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舞台1999-2000
ダンサー主義で行こう

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1999年ダンス、私的10大トピックス(順位、ベスト/ワースト的評価はナシ)

W・フォーサイス&フランクフルト・バレエ団の公演
P・バウシュブッパタール舞踊団の公演
井手茂太(イデビアン)、世田谷パブリックシアター夏休み子供劇場『コッペリア』を振付
岩下徹9年振りにソロ作品 『リーベ』 を改訂再演
京都の新スペース 「アートコンプレックス1928」のこけら落としにコンドルズ(東京)
黒沢美香、初のソロ公演 『薔薇の人――覗く』
山崎広太、ソロ・パフォーマンスで河内音頭と共演
勅使川原三郎、オペラ 『トゥーランドット』 演出・振付・美術・衣裳・照明
テレビ朝日『8時だJ』で、オヤジ組ダンス・バトル(注:シロートのオヤジ達がジャニーズJr.のお子様たちにダンスを教わり勝抜きに臨む企画。パパイヤ鈴木率いるオヤジダンサーズとは別モノ)
桜井圭介、“これもダンスだ否これがダンスだ”的パフォーマンス 『alt.』(演出:小浜正寛)にスーパーバイザーとして参加

 

黒沢美香ソロ・ダンス
黒沢美香 ソロ・ダンス『薔薇の人――覗く』
写真:飯島篤

 1999年のダンス界は、もちろんフォーサイスの超速な「進化」とバウシュの漸進的な「退行(回帰)」は特記すべきことではあるが、全く未体験の衝撃とか驚きといったものはなかった。海外からはほかにもラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス、 P・ドゥクフレ、イリ・キリアン、などもあったが、いずれも特記すべきものはなにもない。いや、東京国際演劇祭のダンスについては、どうしたらあのレベルのカンパニーの選択ということになるのか驚きである。芝居ではブルック親子だというのに。しかし、ようするに世界的なダンスの水準自体が「あのレベル」ということなのだろう。
 すると人が今日ダンスに求める基準とは何か、ということになる。例えばフォーサイスを評価する人が同時にキリアンやラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスをも評価出来ることを(個人的には信じられないのだが)説明するとすれば、バレエのテクニックを使ってコンテンポラリーな装いの作品を作るから、という感じだろうか。そこにはクラシシズム、様式美、ヴィルトージティ、をつい歓迎してしまうという退行的な病理がある。さらに言えばフォーサイスにあってその他に決定的に欠落していると思われるものは「運動性(の強度)」であるから、人はダンスをいつのまにかデザイン、タブロー、スティール(そしてスタイル)として見るようになったと言えるのかもしれない。表象文化論でダンスが語れるらしいし。人はダンスを作品として、「演出」として(つまり「デザイン」として)見る、つまり「振付」(すなわち「運動」じたい)として見ない。
 あるいはかつてバウシュのタンツテアターを、そして今DV8フィジカルシアターを評価する人が、同時にベトナム出身の女性によるフランス製ヌーベル・ダンスや、ベルリンの旧東ドイツ地区の日常に材を取り、アジア人を含む多国籍のダンサーによって踊られる作品を評価出来るのは、バウシュによって断片化され尽くした意味の残骸から再びセンテンスや「物語」を紡ぎ出したいという願望、バウシュによって奇蹟的に露呈した存在としての身体、つまり絶対的な他者性から退行して、単に隣にいる人、そしてそれは私の友達であるというような安手のマルチカルチャリズムあるいはPC(ポリティカル・コレクトネス)を願望することによるのだろう。この場合、人が見ているのは作品であり、コンセプトであり「演出」である。見ないのは「身体じたい(の強度)」であり、またしても「運動性(の強度)」すなわち「振付」である。

 日本(東京)のダンス・シーンについて、この1年、というより90年代のことを考えると、ようするに「新しけりゃイイじゃん」と「カッコよきゃイイじゃん」そして「笑えればイイじゃん」ということでやってきたのではなかったか、と思うのだ。それは本来プロデューサー、キュレーターの「(コンテンポラリー)ダンスの大衆化」というマーケッティング戦略上のキーワードに過ぎないもので、アーティスト個々が関知するような話ではなかったはずだ。と思いたいのだが、実際はアーティスト自身が率先して「それが私のダンスのコンセプトです」とおっしゃる、という事態になっているのだろう。それから、若いダンサーがやたらとカンパニーを作り、振付家として身を立てたがる傾向、というのもある。これもおそらく(半ば意識せざる)営業上の戦略だろう。
 もちろん、世界のレベルが前段のような状態であれば、あながち責められたものではないが、「カッコいい」「新しい」と言いつつも、それはフォーサイスの猿マネだったりして、無理めな背伸び感がかなり大である。あるいはストリート感覚、とか言うのだが、その辺の街なかで踊っているBボーイと比べれば、ダサダサである。あと、「笑えるダンス」って言われても俺は笑えないよ。仮に彼らが勝ち抜きのお笑いコンテスト等に出たら、初戦落ちだろう。お笑い(芸人の芸)をナメるな。さて、ここで彼らに欠落しているものは何かというと、やはり「身体の(強度)」であり、ヴィルトージティ以前の問題として最低限のテクニックである。あるいはまた、ダンス(思考)する回路が「無意識の自分の身体」上にしかない(優れたソロ・ダンサーにはこのタイプが多い)場合、つまりコミュニケーション・スキルがない場合、身体能力やダンス・センスが自分より劣ったダンサーを(ことによると優れたダンサーを)かき集めてもロクなことにはならない。せっかくの優れたダンサーが才能と労力と時間の使い方を間違えている。

 そこで、いきなりだが「ダンサー主義で行こう」と言いたい。もともとダンスとはダンサーとイコール(ダンサー個人の芸)であった。ところがコレオグラフィック・システムやノーテーション(記譜法)が発達したことで、ダンスは作家の手に移った。それが今日のダンス・シーンのありようを決定している。「作品主義」「作家主義」だ。前述の「デザイン」志向、「スティ−ル」志向も、おそらくこのことに起因している。ダンスに「運動」というリアル、「身体」という固有名を取り戻すために「ダンサー主義」。
 その意味で“ザ・ダンサー”黒沢美香の『薔薇の人』は99年最大の収穫であった。彼女がここ10年も続けてきた『偶然の果実』のシリーズも、コレオグラフィック・システムによらない偶然性の集団創作であるが、天才的ダンサー・黒沢が初めてソロ・パフォーマンスの公演を意欲し、ただひたすら2時間を踊りつくしたことは、観客に「ダンスを見るとは何か」に関して重要な変化をもたらした。我々はその時何を見たのか。作品ではなく、「踊り子さん」とその「踊り」、つまり「ダンス」じたいであり、その「ダンス」というのは何を指すのかと言えば、その時間と空間とダンサーと我々のことである。といったようなこと、黒沢のダンスのとりわけ 「脱力」性については以前このページでも書いたが、さらにこの舞台では強さ、芯、意志を持った脱力という矛盾した形容をするしかない身体が、たしかにあった。目下の私は、それを井上八千代あるいは吉村雄輝の「ダンス」と一緒に語るという誘惑に負けまいと、すんでのところでこらえているところである。
 
 さて、そこで2000年のダンス・シーンのラインナップを見ると、個々のクオリティや意図は措くとしても、結果的に「ダンサー」や「ソロ・パフォーマンス」に焦点が当たることになるであろう企画がぽつぽつと見受けられ(『DanceToday 3』、『ヨコハマ・ダンス・コレクション』、『笠井叡Dance Unit/Sppining Spiral Shaking Strobe』、『スフィアメックス・フリンジ・ダンス・フェス』)、さらには、「イデビアン・クルー」の振付家=井手茂太がついにダンサーとして公演に参加するし、長らく海外で活躍してきた室伏鴻が、日本での活動を本格的に展開する。井手と室伏は、私の知る限りで黒沢美香と並ぶあと二人の天才ダンサーである。そう、状況はいよいよ「ダンサー主義で行こう」なのである。

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