
 では、過去から現在へと続いたこの先には、一体何が待ち受けているのか? さきほど述べた「ユビキタス」は一つのキーワードだが、具体的にこうした情報環境がどんな未来をもたらすのかを、イマジネーションを働かせながら見据えていくこと。私たちに求められているのは、そんな「未来のデザイン」というべきポジティブなスタンスなのではないか。

 5月22日、京都文化学術研究都市(学研都市)で開かれた「IT革命の向こうへ <すべてがつながる>社会をどうデザインするか?」と題したシンポジウムは、まさにポジティブな方向性を強く打ち出す議論の場として企画され、多くの参加者を集めていた。

 生活環境のいたるところにIP(インターネット・プロトコル)が実装されるユビキタスな環境=「Everything over IP」をテーマとしたこのシンポジウムの詳細については、すでに別の媒体でもレポートしているが、残念なことに、プログラムの中で最も期待の高かったパネルディスカッションに関しては、インターフェイス・デザインから建築、コミュニティ活動といった分野の第一線で活躍する異分野の人々をオーガナイズし、それぞれに興味深いプレゼンテーションがなされたものの、「未来をデザインする」ことのエキサイティングな側面や困難に関する議論はほとんど消化不足というのが実情だった。その意味で、このシンポが発した「<すべてがつながる>社会をどうデザインするか?」という問いは、これから真に討議されるべき性質のものといえる。

 空間がすべて情報のインターフェイスとなる全く新しい情報環境や、数十人の研究者が一度にあらゆるメディアのリソースをブラウズしながら協同作業をおこなえるオフィス、地域コミュニティの活動を補完するためにブロードバンドの回線を誘致するNPO....。こうした、それぞれの先鋭的な「現場」を横断しながらコーディネートし、技術と環境、さらには人々のアクティビティのもつ潜在力を引き出し、未来の可能性をビジュアライズしていくこと――もしも、これからのアートやデザインに新たな社会的な意味を付け加えるとするなら、このような「統合」あるいは「融合」の美を実現するミッションをも射程に収めていくべきなのかもしれない。

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