「アート」と「カフェ」――この二つの普通名詞の結び付きが連想させるものといえば、かつては相場が決まっていた。海野弘の『カフェの文化史』ではないが、貧しいアーティストがコーヒーや紅茶をすすりながら夢を語りあい、また激論を戦わせるといったロマンチックにしてステレオタイプなそのイメージは、古くは「シャノワール」や「洗濯船」、比較的最近でも「ドゥ・マゴ」や「フロール」といった特権的なカフェの名前と強く結びついていた。ところが、最近になってそうした旧来のイメージは少しずつ更新されつつある。90年代後半以降の傾向なのだが、「アートカフェ」と呼ばれる動向が国際的に台頭し、多くのアーティストがこの新しいカフェの形態に高い関心を示しているのだ。「アートカフェ」といっても、もちろんそれは従来のようにアート談義に花を咲かせるカフェや美術館に併設されているカフェのことではない。一口にその定義は難しいのだが、大枠としては既存の美術館やギャラリーの外部にあって、アーティストが新しい表現活動に取り組む「場所」の総称、とでも言えようか。もちろん、アーティストによってカフェの捉え方、カフェを通じての試行錯誤もまた様々であり、ここでは何人かのアーティストのカフェ活動にスポットを当て、その相似と相違を検討してみたい。
上に略述した広義のカフェの定義に照らし合わせれば、以前にもこのスペースで紹介したことのあるコマンドNはその好例と言えるだろう。秋葉原を拠点とするこの類例のないスペースは、アーティストやプロデューサーなど様々な立場からアートに関わっている人々の情報発信基地であり、「秋葉原TV」などの展覧会をはじめ、講演会やレクチャーなど様々な催しを定期的に開催している。 そのメンバーの一人でもある中村政人もまた、カフェを彷彿とさせる活動に取り組むアーティストである。
写真=中村政人「眠れる森の美術」展
作品展示風景
上野の森美術館
撮影:渡辺肇
|
コミュニケーションが「アートカフェ」の重要な一機能であることは確かでしょうけど、ただそれなら「アートカフェ」である必要も、そうした空間を「アートカフェ」と呼ぶ必然性もない。私の場合も、コマンドnをはじめとする自分の活動を「アートカフェ」と呼ぶのには抵抗があります。アーティストがカフェを開く以上、それは作品としての精度が求められるべきだし、その点で日本の「アートカフェ」は、欧米諸国のそれに対して成熟度がまだまだ足りないと思います。
都市空間を舞台にコミュニケーションのあり方を問う作品を発表してきたそのキャリアからは意外とも思われるのだが、かつて中村は「アートカフェ」をただの一度、それも美術館からの求めに応じた形でしか開いたことがなく、今後も当面予定していないという。ただもちろん、上のコメントからもわかる通り、その事実のみをとらえて中村が「アートカフェ」に無関心であると決めつけるのは明らかに早計だ。その証拠に、中村は作品としての高い精度を誇る「アートカフェ」として、その草分けともいうべき小山田徹のカフェを一つの基準として高く評価する一方で、筆者に対しても「アートカフェ」の作品としての評価をないがしろにするなと釘を刺すことを忘れなかった。「アートカフェ」がもてはやされる以前から、現在ならカフェに括られるであろう活動に取り組んできた中村の姿勢からは、最近の流行とは一線を画しつつも、今後も都市空間を舞台とした問題提起を提起していこうとする意向がはっきりとうかがわれる。
一方で、中村よりも若干年少のアーティスト小沢剛は、最近の「アートカフェ」ブームを絶好の好機ととらえ、より積極的に加担していくスタンスを取っている一人だ。小沢もまた、「地蔵」や「なすび画廊」など、既存の美術館・ギャラリーの外部での活動を重視してきたアーティストであるが、彼が「アートカフェ」に取り組むようになった経緯にはコミュニケーションの問題が大きく関与しているという。
写真上=小沢剛 「GAME OVER」展
写真下=小沢剛「相談芸術カフェ」
ワタリウム美術館
|
6ヶ月にわたってカフェを開いたことがあるのですが、その間アンケートに応じて三週間に一度のペースで改装を繰り返した結果、空間の雰囲気が最初の頃とは随分と変わってしまいました。最初は、できるだけ自分の趣味を排除して、というが逆にそれが僕の趣味なのかもしれませんが、ごく普通の街の喫茶店のようなスタイルの内装からスタートしたんですけど、終わりの頃には全然違う空間になっていました。
「GAME OVER」展にて自ら催していた「アートカフェ」の様子を、小沢はこのように説明した。この説明からうかがわれるのは、小沢がまず第一に観客とのコミュニケーションを重視していることであり、事実会期中には、ある観客の求めに応じて「美術館の所蔵作品中一番高価な」自作がカフェ内に展示されたこともあったという。もちろん、観客とのコミュニケーションを重視するといっても、その「場所」であるカフェが直ちに新しい表現行為の起点となったり、また自分の制作活動へのインスピレーションとなったりするわけではなく、その成果はある程度のスパンで俯瞰する必要があるだろう。最近は海外での評価も高まっている小沢だが、彼は目下自分の制作活動を「アートカフェ」と関連付けて考えており、また同世代の他のアティストのカフェにも絶えず関心を払っているそうだ。作品はもちろん、その「アートカフェ」の海外での展開にも要注目だ。
さて、今までの書き方では「アートカフェ」が何やら「ストリート系」の若いアーティストの専有物のようにも思われてくるが、さにあらず、彼らとは異質なもう少し年長のアーティストの中にも、カフェに高い関心を寄せている者がいる。昨年度のヴェネツィア・ビエンナーレで日本館の代表作家として「メガデス」を出品した宮島達男がその一人だと言えば、やはり意外に思われるのだろうか。案の定、会期終了間際に訪れる機会のあった宮島の「Counter Cafe」展は、彼が以前から取り組んでいる発光ダイオードのカウンターによって彩られた展覧会であった。暗く閉ざされた空間の中には、そのまま投射画面ともなっている5台の大型テーブルが設置され、天井から吊されたプロジェクターによって、そのテーブル=画面上にはデジタルのカウンターが点灯してはスライドしていく。観客は、そのテーブルでカフェを楽しむ趣向となっているのだ。
テーブルの上にソーサーやカップを置くと、当然凸凹ができますから、その凸凹にカウンターの光が写り込むのも今までの展示とは違って面白いんじゃないかと思ったんです。ただ誤解して欲しくないのは、私の場合はあくまでも作品が主であること、順序の問題としては、観客の方々には、お茶を飲みに行ったらアートを見ることができたというのではなく、作品を見に行ったらお茶が飲めた、という形で受容して欲しかったから、ギャラリーという空間でカフェを開くことにこだわったんです。
写真=「宮島達男 COUNTER CAFE」展
ベネッセ・コミュニケーション・ギャラリー
2000 4/26―7/2(日)
|
周知のように、宮島のカウンター作品からは「ゼロ」が排除されている。この排除は、しばしば作家の仏教的世界観と結びつけて語られ、ために観客の間には、宮島作品はしんとした暗がりの中で、孤独に鑑賞するものだ、という先入観が広く共有され ている。してみると、瞑想を誘うかのようなその作品と、飲食によるコミュニケーションを前提とした「アートカフェ」との出会いは何とも唐突に思われるかもしれない。しかし宮島が既に評価の確立したカウンターの反復に満足せず、「柿の木プロジェクト」のような「メガデス」とは対極に位置するプロジェクトにも力を傾けていることを考えれば、両者の出会いは決して意外なものではない。筆者が会場を訪れた当日は単身で話し相手もなく、しかも会場側の都合で飲食が禁じられていたため、カフェ を堪能することは適わなかったのだが、それにしてもこの「Counter Cafe」展からは 十分な刺激を感じ取ることができた。
このように、今回取り上げた三人のアーティストに限っても、「アートカフェ」の捉え方やそのアプローチの仕方は三者三様である。仮に百人のアーティストに「アートカフェ」とは何かを問えば、百通りの答えが返ってくることだろう。それにしても 、以前なら「環境芸術」や「インタラクティヴ・アート」といった形で提起されていたコミュニケーションの問題が、現在「アートカフェ」という形式によって問われているのは、筆者の見るところ、アートと都市空間の関係が大きく左右している。このことは、多くのアーティストは今、「パブリック」と「プライヴェート」の境界を再考することによって、新たな創造に乗り出そうとしているのだと言いかえてもよい。今回唯一実見する機会のあった宮島の「Counter Cafe」が、まさに作品としての高い精度を実現した「アートカフェ」であったために、筆者はこの新たな「場所」から生まれるアートに密かな期待を抱いたのである。
|