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 悲劇的マテリアル
 ジャクソン・ポロック回顧展より----市原研太郎
 
 67年以来になるというジャクソン・ポロックの回顧展を、ニューヨークのMoMAで見た。ポロックを、アメリカのアートの世界おいて最大の天才と見なすこと、それだけでなくモダンアートの中心を、戦後ヨーロッパからアメリカへと移し変えるのに多大な貢献をした功労者であることは、もはや美術史の常識とすらなっている。ポンピドゥ・センターとグッゲンハイム美術館の収蔵品をあわせて展示した“Rendesvous”でも明らかなように、大西洋を挟んで戦後のヨーロッパ(フランス)とアメリカでは、同じ抽象絵画の興隆があったといっても、その表現の内容にはかなりの違いがあったのだ。
ジャクソン・ポロック  フランスのアンフォルメルは、その名の通りフォルムの否定を掲げて運動を推し進めたが、最終的にフォルムを捨て去ったわけではない。というより、アーティストには再現的フォルムからの逃走という意識はあっても、フォルム自体を消去する意志はなかったのではないだろうか。アンフォルメルの画家たちの作品は、非再現的、つまり抽象的フォルムを構成する段階で止まっているのである。それに対してアメリカの抽象表現主義は、とりわけポロックの取り憑かれたような精力的な活動によって、フォルムをことごとく炸裂させその制約から完全に自由になった。しかしその道は、決して平坦ではなかった。しかも、ポロックがフォルムの足枷から抜け出して、絵画表現のもつ可能性を新しい位相に押し上げたとしても、そのために彼が払った代償はあまりにも大きかったのである。
 それを悲劇と名付ければ、ポロックの神話化を一層助長することになるだけだろうか。しかしこの悲劇は、ポロックを英雄に仕立てるためにではなく、反対にポロックを我々と同じ次元に引き降ろし、彼の創作の試行錯誤をその精神的挫折として理解するのに有効な枠組みを与える。さらにこの悲劇は、ポロックを不屈のアヴァンギャルドとしてよりも、図らずもアヴァンギャルドに祭り上げられた一人の人間として捉えるきっかけになる。たしかに、フォルムの破壊という意味では彼は再先端を行っていたが、よく考えてみればこの命令を遂行することはさして困難ではない。しかし、自分に跳ね返ってくるその反動を受け入れるには、彼はあまりにもひ弱な精神しか持ち合わせていなかったのだ。

 ところで、ポロックの短い経歴のなかで、文字通りフォルムの破壊を実行し、彼の作品の歴史に断絶を打ち込んだ重要な時期が二つある。30年代から、メキシコの壁画運動の画家たちに影響を受けて絵画を制作していたが、40年代に入って第一の断絶が訪れる(41年の「The Mad Moon Woman」、42年の「Stenographic Figure」などを参照)。ただしこの変化は、再現的フォルムからの離脱であり、輪郭は切断されているけれども、フォルムの断片はまだ残されている。第二の断絶は47年頃、それ以前にすでに獲得していたプアリングやドリッピングのテクニックをカンヴァスに全面的に適用した、いわゆるオール・オーヴァによって成し遂げられた。フォルムを包み込むはずの描線は引きちぎられ、ばらばらに散乱し、もはやいかなるフォルムも形成しない(47年の「Full Fathom Five」、「Cathedral」など)。

 しかしここで注目しなければならないのは、フォルムの破壊ばかりではない。その結果、絵画に生起した事態にポロックがどのように対応したかである。フォルムの二段階にわたる破壊の末に、絵画の構造である図と地の間に分裂が生じてしまった。そしてそれは、ポロックの意識の分裂でもあった。これをどう埋め合わせていくのか。画面を子細に観察すると、その解決のためにおそらくポロックが無意識に採用した方法を知ることができる。それはまず図である線の周辺に、マティエールを盛り上げていくことだった。つまり絵の具の素材を、図と地の間にできた空隙を埋め、深刻な食い違いをなくすように作用させるのだ。この方法は様々に変容して、素材の物質性でポロックの絵画の表面を覆い尽くそうとする。 ジャクソン・ポロック展パンフレット
 しかしながら、こうした必死の努力にもかかわらず図と地の間に生じた亀裂は塞がれなかった。再現的なものへの回帰だとして論争の的となった、人型のシルエットをくりぬいたカット・アウト(「Untitled(Cut-Out)」48−50年など)でさえ、実はこの分裂を縫合するための苦肉の策だったのだが、裂け目を目立たせるだけに終わった。50年以降さらに事情は悪化する。フォルムの復活を企ててももう遅い(51年)。「Blue Poles: Number III,1952」には、彼の最終的な挫折を印す墓標のようなポールが、斜めに悲しげに突き刺さっている。第三の断絶が必要だったのかもしれない。しかしそれを贖うには、彼の死という代価でもって交換されねばならなかったのである。

 しかし、相次ぐ失墜にもかかわらず、というよりイカルスのように失墜し続けたからこそ、ポロックは、絵画だけでなくアートの絶対的に新しい地平を切り開くことができた。それは、アートのマテリアリティ(物質性)というモダンアートの究極のフォルムだったのである。  

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写真:ジャクソン・ポロック展パンフレット ニューヨーク近代美術館
Copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1999