『RAMDAM』
ジョイス・シアターで、マギー・マラン・カンパニーの『RAMDAM』が上演された。前半が『RAM』、後半が『DAM』で、95年に別々に初演され、それがのちに合体されたものだ。特に『RAM』の出来がすばらしかった。
それは、舞台右手奥にスーツとワンピース姿の十数人の男女が座りながら会話し笑いさざめいているという、どこにでもあるような「日常」の場面から始まる。だが、やがて、日常の言語は、ダンサーたちが発する[a][e]などの母音の音素の官能的な増幅と[d][p][t]などの子音の音素の攻撃的な反復へと解体され、一方、日常の動作(たとえば「歩く」という動作)は、やはり直線的な動作素と曲線的なそれへと分解されて、その絡まり合いが諧謔を交えつつ舞台の律動を作り上げていく。それは、日常の〈微分〉、それも豊かな微分というべきものだ。だが、舞台はそれだけにとどまらない。その〈微分〉と対照するかのように、日常の〈積分〉とでもいうべき場面がここかしこにちりばめられる。たとえば、上手と下手からダンサーが一人ずつ「Bonjour! 」といいながら登場し、舞台奥の壁に面と向かって立ち並んでいく場面や、遠くで起こっているある「出来事」に物見高い視線を送っている「野次馬」たちが一人ずつ「Pardon! 」と言いながら人垣をかき分けていくシーンなど、「日常」をあえて積分することにより、「日常」の言語的・動作的貧困の不可思議を、ある造形の、運動の豊かさへと転換していく。そうなのだ、そこでは「日常」を、言語のなかで、そして動作のなかで、微分、積分することにより、日常をある豊壌へと連れ去ろうとするダンスがあった。しかし、誤解してはならない。その豊壌は、かつてマギー・マランの典型ともなっていた「文学」的ないし「美術」的な過剰を意味するのではなく、逆に、そのようなものをいっさい削ぎ落とした〈質素〉そのものの豊かさとでもいうべきものだ。
リユー=ラ=パプのマギー・マラン
実は、私は、この上演を観る2週間ほど前、マギー・マランのリヨンのスタジオを訪れていた。ちょうど、この作品の練習の真っ最中であった。97年まで20年近くパリ郊外のクレテイユ市に居を構えていたカンパニーは、今年の1月からリヨン郊外のリユー=ラ=パプ市専属となった。しかし、まだ新しいスタジオが完成していないので、他のアーティストたちと共同であるスタジオを借りていたのであった。リュー=ラ=パプ市は、ドラッグ、暴力、移民、失業など、多くの社会問題を抱えていることで有名な都市のひとつである。そこには、フランスのここ数十年にわたる都市政策、社会政策の「失敗」が典型的に吹き溜まっている。そのような環境に、あえてカンパニーは身を置こうとしているわけだ。そこでは、芸術家・インテリのエリート主義はいっさい通用しない。劇場で作品を上演しそれを観客に見せるという既存の一方向的なコミュニケーションはまったく無力だ。彼らは、生きる意味を失いつつある人々と、ただ自分たちの(「ダンサー」としてのではなく個人としての)身体に対する、そして生に対する真摯な関わり合いだけを通じて、新たなコミュニケーションの形、新たな日常の豊かさへと自らを開こうとしている。マギー・マラン自身、それは多くの困難と時間を伴う厳しい作業だと語っていた。しかし、彼女の語りは、その新たな試みへの熱っぽさで満ちあふれていた。
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