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熊倉敬聡
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動きつづけるベルリン−Berlin on Exhibition

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 都市ベルリンは、今、「動いている」。国家、資本、文化という異質な力が、都市全体を底から揺さぶっている。広大な空に屹立するクレーンの林、グラフィティに覆われた廃墟、下ろし立ての輝きを放つ新建築群、厳かに佇む歴史的建造物、それらがそこでは平然と併存している。都市全体が、「建築」という人類の営為の大ラボラトリーと化している。
 ナチズムの台頭、第二次世界大戦による壊滅、東西ドイツの分裂、ベルリンの壁建設、その崩壊、首都機能移転──20世紀の歴史を凝縮しつつ、またその最大の犠牲の一つともなったベルリン。そのベルリンが今、人類の未だ知らぬ、ある都市の姿に向けて「動いている」。

ポツダム広場
ポツダム広場

ポツダム広場から眺めたソニー・センターとダイムラー・ベンツ・エリア
ポツダム広場から眺めた
ソニー・センターと
ダイムラー・ベンツ・エリア

タヘレス内のスタジオ
タヘレス内のスタジオ

ミッテ地区の建物
ミッテ地区の建物

ユダヤ美術館
ユダヤ博物館

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 壁の存在により殺伐とした荒れ地だったポツダム広場(ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』を想い出そう)。そこにダイムラー・ベンツとソニーという二大多国籍資本が自らを血肉化させんとしている。レンゾ・ピアノ、クリストフ・コールベッカー、ヘルムート・ヤーンという名だたる建築家たちが、その血肉化の技術的司祭となった。消費文化の殿堂となるその受肉に、建築というテクネーは(その文化を組み替えることもないまま)奉仕するだけなのだろうか。
 アンダーカルチャーの巣窟とされるミッテ地区オラニエンブルガー通り、アウガスト通りの界隈を歩く。まず立ち現れるのが、アンダーカルチャーの要塞として名高い廃墟タヘレスである。今世紀初頭にデパートとして建てられ、ナチスの中央会議所としても使われ、戦時中の爆撃で半ば崩壊した建物。そこを壁崩壊後、アーティストたちがスクワットし、現在に至る。昼夜を問わず、各種のイヴェント(らしきもの)が、アーティストたちの生活空間と混じり合いながら行われている。そこにスタジオを持つ小柳洋子さん(『美術手帖』の今年の2月号のベルリン特集の中でタヘレスについて書いていた人)に話を聞いたが、タヘレスは今でも刺激に満ち溢れた場所とのことだ。特にアーティスト間の日々のコミュニケーションがエキサイティングとのことだった。ただ私には、タヘレス(を含めこの地区全体)が、今、メディア等で取り上げられるにつれ──私もそのささやかな一端を担っているのは承知している──次第に観光的「見せ物」と化しつつある。と同時に、お洒落な飲食店、ブティックが進出するとともに消費的ファッションのロジックに回収されてしまう危険性を孕んでいるように思えた。ほぼ完全に消費文化に飲み込まれてしまったニューヨークのダウンタウンの二の舞にならないためにも、カルチャーを仕掛ける側のさらなる戦略を期待したいところだ。

 ユダヤ博物館に行く。ダニエル・リベスキンドの代表作であるとともに、20世紀の建築史上に残る傑作の一つとされる。
 建物を見上げ、呆然とする。青灰色のメタルで全面覆われたその建物は墓碑のようであり、しかしそこに無数の傷が(採光口として)走り、鋭い建物のエッジとともに我々の存在に切り込んでくる。しかも建物全体は、ダビデの星をさらに引き裂くようないびつなジグザグ型をしていて、まるで世界中に引き裂かれたジューイッシュ・コミュニティを表しているかのようだ。
 内部に入ろうとする。が、その「入り口」は奇妙だ。隣接するベルリン市立博物館(18世紀にフリードリッヒ一世により、ベルリンの最高裁として建てられた)の内部から、我々はほの暗い地下道へといざなわれる。降りていくにつれ、日常の空気が変質する。目の前に、三つの直線的な通路が開ける。それぞれ、展示スペース、E.T.A. ホフマン・ガーデン、ホロコースト・タワーにつながっている。
 3フロアーに分かれる展示スペースへはメイン階段を通じてアクセスする。開館前の今は(2000年10月開館予定)まだ空っぽだ。その空虚を建築的に増幅するかのように、この建築物には数カ所文字通り「ヴォイド」と呼ばれる空間が地下から天井までを穿っている。我々はそのヴォイドの存在を壁に開くわずかなスリットからしか知覚できない。にもかかわらず、ヴォイドはこの構築物の要の一つなのだ。我々は、そこからどうしても歴史の「ヴォイド」となったユダヤ人たちを連想せざるをえない。
 もう一つの通路を通り、E.T.A. ホフマン・ガーデンに赴く。ユダヤの文学者の名前を冠したそのガーデンは、しかし「ガーデン」と呼ぶにはあまりに異様な姿をしている。奇妙に傾いた床に7×7本のコンクリートの直方体が立ち並ぶ。ガイドによれば、7というユダヤ人にとってとりわけ重要な数字の二乗=49はまたイスラエル建国の翌年であり、一方柱の上に茂るオリーブの木は、ユダヤの民の荒野での流浪を暗示するという。
 そして最後の通路を通り、ホロコースト・タワーに向かう。進むにつれ、通路の四方の壁は狭まり、我々を圧迫する。空間のヴォリュームそのものが死者たちとの邂逅を準備する。重く厚い扉を開け、タワーの内部に入る。薄暗い空洞に死が充満する。我々は墓の中に「いる」。思わず息を飲む。そこに満ちる死の沈黙を通し、我々は抹殺された人々の沈黙と通い合う。が、天井にかすかだがスリットがあり、そこからわずかな外光が差し込んでいる。それはあたかも、ホロコーストが人類の未来に託す唯一の希望であるかのようだ。

 ベルリンは動いている。しかし、その未来への胎動は(日本のように)記憶を、歴史の重いつぶやきを忘却せんがためではない。それは、ユダヤ博物館が象徴するように、歴史の廃墟、死、罪を全身で引き受け、その沈潜のただ中から、それを脱=再構築しつつ、新たな人類のヴィジョンを紡ぎ出すことなのだ。

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