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クロニクル、展示/蒐集−5
   これが彼らの生きる道――《眼と精神――フランス現代美術展》
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 「日本におけるフランス年」の一環として、1990年代に活躍したフランスの若い世代の作家6名による作品約40点を集めた《眼と精神――フランス現代美術展》が群馬県立近代美術館、いわき市立美術館を巡回した後、和歌山県立近代美術館で開催される。出展作家の選択など、監修は現在パリ国立高等美術学校校長を務めるアルフレッド・パックマン。
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アブサロン「独房N゜6」
群馬県立近代美術館展示風景(上)

 展覧会の発案は、彼がジュ・ド・ポーム国立ギャラリー館長と同時にDAP(文化省造形芸術局)代表の任にあった5年ほど前に遡る。出展作家は、イスラエル出身で既に国際的な評価を確立し、東京を始め世界の6大都市に今回の出展作品を含む6つの「独房」設置の計画を暖めていた今は亡きアブサロン。出展作家の中でも最も若く、商品のカタログなどから取ったイメージをカンバスの上に反復させるキャロル・ベンザケン。ビアリッツの廃墟となった別荘を作品化したことが創作の契機となり、アルフレッド・パックマンの下、フランス各地のFRAC(現代美術地方基金)でその作品が購入されたパスカル・コンヴェール。ポンピドゥー・センターの展覧会《エポック・モード・モラル・パッション》(1987年)、《イメージの移行》(1990年)でも取り上げられ、今やフランスを代表すると言われる映像作家ティエリー・クンツェル。上海出身で、主に肖像画を制作しているヤン・ペイミン。キュレイターの肩書きで展覧会の中に疑似蒐集品展示室を創り上げるマルタン・テュペール。これら6人の作品によりフランス現代美術の潮流を描いて見せようとする本展は、フランス美術が「視覚的にも精神的にもすぐれた到達点に達して」いることを強調すべく、「絵画において思考すること」を説いた思想家の書物の標題を借りて誇らしげに「眼と精神」と名付けられている。
 かつて「フランス美術」の表象をめぐっては、1959年にパリ青年ビエンナーレが創設され、「具象」をフランス美術の伝統と見なす批評と「抽象」によってフランス美術を代表させようとする批評による勢力争いの舞台となったことが指摘されてきたが、ビエンナーレはラング文化相の肝煎りで立ちあげられた85年の「新生ビエンナーレ」を最後に、中断、延期されたまま、パックマンによる再開案も、実現を見ることがなかった。今や論争及び認知の場としての国際展を失った「フランス現代美術」を、常設の展示場を持たないまま蒐集されていたFRACのコレクションを活用し展示することに積極的であったパックマンは、あくまでも90年代フランス美術行政の成果として披露しようと言うのであろうか。そこで強調されているフランス美術の「国際性」と、FRACに象徴される地方分権化が目指した「多様性」は、美術行政によってフランス現代美術が語られる際の常套句に他ならない。
 ところで、この展覧会には、ティエリー・クンツェルと、パスカル・コンヴェールの2人の作家が本展のために滞日制作した作品が出展されている。こうした制作の形態、アーティスト・イン・レジデンスは、フランス美術アカデミーが1666年に設立したローマのヴィラ・メディチに雛形が求められる。現在でもヴィラ・メディチはDAPの管轄下、フランス人作家にとって重要な海外のレジデンスの拠点であり、コンヴェールやヤン・ペイミン、ベンザケンも制作、展示を行なっている。フランスでも、ロワール地方のFRACが置かれているフォントブローで行なわれた「夏のアトリエ」を始めとして、様々な滞在型制作が試みられている。
C.B
キャロル・ベンザケン
「良い体調を保つでしょう」
刑務所として使われていたフォントブローの修道院では囚人の協力により作品が制作され、グルノーブルのマガザンで「アートと都市」の一環として行なわれたアーティスト・イン・レジデンスでは、地域やその人々と交流し共有する時間の体験が作品の中で問い直されたように、アーティスト・イン・レジデンスによる制作では場所特定性が重要性を持つことが多い。
P.C  P.C

パスカル・コンヴェール
「刻印/広島、清住寺の被爆した桜」

 今回の展覧会でパスカル・コンヴェールは、痕跡、断片化、被覆という彼の制作の様相を統合すべく、広島の被爆した桜の木から型取りして鋳造、解体させ黒漆で仕上げた表皮を床に置いてみせる。また、ティエリー・クンツェルは四季シリーズのための撮影を京都で行ない、谷崎潤一郎の著作から副題を取ったヴィデオ・インスタレーション「秋――陰翳礼讃(たそがれどき)」に、真如堂、涅槃の庭の秋の光景を写しだしている。
これらは製作に先立つ関係者との打ち合わせを経て、多くのスタッフの協力のもと過密なスケジュールで制作が行なわれたようであるが、近年のアーティスト・イン・レジデンスではこのような条件のもと、あらかじめ予定される展示のために制作を行なわせる、あるいは制作の場と同時にアトリエでの展示の機会を与えることが少なくない。かつては完成された作品が芸術の流通回路に持ち込まれたものであるが、今や作品の制作過程はおろか制作の場所そのものが作品の価値を決定する一要因となっている、すなわち芸術家のアトリエがすでに流通回路の一部を成しているのだろうか。
T.K

ティエリー・クンツェル
「秋――陰翳礼賛(たそがれどき)」

Y.P

ヤン・ペイミン
「もっともろくでもない男」

 1988年にドミニック・ボゾの主導で設立され、すでに国際的な知名度を得ている作家を招聘するアトリエ・カルダーや、周辺の美術館や画廊との密接な関係を生かしたヴィラ・アルソンを始めとして、80年代からの地方分権化政策を引き継ぎ90年代にかけてフランス各地に作られたアトリエやレジデンスの間では、今や、選考委員会といった制度や地理上の要因を通して、芸術の価値をめぐる認定機能に階差が生じはじめている。国内外から招聘された作家が作品に場所特定性を刻み込み、特定の場所で制作・展示した経験が逆に作家にあるラベルを与えることがアーティスト・イン・レジデンスという制度がもたらす効果だとすれば、「フランス現代美術」自体、フランスを舞台に美術行政が推進、提供するアーティスト・イン・レジデンスの所産なのかもしれない。
 パックマンは、国内の画廊を助成する役割も果たしてきたFRACの購入額に比して、パリ国立高等美術学校の予算の少なさを嘆きつつ、美術行政は教育の現場にその軸足を移すべきだと主張している。ロダン美術館が管理する鋳造権、シャイヨー宮のルーブル複製工房の例にも見られるように、美術館組織は「名作」を所蔵しながら短期的周期の生産事業に携わる。一方で、価値基準の定まらない同時代の芸術に対して美術行政が振り向ける教育機関、アトリエの提供に及ぶ長期的周期の視野は、フランス特有の保護主義的な混合経済の中で必然化するディリジスム(統制経済対策)が戦略的に選び取ろうとしている方向性のようにも思われる。
Fonto

フォントブロ−修道院

M.T

マルタン・テュペールによる
インスタレーション(群馬県立近代美術館)

 かような「芸術の場」における諸々の操作、力関係を揶揄するかのごときマルタン・テュペールの疑似インスタレーションを、自らを取り巻く状況に対する批判力を現代美術がまだ保っているという健全さの証明であると手放しで喜んでよいものかどうか。むしろそうした自己言及的な言説をも含み、「芸術の場」がますます自律的、閉鎖的な空間となっている徴候とも見なせるのではないか。
写真:群馬県立近代美術館、カタログより

眼と精神――フランス現代美術展

会場:群馬県立近代美術館
会期:1998年8月8日〜9月6日
問い合わせ:Tel. 0273-46-5560

会場:いわき市立美術館
会期:1998年10月10日〜11月8日
問い合わせ:Tel. 0246-25-1111

会場:和歌山県立近代美術館
会期:1998年12月5日〜1999年1月17日
問い合わせ:Tel. 0734-36-8690

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