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World Art Report
市原研太郎
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ロサンジェルス、LACMA&MOCA
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“Made in California”展
前回に引き続き、冬なお暖かいアメリカのウエスト・コーストからレポートしよう。今回私が訪れたのは、ウエスト・コースト第一の都市ロサンジェルスである。当市には、代表的な公共の美術館として、郡立美術館(LACMA)現代美術館(MOCA)がある。まず郡立美術館は、この地域最大の規模を誇っていて、古今東西の美術品の常設展示だけではなく、隣接する分館(LACMA West)も利用して、現代美術の企画展を含む種々の展覧会で多くの観客を集めている(数年前に開かれたゴッホ展の尋常ではない混み方が思い出される)。その美術館で、世紀の変わり目を迎え、“Made inCalifornia”と銘打たれた展覧会が開かれた。副題にもあるように、“Art, Image, and Identity ”の100年の歴史を調査するという意味では、ニューヨークのホイットニー美術館で行なわれた“American Century”や、同じくMoMAで開かれたモダンアートの歴史的リヴィジョン、さらにドイツ(ベルリン)での大規模な20世紀展と同様の趣旨だが、地域をカリフォルニアに限定したということが、この企画の特徴だろう。それによって、問題をより掘り下げるサーヴェイが可能となった。会場のほうは、ホールの各階を20年ごとに区切って、まず時代の重要な社会的出来事を押え、文化現象に焦点を当てた資料と写真、そしてその時代に生まれた芸術作品を配置する構成となっていて、解説と資料を丹念に追うだけでもかなりの時間を費やすことになる。私が全体を通観して感じたことは、今世紀の初め〈エデンの園〉として喧伝されたカリフォルニアは、移民(日本からの移民も含む)に対する差別、搾取と表裏の関係にあったこと、そして戦後は、消費文化の隆盛に伴って文化的な多様性が急激に増大し、アートの表現内容が必然的に複雑になったということである。

「Made inCalifornia」のカタログ表紙 「Made inCalifornia」のカタログ本文1
Made inCalifornia」のカタログ(表紙)と本文掲載作品
「Made inCalifornia」のカタログ本文2

ブルース・コナー/スタン・ダグラス展
さて1月のこの時期、現代美術館でも興味深い展覧会が行なわれていた。現代美術館は、ロサンジェルスのダウンタウンに位置しているが、少し離れて二つのスペースを持っている。一方は、磯崎新の設計になる本館、他方は、リトル東京のすぐ側にあるフランク・ゲイリー設計のGeffen Contemporaryである。その二つの建物で、それぞれ二つ、計四つの企画展が開かれていた。まず本館では、カリフォルニアのビート・ジェネレーションのアーティスト、ブルース・コナーと、カナダの黒人アーティスト、スタン・ダグラスの展覧会。コナーは、同時代のエドワード・キーンホルツやワラス・バーマンほど日本では知られてないが、アッサンブラージュから映画まで、多岐にわたるメディアで大量の作品を制作している。したがって、このアーティストの作品のすべてを網羅することは不可能だということで、展覧会は回顧展とは命名されていない(タイトルは、“2000BC The Bruce Conner Story Part II”)。それでも彼の創作の歴史を辿るには十分な数の作品が展示されていた。圧倒されるのは、作品の数ばかりではない。クモの巣のようなストッキングで作られた初期のアッサンブラージュの凄み、内容がそれぞれ異なる映像から発せられる強烈なエネルギー、画面を覆うドローイングのパラノイアックな細かさ、エルンストのように〈リアルなもの〉を露出させるのではないが、細部の豊かさで物語を強化するコラージュ。それらのどれもが、過剰なものを生のままぶちまけたかのような、シンプルで魅惑的な香りを放っていた。

ブルース・コナーのカタログ(表紙) ブルース・コナーカタログ本文掲載作品
ブルース・コナーのカタログ(表紙)と本文掲載作品

もう一人スタン・ダグラスは、現代アートの世界ではすでによく知られ、著名な国際展には必ず招待される90年代を代表するアーティストである。今回彼は、過去に制作したヴィデオ作品三点と、それに関連する写真とドローイングを出品した。なかでも95年の“Der Sandmann”は、彼の出世作となったものである。この作品はその後の彼を方向づける独特の演出が施されていて、三人のナレーターの語りに合わせて、縦割りの二つの画面に映された風景が微妙にずれてゆき、視界が360度回転してまた一致するといった凝った構成となっている。このずれが、観客にさまざまな感情と解釈を喚起するのである。それだけでなく写真によって、映像の背景となった現実の場所の紹介と、ヴィデオが撮影されたセットの模様もまた写真によって示される。このような虚構と現実の対比の仕掛けは、彼の作品に謎めいた陰影を与える。90年代のコンセプチュアル・アートの精華が、彼の作品に結晶しているといっても過言ではなかろう。

スタン・ダグラスのカタログ(表紙) スタン・ダグラスカタログ本文掲載作品
スタン・ダグラスのカタログ(表紙)と本文掲載作品

ポール・マッカーシー回顧展
Geffen Contemporaryで行われていたのは、ポール・マッカーシーの回顧展だった。マッカーシーは、“Heidi”で共同制作をしているマイク・ケリーよりも年長で、キャリアも長いけれども、このように大きな展覧会を開いたのは初めてである。なぜ彼が、長い間本格的な注目を浴びなかったかは、作品を見ればすぐに理解される。というのもパフォーマンスをメインにやってきた彼の作品は、猥雑かつ暴力的、さらに俗悪かつグロテスクだからである。このような作品を目の前にして、ショックや苦笑を禁じ得ないのは当然だろう。今回の展覧会を見て、活動のある時点で彼のパフォーマンスが、系譜学上の祖先といってよいウィーンのアクショニズムと袂を分ち、シリアスではなくポップに、すなわち漫画チックな仮面やヌイグルミを被って行なわれるようになったこと、そしてその結果より過激にしかし同時に親しみやすさも感じられるようになったことが判る。おそらく初期の素顔のままでのパフォーマンスを継続していたなら、精神の崩壊を免れなかったであろう。それほど鬼気迫る状態にあったのだと想像される。いずれにせよこの回顧展によって、アートを含め文化の転覆を目論む彼のエネルギッシュな作品の全貌が明らかとなった。付け加えておけば、“Spaghetti Man”(93年)は、彼の自画像と呼ぶべき作品である。

ポール・マッカーシーのカタログ(表紙)
ポール・マッカーシーの「スパゲッティ・マン」1993年
ポール・マッカーシーのカタログ(表紙)と本文掲載作品

同じ空間の隣の場所では、“Flight Patterns”と題されたグループ展が開かれていた。この展覧会は、マッカーシー展とは対照的に、地味で目立たないコンセプチュアル系の作品を集めていた。そこには、現代カリフォルニアの文化的背景となったポスト・コロニアル状況を踏まえた作品が呈示されていた。それらに共通する他では見られない奇妙な風景は、多様な文化の融合や混合の帰結ではなく、むしろその離散と反発が産み出す文化的な斑模様を映し出している。疎外と物象化が、カリフォルニアでは日常となっており、カリフォルニアの空気そのものを歪ませているということだろうか。つまり、物象化を打破し、疎外を克服することは、マッカーシーのように、それを過激化することで逆説的に出口を見出そうとするような個人的部分的な抵抗なら可能であっても、ことカリフォルニアという土地ではすこぶる困難だということだろうか。

「スーパー・フラット」展
ところでハリウッドのパシフィック・デザイン・センター内に新設されたMOCAのスペースで、昨年東京で開かれた「スーパー・フラット」展が行なわれた。村上隆の企画になるこの展覧会を見た感想は、表層的で子供っぽいモティーフの氾濫にもかかわらず、日本から到来した特異な倒錯によって生じるファンタスムが、もはや人々に息苦しさしかもたらさない抑圧的なアメリカン・マテリアリズムの柱に楔を打ち込むことができるのではないかということである。その軽やかな風が吹き込む精神が、疎外や物象化の根底にあるマテリアリズムを溶かし、少なくともカリフォルニアの文化にラディカルな変化をもたらすことができるのではないか。そのようなことを予感させる展覧会だった。

スーパー・フラット展会場外観 スーパー・フラット展の展示風景1
スーパー・フラット展の展示風景3 スーパー・フラット展の展示風景3
スーパー・フラット展の会場外観と展示風景

[いちはらけんたろう 美術批評]

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