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「ニパフ」が「ニカフ」より元気なわけ
――第4回ニパフ・アジア・パフォーマンス・アート連続展

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 「ニパフ」(NIPAF)をご存じだろうか。「日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル」の略称で、93年から毎年春先に行われ、今年6回目が開かれた。似たような名前の(といっては失礼か、こちらこそ本家本元の)「ニカフ」(NICAF=日本国際コンテンポラリーアートフェスティバル)が鳴り物入りで始まったにもかかわらず、95年に「アートフェア」から「アートフェスティバル」に位置づけを変え、隔年開催になり、会場も転々として足元がおぼつかないのに対し、「ニパフ」のほうは地道ながら着実に成長を遂げ、いまや「ニカフ」より知名度が高いくらいだ。といっても両者は規模もジャンルも異なるので、比較してもあまり意味はないが。そもそも「NIPAF」の「N」は当初「長野」のイニシャルだったことからもわかるように、初回は長野市(ニパフ代表・霜田誠二の本拠地)だけの開催だったのが、いまでは東京、名古屋、大阪など開催地も増え、96年から毎夏、アジアに焦点を当てた「アジア・パフォーマンス・アート連続展」や、その「アジア展」の出演者らによる「信州サマーセミナー」も開くようになっている。なぜ「ニパフ」は、台所事情はいつも火の車といいつつ成長を続けられるのか。規模が小さい(「ニカフ」に比べて予算も入場者数もおそらく2ケタ少ない)ので小回りがきくという利点もあるだろう。あるいは、霜田誠二の努力と人間的魅力によるところも大きいかもしれない。だが、いちばん大きな理由として、「ニカフ」とは逆に参加希望者が年々増えているという事実を挙げておきたい。つまり、パフォーマンスという表現手段を選ぶ作家が引きも切らず、「売り手市場」だということだ。
 これを聞いて疑問に感じる人も少なくないに違いない。なぜなら日本では、パフォーマンスといえば80年代前半に隆盛を迎え、その後下火になった流行現象としか見られてないからだ。しかし、日本ではそうであっても、世界では違う。「ニパフ」の出演者を見ると、日本以外では西欧からの作家と同等に、あるいはそれ以上に東欧、中南米、そしてアジアからの作家が多いことに気づく。われわれが西欧の「ハイ・アート」にばかり目を向けているうちに、それ以外の地域ではパフォーマンスがエイズのように蔓延していたというわけだ(一部不適切な表現がありました)。かといって彼らが10〜20年「遅れている」のではない。これらの地域は総じて政治的にも経済的にも多くの問題を抱えている。そんな中で、表現への欲求と行動を起こすべきモチベーションにこと欠かない者たちの選んだ表現手段が、手っ取り早く身ひとつで行えるパフォーマンスだったのだ。つまりパフォーマンスとは、ここでは持たざる者の表現だといえる。
 一例を挙げよう。中国の馬六明(マ・リュウミン)。彼は顔に化粧を施した全裸姿で登場し、観客席を抜けて舞台上の長椅子の端に座る。その前には固定カメラ。ひとりの観客が彼の隣に座ると、馬がレリーズでシャッターを切る。それを合図に観客が次々と舞台に上がって馬と“記念写真”を撮り、フィルムが1本終わったところでパフォーマンスは終了。いわゆる観客参加型のパフォーマンスであるが、馬はみんなに舞台に出るよう促すわけではない。にもかかわらず観客は我先にと舞台に立ち、嬉しそうに馬の肩に手をかけたり(中年の女性)、上半身裸になったり(うら若き女性)、逆立ちしたり(むくつけき男性)と、様々なポーズを取るのだ。その間、馬は無表情を崩さず、されるがまま。最小限の道具しか用いずに、文字どおり身ひとつで行うパフォーマンスである。なぜ観客はこぞって舞台に上がるのか。馬が絶世の美青年であることは重要なポイントである。だがそれだけでなく、見る側が見られる側、撮られる側に回ること、そして隣に座っているのがなにをやっても反応しない無防備な全裸の人間であること、つまり観客はここでサディスティックな優越感に浸れるのだ。実際、観客は馬に対して徐々に大胆に、攻撃的になっていく。
 馬は北京の伝説的な芸術家のコミュニティ「東村」で、仲間とともに当局の目をかすめながら数々の地下活動を行ってきた。監視される側にいた人間である。そして彼が全裸になるのは、中国では服装が階級や身分や性別を表すので、それを脱ぎ捨て生まれたままの平等な状態に戻るためだという。これは、そのような過酷な状況に身を置く者が選んだ、選ばざるを得なかった周到なパフォーマンスなのである。
 だが、公平を期していえば、馬のような優れたパフォーマンスは「ニパフ」においても稀である。お笑いに走るものもあるが、笑えるなら上等だ。ひとりよがりの儀式めいた退屈なものも少なくないし、なかにはストレス発散のためにやってるとしか思えないシロモノもある。とくに今回、冷房が故障していたことも手伝って、見る者は(出演者も)苦行だったに違いない。にもかかわらず、「ニカフ」というか霜田誠二は鼻息も荒く、9月にはその「アジア展」の観客やサマーセミナーの受講生を集めて「ニパフ子供隊+(プラス)」を開くという。なんと、観客が翌月には出演者になっちゃうのだ。これこそパフォーマンスが、だれでも身ひとつで手っ取り早く行える「売り手市場」の証ではないか。日本だけではない。馬は北京で「ニパフ」のようなパフォーマンス・フェスティバルを計画しているというし、フィリピンやインドネシアからの参加者も、それぞれの地域で画策しているというのだ。草の根ネットワークは強い。まるでマルチ商法……いや違うか。
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第4回ニパフ・アジア・パフォーマンス・アート連続展

会期:1999年8月2日、3日、4日
会場:明大前キッドアイラックホール

ニパフ子供隊+
会期:1999年9月27日、28日
会場:明大前キッドアイラックホール




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