プチ美術館の魅力
美術館の話から入ろう。世の中に美術館は数知れず存在するが、そこから建物のフォルムの素晴らしさでベスト・スリーを選ぶとすれば、優美な理想的デザインのゲティ・センター(ロサンジェルス、設計リチャード・マイヤー)、大胆で奔放なスケールのグッゲンハイム美術館ビルバオ(設計フランク・ゲイリー)、緊張感ある悲劇的なたたずまいのユダヤ博物館(ベルリン、設計ダニエル・リベスキント)が挙げられるだろう。しかし今回取り上げたいのは、これら大きな容積の器ではなく、私がこれまで訪れたなかで、とりわけ瀟洒で美しいと形容できる現代アートの美術館である。ホテルなら、部屋数20−50位のプチと言われる施設に相当する規模を展示空間に備えた美術館。プチ美術館は、大美術館と比較して作品数でははるかに劣るものの、質のよさで人々を呼び集め、また来館者を雰囲気に馴染ませるために、居心地のよいライブラリーやティールームを置くこともある。勿論、大美術館にもこうした工夫や設備がないわけではないが、規模や入館者数に違いがあるので、入場者はプチ美術館のほうがリラックスできるのである。そのうえ、展覧会の企画がユニークでエキサイティングであれば、もう出かけてみるほかなかろう!!!
さて、数十年前から美術館めぐりの常連となった私が、世界各地で出逢った現代アートのプチ美術館のなかで、是非とも見ることを薦めたいのは、アメリカのニューメキシコ州サンタフェのサイト・サンタフェ、サンディエゴの郊外にある現代美術館、そしてオーストリアのブレゲンツという湖畔のリゾート地にあるブレゲンツ美術館である。なかでもサイト・サンタフェは、前回、前々回とレポートしたビエンナーレ形式の展覧会を行なっており、2001年7月にはその第4回目が開催されるので、訪れる絶好の機会となろう。またサンタフェには、ニューメキシコに住んでいたジョージア・オキーフの美術館があり、アメリカに編入される前から古い歴史をもつこの都市の建築物が、その地方に特有な様式の茶色の壁に覆われていて、多くの観光客を集める名所となっていることを付け加えておこう。ブレゲンツ美術館のほうは、近頃とみに評判のよいピーター・ズントーの設計で、ドイツ、スイス、オーストリアの国境に面している湖の岸辺のこじんまりした街区の屋並から、ガラスで囲まれた直方体の建築が頭一つ突き出ている様は、感動を呼ばずにおかない。観光ずれしていない質素な街に、このように洗練されたミニマルな美術館があるとは、と思うのだ。以前ここで、オーストリア出身のアーティスト、ライナー・ガナールが、個展を開いたことがある。友人であるガナールの説明によると、複数の文化の交差点であるこの地方には、独特の方言と清らかな風景とは裏腹の閉鎖性があるそうだ。ともあれ、明媚なアルプスの自然を背景にして、ウィーンにあるゼセッションの前館長の尽力で実現に到ったこの美術館は、ゲティ・センターと並んで、現代において「美」のイデアが体現されることを示しえた稀有な例だろう。
ところで、90年代のラテン・アメリカ文化の実態はどうだったのか。ラテン・アメリカといえどもプレモダン状態に留まっていたのではない。当たり前のことだが、モダンの洗礼を長い間受けていたし、また伝統的要素が完全に消滅したのでもない。では10年に満たない間に、こうした内発的なものと外発的なものが、現代アートの創造と受容の両面で、どのような反応を起して変化したのだろうか。「ウルトラ・バロック展」を見る際に疑問となったのは、まさにこの点である。それらが融合して、新しい地平へと持ち上げられたのだろうか。その予感は、この展覧会を見る前から、ブラジル出身のリヴァーニ・ノイエンシュワンダー、エルネスト・ネトらの作品に接した時にすでにあったのだが。
結論を述べるには、この展覧会のキーワードになっているバロックという語から始めるのがよい。バロックがヨーロッパに起源をもつ文化概念だとしても、それがラテン・アメリカに無効だなどと速断しないようにしたい。バロックは、むしろヨーロッパ以上にラテン・アメリカ的かもしれないのだ。実際バロックの特徴である不完全さや過度の装飾性は、ラテン・アメリカが生み出した文化表象にはぴったりの形容なのだから。本家ヨーロッパを超えてバロック的なラテン・アメリカ。ウルトラ・バロックは、ラテン・アメリカを照射する優れたメタファーであり、その名を冠した展覧会は、ラテン・アメリカのコンセプチュアルにして魔術的な現代アートの状況を指し示す刺激的なイヴェントだったと言えよう。