ところで当然のことながら、京都という街は海外からの注目度の高い場所である。それは、もちろん日本独自の歴史的建造物や社寺の豊富さや風光明媚で知られる観光地として魅力的な場所だからだろう。しかし、“住んでみたい”と思わせる雰囲気を持っているのが、もっとも大きな要因ではないかと思うのである。“住んでみたい”という理由に、じっくり異文化に触れてみたいという考え方もあるが、実はこの街に多くの外国人がノスタルジーを感じているのではないかと思っている。特にヨーロッパ人にとっては、街の大きさや景観(社寺や鳥居などがあっても)、河の流れ方などに自分達が訪れたことのあるヨーロッパの地方都市の典型的な条件を整えていると感じているはずである。鴨川をみてフランス人がセーヌ川を彷彿させるのは、まったく違和感がない気持ちである。わたし自身もそうなのだから。実はその思いは、大阪や神戸にいっても同様な感覚に襲われたのである。私はこの関西旅情でヨーロッパへの哀愁が深く甦ったのだ。そして、どうやらこの街なら住めるなと思わせる不思議な魅力を確信したのである。
今回の京都訪問で、ヴィラ九条山という関西日仏交流会館を見学することができた。フランス政府による独立組織で、別に関西日仏学館というフランス語学校を運営しているが、こちらはアーティスト・イン・レジデンスのための宿泊施設である。ちょっと九条山を登る坂道がきついが、その代わり京都の素晴らしい展望を手に入れることができる。92年に開設された施設にはレクチャーホールもあって常時6人のアーティストが、制作や研究のために滞在している。各部屋には、ファックス電話、リビングソファ、キッチン、ランドリーまでオールセルフケイタリング可能な設備があって住まいとしてはかなり充実している。しかも単独滞在ではなく家族を連れて来れるという羨ましい条件なのだ。なかなか清潔的でモダン建築であるヴィラに6ヵ月から1年のレジデンスができるなんて、思わずフランス人になりたいなぁと唸ってしまった。フランス人が文化を国家レベルで保護/育成するというのは認識していたけれど、このようなきめ細やかな設備のある施設を目前にすると、そのレベルの高さに頭が下がる。彼等が充実したレジデンスをあえて古都・京都に開設したというのも頷ける。世界のなかでもフランス人が最も日本文化に親しみを抱いているのも、こうした機関が立派に機能し、文化の相互理解をサポートしているからだろう。他人事のように羨ましがっているばかりではなく、ぜひ日本政府も海外に日本人作家のためのアート・イン・レジデンスを創ってもらいたい。しかし、国内の貧弱なアート・イン・レジデンス状況を考えると望める状況ではないのは分かっているのだ。ああ。なんと悲痛な違いなんだろう。どんどん京都の話が長くなってしまって、大阪、神戸については詳細に語ることができなくなりそうだが、それはそれで許してほしい。さて、いよいよ大阪に移ってみよう。大阪という街は友人がいれば楽しいところに違いない。地下鉄の初乗りが200円というのはちょっと高いが、食生活は充実しているし、街の景観がベルリンのようである。この大胆な類似性を見い出したのは、私だけのオリジナルかも知れないが、御堂筋のように太い幹線道路が走っている割には、細くて古い街並が今でも残っている。その雰囲気がベルリンなのである。いったいその何処がベルリンなの?と思うかも知れないが、両地を客観的にみることができる人物だったら何となくでも理解してもらえるのではないかと思う。ただし、アートに関しては、ベルリンのほうがギャラリーや博物館/美術館などの芸術施設の数や質は上回っていると言わざる得ない。
でも、大阪だってアーティストたちが何かを起こそうとしている気配が感じられる。最近では、狂乱のバブル時代から淘汰されて、ようやく次世代タイプの現代美術のコマーシャルギャラリー(『コダマ』のような若手)が本格的にオープンしてきた。関西アートを興隆させるためには、このケースが商業的に成功することが必至だが、それによって、今後さらに現代美術専門の商業スペースが増えていくかもしれない。そうなれば大阪のアートシーンはもっと吸引力を引き上げて、根本的なアート施設の充実が計られるようになるだろう。すでに国立国際美術館の移転やギャラリーヤマグチが中心となって新しいレンタルアートスペースの開設、府立のアーティスト・イン・レジデンスなどがオープンされる予定で、新世紀には新展開が期待できそうだ。だから、関西空港を軸に大阪が現代美術の中心的役割になって、ニューヨークに続くアートマーケットの中心地になるかもしれないのである。かなり大胆な展望を描いていると言われるかもしれないが、歴史ある商業地としての大阪には、ベルリンの再生と同様に、画期的で斬新なヴィジョンを大いに期待できるのではないかと思うし、目指してほしいと願っている。
そして神戸への旅は、ひたすら電車の乗り換えである。大阪から西に移動する度に、細々と駅を降りていくという私鉄沿線のアート散歩といった具合だ。地元の人は、最西端の新開地にある神戸アートヴィレッジセンターを先に向かって、その後に芦屋、西宮と回る(つまり先に遠くからせめて大阪に近付いていく)らしいが、神戸から新幹線に乗ってしまおうとする者には、私のとった方法は有効である。というのも、開館時間が遅いところを後回しにする必要があるからである。
阪神香櫨園駅下車、西宮市大谷記念美術館で「中ハシ克シゲ展」を見たあと続いて、芦屋市立美術博物館では「震災と表現」を見た。神戸では、この時期に多くの美術館が震災に関する展覧会を行っていたが、残念ながら芦屋市美だけしか見れなかった。本当はさらに南下して南芦屋浜コミュニティ&アートプロジェクトも見て回りたいと思ったが、車も案内もなく歩き回るにはちょっと困難だったので、結局は市美でプロジェクト報告を兼ねたカタログを受け取ってお茶を濁した。冬の神戸は風が強く冷たい。海まではまだ距離はあるはずだが、ずいぶん潮風のようなちょっとざらついた冷たい肌触りなのである。こうして神戸の風にさらされると、何処かイギリスのブライトンという海辺の街を思い出した。そこは、19世紀末から20世紀初頭に庶民の保養地として栄えた場所だが、いまはひっそりしている。王侯貴族の異国趣味で街の真中にイスラム風宮殿が建っている不思議なところでもある。そこに佇んだ時にも時の流れを遠目に追いかけたが、私のなかの神戸をここでもひそかに思い出していたのである。
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神戸 CAP HOUSEリビングルーム
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CAP HOUSEリビングルーム
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CAP HOUSE内椿昇氏スタジオ
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実は予定では、六甲アイランドにもよって、神戸ファッション美術館や灘近辺の兵庫県立近代美術館、ギャラリー2001他にも行くはずだったが、あまりのショートトリップのため飛ばすことになった。その代わり神戸の新しい動きとして紹介されたのが『CAP HOUSE』である。元町から山並に向かって10分ぐらい歩いたところにある神戸市医師会准看護婦学校の跡地を利用したオルタナティヴ・アートスペースである。元学校ということもあってかなり立派で広いスペースをもっている。ちょっとベルリンの『ベターニヤン』を思い出す。あそこも元市立病院だったものをアーティスト・イン・レジデンスやギャラリーとして活用しているのだ。
この建物は、戦前に全国のブラジル移民のための学習センターとして建てられたものということで、教室のひとつをメモリアルルームとしてブラジル移民の歴史を紹介する部屋として活用していた。『CAP HOUSE』は、地元のアーティストやミュージシャン、パフォーマーなどの芸術家たちが協力しあって自主運営として始めたスペースで、今年の5月までの限定利用として神戸市から許可を得て運営しているそうだ。オープンスタジオや、ギャラリー、プロジェクトルームなどのそれぞれの持ち寄りのアイデアを実践していく、アーティスト主体の運営方法が興味深い。1階のリビングルームと名付けられたコミュニティールームでは、カフェをオープンしてコンサートやトークなどさまざまなイヴェントを催していくとのこと。神戸の新しいアートスポットとして定着すれば面白いオルタナティヴ・アートスペースとしてもっと注目される場所になるに違いない。
この旅を終えて、東京に戻ってくるにはかなり重くなったバッグと疲れ果てた体を引きずらなければならなかったが、いいしれない充実感があったことを述べておきたい。たった3日間で三都市を制覇しよういう試みは無謀だと言うことは分かったが、この3日間がなければ出会うことのなかった多くの人々や素敵な場所には感動を与えられた。旅は感性を磨く大切なときめきの瞬間である。今回もそれを実践できたことが、計り知れない程の収穫になったはずである。