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PO+KU ART村上隆 講演 PO+KU ARTレボリューション

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『DOBSF ふしぎの森のDOB君』
『DOBSF ふしぎの森のDOB君』

マンガやアニメに親しみながら東京芸術大学の日本画科に11年間席を置き、90年代の初めから現代美術作家として活動を始めた村上隆は、94年、ロックフェラー財団のACCグラントを得るとともに、P.S.1のアートプロジェクトに参加してニューヨークに滞在した。以後アメリカと日本を行き来しながら活動し、98年からは若手アーティスト集団HIROPON FACTORYを主宰。UCLA芸術学部の客員教授も務める。最近は、世界のどこかで月2回のペースで自身の展覧会が行なわれているが、若いアーティストのキュレーションや展覧会のオーガナイズ、『誰でもピカソ』(テレビ東京)の審査員なども手がける。99年9月、日本の女性アーティストを集めてアメリカで開催された企画展「ガールズ・ブラボー」は『ロサンゼルス・タイムス』にも大きく取りあげられ、作品総数160点のうち70点近くがあっという間に売れるほどの人気を博した(日本では99年5月ナディッフにて開催)。ふだんは静かなロサンゼルスのアートシーンを掻き回して帰国した氏が、京都精華大学の公開講座でPO+KU ART(POP+OTAKU=PO+KU ポック・アート)について語った。

芸大で考えたこと――「教育」とは

 最近はアーティストのプロデュースやキュレーションを多く手がけていますが、僕がいちばん重きを置いているポイントは、若手アーティストたちへのトレーニングとエデュケーションです。
 僕も御多分にもれず美大受験生として2年間浪人しました。予備校内価値基準としては最高位にある学校、東京芸術大学に入ったわけですから、そこは日本で最高の芸術教育の現場だと思ったのですが、実際に入ってみると、先生はぼんやりしているし、出席ばかり厳しくて、美術や芸術に対しての「教育」なんて何も考えていないような学校でした。大学に入ってすぐくらいの頃、日本画の業界があまりにもくだらないことに憤って、平山郁夫氏に「先生、芸術って何なんですか」と子供じみた質問をしたことがありました。その時の僕は「こんなにくだらないところへ来るために俺は2年間も浪人したのか」と思うといたたまれなくて切実な叫びをあげてしまった訳です。平山郁夫先生は「君も若いからね!」と言いましたが、僕は「それは教育ではない」と思った訳です。今この話をするのは、そういう批判をしようと思うからではなく、日本の小中学校も高校も、教育の現場全てが同じような体制だと思ったからです。そうであったがゆえに、それを反面教師に東京芸大に在籍した11年間の特に後半は「美術」とか「芸術」とはどういうことかと一生懸命勉強して、博士号を取得するところまで意地でやりました。その時、戦後の日本の教育は、先進国アメリカによってマニピュレートされたブロイラーを育てるような社会だということを僕なりに感じてしまった。芸術は、ときに時代を変革させるための詭弁にもなったリするもので、アメリカの敷いたプログラムで国を統率する側にとっては、芸術家は非常に厄介な人物だと思います。そういうところは教育で角を取り、公募展などで適当に遊ばせておいたら、本当にブロイラーのようなものが育ってしまって何も革新的なものは生み出さなくなってしまったのではないのかというのが、僕の実感でした。


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