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特集=アート・キャラクター
森川嘉一郎
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キャラクターと都市
秋葉原フロア図版
▲秋葉原駅のフロアに出現したアニメビデオの広告
秋葉原ファサード図版
▲秋葉原のコンピュータ店のファサードを覆うゲームの広告
美少女ゲームビラ
同人誌マンガビラ
▲最近の秋葉原で多く見受けられる立て看板のスタイル。
フィギュアと美少女ゲームのビラ(上)、ならびに同人漫画誌のビラ(下)でそれぞれ覆われてい る。
キャラクター立国
「キャラクター・ビジネス」というタームに象徴されるように、現在キャラクター関連メディアは産業的に大変な注目を世界的に集めている。中でも熱心な韓国では、アニメーションやゲームを未来指向高付加価値文化商品・輸出戦略型基幹産業として21世紀における国の産業の柱の一つに位置づけ、アニメ漫画産業ならびにゲーム産業の育成を目的にした「ソウルアニメーションセンター」と「ゲーム総合支援センター」をそれぞれ昨1999年の5月と7月に鳴り物入りで開館させている。同時に人材育成もはかるべく、政府はいくつもの大学にアニメーション学科を設置させたほか、昨年・今年とで計1000億ウォン(約100億円)の助成金をアニメやゲームの製作に対して支出している。同様な動きはインドネシアやインドでも目立ってきており、戦後日本が国策的に重工業や自動車などの輸出産業を支援してきたのと同様なことが、アジア諸国を中心にキャラクター産業で行われつつある。
輸出産業としてアニメやゲームが注視されているされる背景には、IT革命後はいわゆるコンテンツが産業の要になるという常識的な予測と同時に、言うまでもなく日本というモデルが存在している。とりわけ米国でも記録的な興収を叩き出した、ポケモンの世界的ブームの影響は極めて大きかったようである。実際日本は世界に冠たるキャラクター産業国であり、韓国政府が行った調査によると、世界で見られているアニメの7割弱、ゲームに至っては9割が日本のものだというデータが出ている。

ノード化するキャラクター・ショップ
では、そうした産業的な開拓のとともに、キャラクター関連メディアというのはどのような文化的な影響をもたらしていくのか。日本はこの側面においても大きな参照源である。日本の文化的特質とキャラクター関連メディアとの親和性については、すでに鳥獣戯画にまで遡って多くの指摘や考察が加えられているが、ここではキャラクターを巡って現在東京で起こっている一つの興味深い現象について焦点をあてたい。その現象とは、秋葉原へのキャラクター関連商品の異様な集中である。漫画・アニメ・ゲーム関連の同人漫画誌、コスプレ用衣類、ガレージキット、フィギュア、ドールなど、それまでは渋谷や吉祥寺といった、いわゆる「若者の街」に潜むように点在していたそういう類の商品の専門店が、特に97年あたりから急激に秋葉原に移転し始め、現在も続々と開店しているのである。よく足を運ぶ人なら、何を今さらと思うかもしれない。しかしここで留意すべきなのは、こうした変化が国や自治体の政策として行われたり、あるいはデヴェロッパーや電鉄系資本によって主導された訳ではなく、ほぼ自然発生的に起こっているということである。都市論的に見れば、これは極めて新しい現象なのである。それまでの都市形成の枠組みだけでは説明しがたいことがそこで、起こっているからである。

秋葉原の特異性
そもそも秋葉原になぜ電気街ができたのかというと、二つ大きい要因があった。一つは終戦直後、近くに位置する電機工業専門学校(現在の東京電機大学)の学生がラジオの組み立て販売のアルバイトを大ヒットさせ、部品を供給する電器関係の露天商がそこに集まったこと。後にGHQが露店整理令を施行し、そうした闇市がさらにガード下に凝集せしめられることによって、現在の駅周辺の部品商区画が形成されたのである。
もう一つの要因は、戦前から店を構えていた廣瀬商会が地方にネットワークを持っており、遠方から仕入れに来る小売業者や二次卸し店でにぎわったこと。結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点だったということもあって、一般客も集まるようになっていった。そしてその後は「三種の神器」(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)に代表される戦後の家電ブームに後押しされて、今の秋葉原に成長したのである。これらのもともとの要因は、いずれも流通や行政、権力の布置や歴史的な区域階層(山手/下町)といった、これまで都市を枠づけてきた古典的ともいえる諸構造に還元できる。しかしその電気街に業種も流通経路も無関係な同人誌やフィギュアの需要が集中するという現象は、そう単純には説明できない。それは、「パソコン愛好家は同人誌やフィギュアも好きな人が多い」という、社会階層とも権力構造とも関係の薄い、個人の趣味レベルの人格類型的な分布構造に依拠しているのである。そしてこの点こそが交遊や買い物のために郊外から訪れる若年層が集中し、またそこに電鉄系の資本が注入されて形成されてきた、これまでの「若者の街」とも質的に異なる点なのである。

人格類型による都市風景の形成――渋谷と秋葉原
さらに細やかに秋葉原に集中しているキャラクター商品群を見渡してみると、そこには強い偏りがあることに気付く。すなわち同人誌にしてもアニメにしても、いずれもアニメ絵を主体とした、日本産的特質を色濃く帯びたものがほとんどなのである。ディズニー関連やスヌーピーといった輸入物のキャラクターは全くと言っていいほど見受けられない。小型電気製品やゲーム機といった諸々の商品を見ても、むしろ日本が文化的に他国へ輸出している類のものでほとんど固められているのである。実写の看板やポスターに関しても、他の街より秋葉原は日本人のアイドルのものの割合が高い。秋葉原のネオンが日の丸のごとく赤と白が多いのは、象徴的である。日本をキャラクター大国に押し上げた特有の趣味的傾向が、ここでは国粋主義的な趣さえ帯びるほどに濃縮されつつあるのである。
転じて例えば皇居を挟んで山手線のちょうど反対側に位置する渋谷を見てみると、白人や外国の風景のポスターが圧倒的に多く、また海外のブランドの店舗が増加傾向にある。秋葉原とはちょうど逆方向に尖鋭化しつつあるのである。そしてそこではコギャルのファッションに端的に現れているように、自らキャラ化する演技的傾向の人格類型によって街が形成され、商店のファサードはそんな彼女らがショッピング行為を外に対して演技できるよう、どんどん透明化している。客がより多くの商品に囲まれるように窓の面積を最小限に抑えるようになってきている秋葉原とは、まさに対照的である。
秋葉原に繁く通う人たちと渋谷にむしろ行く人たちとでは、いずれもコミュニケーションにキャラクターを介在させる度合いを高めつつも、その方法がまるで違うのである。秋葉原のオタクたちが外界を遮断してフェティシスティックに対象としてのキャラに移入するのに対し、渋谷のコギャルたちは自らを粉飾してナルシスティックにキャラになる。かつてなら些末的ともいえたそのような違いが、都市風景を形成する構造の一つにまで浮上しつつある。日本中の都市が固有性を失い、均質化する中、秋葉原と渋谷ではキャラクターに対する態度の尖鋭化が都市風景に反映され出すにともなって、その流れに逆行するかのように新たな固有性を獲得しつつある。
こうした現象が局地的なものにとどまるのか、それともキャラクター産業とともに各国に飛び火していくのか。秋葉原のさらなる変化とともに、今後も見てゆきたい。

[もりかわかいちろう 建築学/意匠論]

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