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「プロメテオ ――聴く悲劇(トラジェディア・デル・アスコルト)」
                     日本初演
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阿部一直

リハーサル風景
写真提供:秋吉台国際芸術村


 イタリアの現代作曲家の中の巨星、ルイジ・ノーノ(1924−1990)の集大成的大作「プロメテオ ――聴く悲劇(トラジェディア・デル・アスコルト)」の日本初演が、秋吉台の鍾乳洞に程近い場所に新たに設立された秋吉台国際芸術村の落成記念をかねておこなわれた。演奏は、国際的スタッフ:ペーター・エトヴェーシュ、ペーター・ルンデルの2人の指揮者、フライブルク合唱団、ソリスト、語りその他と4群に分かれたオーケストラを、フランクフルトのアンサンブルモデルンと日本人の若手によってなるアンサンブル秋吉台ほか多くのエキストラメンバー、ライヴ・エレクトロニーク(電子音響)は初演以来の南西ドイツ放送ハインリヒ・シュトローベル・スタジオのメンバーがあたっている。 今回のケースは、単なる現代作品の上演という出来事にとどまらない要素が多いので若干その経緯に触れておきたい。
 まず磯崎新によって設計された新設の秋吉台国際芸術村ホールが、このノーノの「プロメテオ」の作品自体の持つ空間的特性に刺激を受け、ほとんどこの作品の上演を念頭に置いて設計構想されたものであるという特異性がある。そもそもは作曲家細川俊夫を中心に10年にわたって運営されてきた「秋吉台国際20世紀音楽セミナー」の結実としてこの施設がオープンされたはずだったが、なぜか施設オープンの今年、秋吉台国際20世紀音楽セミナーは終息してしまうというちぐはぐな事態になってしまった。
 どうやら主催者側の山口県と企画の細川サイドの公共施設に対する理解が食い違ってきており、2000年に音楽祭として再開は予定されているとのことだが、その内容の運営に関しては予断を許さない状況ということらしい(9月17日付け朝日新聞夕刊)。一旦、大きな施設ができてしまうと様々な思惑が絡むということだろうか。現代の芸術史において10年の持続ということは大変な重みがある。そうした持続なしには生まれてこないものも多い。またその間の人的コネクション、国際的信頼など一旦切れてしまうとそう簡単には再構築不可能なものだ。そうした足跡を軽視することなく充分に活かせる再スタートを施設に期待したい。 今回の「プロメテオ」に関しても、これだけの意義のある作品を山口のみで上演するという重責に対し、セミナーのなかでの公演という扱いで、全国的な公演情報が行き届いていたとはいえず、会場へのアクセスも、遠隔地の観客は自力でたどり着け方式のやや不親切なものであった。ソフトだけでなくスケールでも芸術史に残るハードの扱いや運営が地方行政の市民会館のリニューアル的意識だけだったとしたら、文化や教育への持続の感性を欠くことになりはしないか。そのつけを芸術家や観客にまわすことのない主催者側の徹底を望みたいものである。
 「プロメテオ」は、そもそも初演時から(第1稿:84年ヴェネチア、第2稿:85年ミラノ)音楽構造、音響設計にとどまらない具体的な建築的空間を巻き込んで構想されたものであり、その方針は作品の本質的特徴を形成している。初演では、ノーノと同じヴェネチア出身の建築家レンゾ・ピアノが設計しており、それはRのアーム柱によって構成された箱船が教会の中に設営され、観客は船の底に、演奏者は2段目、3段目に分散して360度オールラウンドから音響が降ってくるというものであった。
 したがって今回は、磯崎新の空間的リアリゼーションによる上演ということで、こうした空間把握の違いによって再解釈をおこなうという音楽史にとっても前例のない試みとなっているのである。 磯崎によるこのホールは通常の舞台背景となる壁面はフラットで総ガラス張りであり、ホール中央を基点にして螺旋状に客席ブロックが空間上に上昇しながら分断的に点在していく形を取る(「プロメテオ」では、観客席をところどころはさみながらこの各ブロックに、4群のオケや合唱、ソリストなどが分散的に配置される)。ブロックの下部はキュービックな壁面を柱によって多方向に支えるので外部の回廊を内包したような空間になり、かつブロックの背後はところどころ吹き抜けになっているため、音響が単反射ではなく多様にラウンドしていくことになる。それゆえ中空にあるブロックではもちろんだが、一階のフロアでも立つ位置や方向によってまったく聞こえる音や反響が異なってくるのである。いわば近代のホールがどんなに巨大化、多面化されようとも、設計理念的にはどの客席も等質の音が供給される思想、つまり王の耳という特権化されそれゆえ創造も享受もオリジナルに同着する1点の延長(むろん2つのスピーカーによる現代のステレオ音響再現システムもそのスタティックななぞり返しであるわけだが)によっているのに対し、このホールはノーノ/磯崎による多島海(ヘルダーリン)、群島(マッシモ・カッチャーリ)空間に実際に身をおいてしまうことで、例のない生成空間(聴取すらも創造に立たされる意味で)を準備したといわねばならない。
上演に前後してセミナーの一環として長木誠司の詳細に渡る作品分析や作曲家ラッヘンマン、ハインリヒ・シュトローベル・スタジオのアンドレ・リヒャルトの実演を伴うレクチャーその他がおこなわれ、作品の理解に大いに役立った。特にアンドレ・リヒャルトによるノーノがどのようにライヴ・エレクトロニークを思考していたかの実例は上演を聴いていただけではわかりにくい構造を明らかにしてくれていた(機械室を覗くとわかるように今では時代物ともいえるような豪壮な大コンピュータが並んでいるのにはびっくりしたが、初演以来それらは継続されつつも改良が加えられているという)。
 ノーノの晩年の作品にはほとんどにライヴ・エレクトロニークが絡むが、これらは実際音を録音しコンピュータ処理してまた音響空間に返して実音とともに混在させるのだが、「プロメテオ」ではそれらが2重3重にディレイをかけられ電子音響担当者によって判断された変調加工が加えられ解き放たれていくので、たとえば「……苦悩に満ちながらも晴朗な波……」(1976)の場合などより遥かに空間内での電子音響の実演奏者に与える影響が大きく、それは限りなく音響的インタラクティヴに近い使用方法(きわめて独創的な)であると感じぜざるを得ない(1984年段階では録音を介在しないで奏者とコンピュータとの同時認識のインタラクティヴな変調加工は不可能であった。現在のテクノロジーであれば、ノーノはどのようなシステムを採用したかは興味が尽きないが……)。 上演空間には方向・定位をかえた12チャンネルのスピーカーが上空にバラバラに設置されてあるわけだが、それによってエミリオ・ヴェドーヴァが「プロメテオ」についてスケッチしたドローイングのように、螺旋状に音響が右へ、左へと渦を巻き始める。ユーフォニウムなどのソロも歌いかつ吹くという特殊奏法がとられ、それに加え電子的に変調されたディレイ音が混在していくため、われわれは記憶が永遠に引き延ばされたかの音響空間にどっぷり浸されていく。
 たとえば、ほぼ同じ録音加工再生をコンピュータで演奏中におこなうブーレーズの「レポン」(1981〜)の目指す電子的アコースティックは、打てば響くピンポン競技のような音の反射や方向性を作曲者の理念通りに交錯再生するというものであった。いわばそこには話主とその分身との文字どおりの張り詰めた近代的対話/応唱空間が想定されていたと思われる。またほぼ同時期の作品、ルチアーノ・ベリオのテンペストをパロディ化した「耳を澄ます王(ウン・レ・イン・アスコルト)」(1985)で主題化される聴取は、シニカルにそれぞれが破片にされ共在することが、同時に主体によって編集再現される演劇空間を補強していった。
 それに対し「プロメテオ」のなかの音響空間はどうだったか。 そこでは、各要素が点在し、倍音の軌跡が引き延ばされ、手探りにそれらが転移しあううちに、聴きとること自体が研ぎすまされていき、声とも楽器音ともつかぬ発声/音の原強度にたどりつく、という行程を巡っていく。カッチャーリのアレンジした台本では、神話にまじりベンヤミンとヘルダーリンが重要な位置を占めるのも、中心がなく前後もないテクスト自体の内部に呟きのような多視点遠近法の変動が存在するからである。それらを聴き取ろうとすることは、次第に何かを渇望するような能動的な行為に変えられていく。「プロメテオ」につけられた副題「聴く悲劇」とは、ギリシャ悲劇の天上の時間進行と、大地の時間進行の間にもてあそばれる中間者プロメテウスであると同時に、インターフェース/テクノロジーの創造者としての存在を示す。「プロメテオ」を経験することは、限りなく単質化し、悲劇であることすら忘却してしまった悲劇としての近代の聴く行為そのものに、ブラックホール的な行路を経て多様性をとりもどす空間的ポリティクスの試みだったのかもしれない。

プロメテオ ――聴く悲劇(トラジェディア・デル・アスコルト)

会場:秋吉台国際芸術村
公演:7月25〜27日(オープニングリハーサルを含め3回上演)
問い合わせ:Tel.08376-3-0020

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