夜11時を回ったので、ホテルに戻ろうとすると、われわれの進む方向とは全く逆の、入口の方から大量の人がやってくる。エクスポ会場内には朝までやっている、バーやディスコがあるので、それを訪れるという人々にちがいない。万博のチケットにも午後3時以降、午後6時以降というディスカウントチケットがあり、そういったコンサート、イヴェントを目的に来るひとびともいるのだろう。エクスポに何を見に来るかはひとそれぞれ自由なのだが、が、なにはともあれ、それぞれのパヴィリオンの空間と内容、それが揃ってひとつのメッセージを伝えているものがあまりないのにはすこしがっかりした。多くのパヴィリオンで用いられていた展示での、映像という方法も、テレビやビデオなど、すでに毎日うんざりするほどの映像を見ている我々の目には、あまり新鮮に写らなくなっているのかもしれない。月の石を見せろ!とはいわないが、外国旅行が簡単にできる時代でも、180の国が一遍に集まるのだがら、そこでなにか見えてくるものが欲しい。多くがどうもイメージばかりでつかみ所がない。そのなかでは、唯一食事の部分だけはいきいきとしている。
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食事は他のひとに食べてもらうわけにはいかない。それは素材そのものを食べるという食事の形式が、メッセージや文化を直接的に伝えるスタイルであるためだとはいえないだろうか。だからそれぞれの国の環境技術の具体的な取り組みをもっと直接的にみせるものがあったり、あるいは万博会場内では全くエネルギーを使わないようにする、ゴミでなんでもつくるといった全体テーマをもったり、ちょっと強引な仮説でもあると、環境という抽象的なテーマに対しても、もっと具体的にみえてくる新しい回答があったのかもしれないと思う。建築なら、一つ一つのパヴィリオンをとても小さくするとか、いろいろなパヴィリオンがもっと独立して建つのではなく複合して建つことで、国どうしのパヴィリオンがまじってしまうとか。そうなるとそれぞれの国が別々にそれぞれの文化を紹介するという形式も、もはやかわってくるかもしれない。あれほどに一堂にいろいろな国やひとが集まる場所というものもない。だからこそその可能性を新しいヴィジョンとしてみてみたいと思っている。
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