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ノルウェー建国記念日のオスロ 賑わう大通り
Photo: Emiko Kato
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今年の初めに北欧現代美術について言及してみたが、それ以来、北欧への想いというのは現実味を帯びて募っていったようだ。私はヨーロッパ旅行をする機会が多いのだが、北欧というのは枠の外のような存在で、旅の行程に選ばれることはなかった。それが、本気で行くことにしたのは、自分で書いた「ノルディック・ミラクルって本当?」という文章に責任をもちたいというか、結論なりを見つけたいがためだったかもしれない。なにしろ1度は行ってみなければ、北欧についてえらそうなことは言えないなという気持ちがあったのは確かだ。来年には、北欧の作家を日本に招聘するつもりがあるので、実際に作家が制作している現場に行くのは重要なことだと考えていた。作家が生活している環境や作品が生まれてくる背景などを知ることで、計り知れない程に作家や作品への理解が深まるからである。こういう事前調査を行うのは、美術館付属のキュレ−タ−なら当たり前のことだが、インディペンデントの身の上でそれを実行に移すのは大変なことである。それでも、困難を乗り越えて実現すれば、得るものは多大なので、もちろん実行すべきである。ある意味、世界中の人たちといろんな場所や状況で臨機応変にさまざまに出逢うには、私のような分厚いハートの持ち主じゃないと難しいかもしれない。が然ずうずうしいことが重大になるのが、多々こういう場面であるのだら。もちろん、今回は作家側が非常に協力的だったからこそ実行に移すことができたといえそうだ。
さて、到着したオスロの翌日はノルウェーの建国記念日で北欧人なら誰でも知っている有名な祭典の日である。王宮では、ロイヤルファミリーの一般参賀があり、全国から伝統衣装を着た人々がオスロに集まってくる特別な日だった。テレビは朝から晩まで全国の祭典の催しを生中継で放送していた。オスロの町中はお祭り騒ぎで、王宮から中央駅まで一直線に続いている大通りは人々で埋め尽くされてしまうのだ。この日の印象があまりに強烈だったので、翌日からひっそりと静寂になった街並に物足りなさを覚えたのは当然かもしれない。女性も男性もそれぞれの出身地独特の刺繍や織り物が施された民族衣装を着ていて、大人も子供も楽し気で華やかだ。日本でいえば、初もうでのようなもので、この祭日のために、特別におしゃれして家族とともに外食したり、家に親戚中が集まるのである。もとはといえば、オスロ訪問はビョルン・メルガードという作家に会うのが目的だったが、この日はだれも海外からの珍客を相手にしてくれる余裕はなかった。だから、逆に1日だけは観光客気分に浸ることが出来たのである。すっかりおのぼりさんの気分になって大勢に混ざって私も一緒に道を練り歩いて、民族的なホリディを満喫したのだった。
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オスロ芸術大学
Photo: Emiko Kato
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オスロ近代美術館
Photo: Emiko Kato
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オスロ市庁舎内の留学生用スタジオ
Photo: Emiko Kato
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ビョルン・メルガード
The Myth of a Young Washing-machine
(c) Galleri RIIS 1999
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オスロの滞在は、4〜5日だけの短いものだったが、ビョルンのアレンジでオスロ芸大でヴィジティング・レクチャーをすることになっていた。そのおかげでスムースにいろんな人物に会うことができたし、宿泊も大学が世話をしてくれた。ノルウェーのアートカレッジは全国で3校(国立大学のみ)しかないのだから、当然、オスロにあるたったひとつの芸大は「芸術大学」としか名前がない。王宮のそばに建っているイエローオーカーの古い建物のキャンパスはなかなか雰囲気がある。生徒数が全校で100人足らずという小数精鋭のエリート教育だ。私が行った「日本の現代美術の現状」についての講議は、オープンレクチャーで全校に掲示された壁のはり紙とE-Mailの情報で興味がある学生に呼び掛けただけだが、突然の連絡だったわりには30人ぐらい集まってくれたし、学部長以下教授陣が4〜5人来場したことからも、日本への感心が高いことが分かった。
その後、さらにチュートリアル(個人面談による講評)希望の学生には20分間ごとのミーティングも行ったが、それにも20人ぐらいの学生たちが応募してきた。最終学年の学生がほとんどだったので、卒業制作展を前に講評してほしいというものが多かった。彼らは、すでに基本的なスキルは修得してることもあって、技術面のレベルは高いが、作品のコンセプトやオリジナリティという点では、まだ模索中というものや、逆に完成しすぎてそれ以上の方向性を見い出しにくいものなど、状況はさまざまだが、オスロの現代美術を知るにはかなり有効な時間をもらったと思う。本大学では、留学生を含む在学生のためのスタジオプログラムがあって、ムンクの壁画がある有名な市庁舎内の特別なスタジオを提供している。外光が入る明るいスタジオは天井が高くて、ひとりで使用するにはかなり広い。かといって、大学構内のスタジオも学生ごとに個室になっているのだから、なんとも羨ましい状況である。
学生のなかには、日本にぜひ訪れたいのでアーティスト・イン・レジデンスについて教えて欲しいと聞いてくる学生が複数いて、日本という極東への魅力を彼らなりに感じているのだなと実感した。それは、エキゾジズムやエスニックからの興味というより、同世代の文化意識の共通点を見い出していることや、他国文化に対する知識欲からくる向上心によって惹かれているようだ。ぜひとも、実現してあげたいと思うのだが、情けないことで受入れ口としての日本側のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムがすでに衰退しているのが現状だ(始まったばかりなのに)。日本の文化構造では、あまりにも流行/廃りが激しくて、国際的文化関係を築くうえでかなりマイナス点になっている。こういった新しい事業には定着まで時間がかかるのが当然でありながら、バブルマネーで運営したことであっという間に泡と消えしまうというケースが多すぎるように思う。根本的な文化構造の改革が絶対的に必要だと海外の状況を知ると常に思うのである。
講議やスタジオ訪問で知り合えた学生たちは、それぞれ個性的でバラエティ豊かな顔ぶれのアーティストたちだったが、とても気さくで路上やパブでバッタリあっても明るく声を掛けてくれた。オスロの街は、せいぜい渋谷ぐらいの大きさで小石川にいるような静かな街並なので、どこにいくのにも歩けるし、地下鉄にのっても20分以内で巡れてしまう。アート関係者には私の噂がたっているらしく、どこにいっても「君のことは聞いてる」と言われた。ちょっとしたセレブリティである。
実は、ビョルンの個展がちょうどオスロ近代美術館と老舗のコマーシャル・ギャラリーRIISで行われていて、それも訪問目的のひとつであったが、校外授業としてビョルンの個展を学生たちと見にいくワークショップも行った。ビョルンは芸大のゲスト・レクチャラ−でときどき学生たちの講評や講議をしている。ノルウェーのセレブリティとは、実は彼の事であろう。私の訪問時にもノルウェーの最強新聞のアート欄にも4段抜で彼の個展について紹介されていたし、アートマガジンの表紙を飾ってたり、グラビア紙のモデルもしているのである。ワークショップでもビョルンに会いたい学生たちがギャラリー一杯に集まっていた。そんなに注目されているアーティストをいち早く日本で企画しているということで、私にも一目おいてもらったのかもしれない。ビョルンは作品のアナーキーさと違ってヒューマニティにあふれているし、しっかりしている真面目な人物だ。彼が個人的に運営してるアートスペース“ノルウェー・アナーキー協会”では、彼と波長の合う作家たちを紹介している。フランス人作家、ファブリス・イベールもそのひとりで、彼は喜んでビョルンのために新作を発表した。ビョルンは、エネルギッシュでいろんなアイデアの持ち主なので、いろんな可能性について語り合うことができる。今回、オスロで彼と会えたことで、とても充実することができたし、これからの展開がいろいろ楽しみである。
さて、この時期に訪問しようとしたきっかけのもうひとつに北欧のビエンナーレ“モメンタム”がちょうどオープンする時期だったからというのも要因である。モメンタムは、それほど有名な国際展ではないが、北欧5カ国が参加している北欧のための現代美術展である。すでに6回を数えていることからも地元では定着しているビエンナーレといえるだろう。ご存知のように、北欧はスウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、アイスランドの5カ国である。今回のビエンナーレに訪れて確認したのだが、この5カ国が共用語として使用しているのは英語。アーティストやキュレ−タ−どうしのコミュニケーション手段になっているし、カタログも英語のみの記述である。北欧の権力構造から考えるとスウェーデン語というのも考えられるんじゃないかと思っていたのだが、どうやら「英語は世界語」というのが事実になりつつあるようである。というわけで、私にとっても北欧の旅のあいだ、どこでも英語が通じるのは便利なことだった。
さて、モメンタムのことに話を戻すと、モスというオスロから1時間程離れたパルプ工場のある小さな街が会場で、プレビューのためにわざわざ車を飛ばして駆け付けた。しかし、驚いたことに何も準備ができてなかった。アーティストたちは施行スタッフと打合せすらできない状況で、まさに混乱(カオス)をきたしていた。こんなに準備遅れの展覧会を目の当たりするのも久しぶりだったので、ちょっと呆れるのを通り越してしまって、カタログや資料だけはもらってからウロウロしながら準備中のアーティストと迷惑をかけない程度に話していた。たぶん予算がないことも原因だろうが、写真とヴィデオ作品がほとんだったことはちょっと残念だった。インスタレーションになると極端にスケールダウンしてしまう内容のものばかりだった。こんな状況にもかかわらず、わざわざ遠く離れたレセプション会場にも出かけたが、当然顔見知りがいるわけでもなく、早々に引きあげた。結局、翌日に列車でモスに行き、見違えるほど会場設置が完成された会場を見ることが出来た。やれやれ。
このモスまでのプレビューツアーには、オスロでは1番の現代美術のコレクター夫妻に連れていってもらった。口直しと言うか、オスロに戻ってから彼らの自宅やオフィスのプライベートコレクションを見せていただき、存分に楽しんだのである。ムンク家とは、隣人どうしだったという彼らの自宅は、高台にある見晴しのよい素晴らしい邸宅である。この夫妻は、ムンク関連も少し所有しているが、ノルウェーの若手をサポートすることに情熱を掛けていて、コレクションのほとんどが、ノルウェーの若手である。ビョルンの初期作品も彼らがほとんど収集している。古い納屋風の横長の母屋は、ノスタルジックな北欧インテリアだが、現代美術の作品が非常にマッチしている。愛情の注ぎ方でアートコレクションのインスターレションの方法はいろいろ工夫できると勉強になった。現在は、北方地域の小島にある廃虚となった灯台を買い取って、そこをアーティスト・イン・レジデンスにすることを計画しているそうだ。北海に面した極限の寒さとストイックな環境のなかで、絶景のロケーションで思う存分に制作できるまさにパラダイスといえるプロジェクトである。壮大な夢のプランを聞きながら、北欧のながいながい夕ぐれが闇に溶けこんでいくまで時間を楽しんだ。
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