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特集=万国博覧会
椿昇
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そのような状況下。ブロイエルが万国博覧会で環境問題を取り上げたという事実が重い意味を帯びる。もし万博が、旧態依然とした観光誘致と物産展という枠組みから逃れることが出来なければ、関係者が危惧するとおり中途半端で壮大なテーマパークへと一気に下降した可能性がある。オリンピックと同じ世界規模の催しとはいえ、万国博覧会という生命体は収益という利害から開放された時にはじめてその真価を発揮するのではないだろうか。もちろん税金を使って巨額の赤字を計上することは論外だが、未来の博覧会に70年万博のように450億円も収益を挙げることを期待する必要はない。科学とテクノロジーをいかに人々の幸福のために動員するか、それらは企業や国家が収益というリスクから逃れたある種の高潔さにおいて行われるべきなのである。
私がアーティストとして常に興味を惹かれているのが中間領域の不思議さである。特に日本文化に特徴的なことは中間領域における自由な振る舞いであって、形而上的な堅いものでも感覚的なものでもない。大自然でも都市でもなく集落の周縁部分に存在する二次自然としての棚田を美しくなじませる才能なのである。そう考えると大上段に振りかぶった哲学やイデオロギーはこの国の風土に馴染むはずはなく、常に過渡的なものをしなやかに生み出す茶目っ気たっぷりな仕草にこそ我々が存在するのであ
る。胸を張って、物まねだとかオリジナリティーとか古色蒼然たる議論を吹きかけて来る連中に、ハイブリッドなものこそ日本のお家芸であると宣言(企業も官僚もここの説明があまり上手とは言えない)すればよいのではないか。
フィンランド館 . リサイクルパビリオン
クールなパビリオン
内部に完璧な北欧の自然を愛情を持って作り上げたフィンランド館。ほんとうに自然を大切にしていることがそこここに現れて好感を持った。
▼伊東豊雄のヒーリング空間
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▲ZELI の竹のみを使
リサイクルパビリオン。



▼ZKMの不思議なロボット空間

ヒーリング空間 . ZKM
オランダ館
.▲デザイン的なものに流されディティール
. が完全に抜け落ち粗雑なオランダ館

        
いわゆるハイブリッドカー・プリウスは、このコンセプトを裏付ける象徴的な存在であった。いきなり水素エンジンを開発するという遠大な道を選ぶのもいいが、しなやかに昇りはエンジンで下りは電気と考えて実際に購入可能な製品を生み出すことによって日々悪化する大気の状況に待ったをかけた姿勢に敬意を持った。とんでもない未来が来るまでは、実験室の置物かルーカスのフィルムの表層を移動するものと考えていたロボットが、いきなりAIBOとして市場に登場した衝撃はいまだ記憶に新しい。歴史をたどればウオークマンがいかに音楽の喜びを世界の若者に伝えたか、その意味でトップダウン型文化ではない脅威の民生品を主軸に組み上げるボトムアップ日本館を夢に描いた。開発期間が間に合わず見送ったが、内部の空調やシステムを動かすのも壁に嵌め込まれた何台ものPS2であり、案内嬢はドイツ人スタッフではなくAIBOのコンパニオン。二層構造の入ったところがいきなり巨大なハイブリッドライスの棚田農場で、階下の巨大回転寿司レストランから排出される人々の呼気が稲を生育させる。VIPの送迎はスケルトンのプリウス。このような思い切りのよい展示が成立したらこの国は一気に明るくなると思ったのだが・・・山積する諸問題の前に「思い切りのよさ」は次の博覧会へと先送りせねばならなかった。
紙面が尽きたが、いくつかすばらしいチャレンジがあったので紹介したい。まず建築家ペーター・ズムトーの使用前の木材を手付かずで組み上げたスイス館。シモン・フェレスが設計した古竹で作られたゼロ・エミッション・リサーチ・イニシアチブ館。包装材リサイクルの分野で成功した廃棄物処理専門会社デュアル・システム・ドイチュラント社のパビリオン。また、建築を作らずメッセ会場をそのまま使用したプロジェクトからは、100機以上の大小さまざまな半球状ロボットが人間を感知して静かにうごめくZKMの作品。人工池の周囲を半円形に取り囲む無数の安楽椅子が静かにゆらめく伊東豊雄のヒーリングシステム。労働のワールドシアターにおいてジャン・ヌーベルが振り付けを行った緊張感のあるパフォーマンスも印象に残る。

[つはき のぼる アーティスト]

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