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アートにおけるマルティカルチュラリズムの興隆は、90年代の初めにアメリカで起きた。アメリカという国家体制の内部で、アートの領域も含めて社会的に差別され排除されてきたマイノリティの表現が、一挙に噴出したのである。勿論90年以前からその予兆はあった。ジュディ・シカゴらのフェミニスト、デイヴィッド・ハモンズらの黒人が、70年代よりマイノリティが発する不満や批判を視覚化して表明する試みを続けてきたのである。たとえば、やはり70年代より活動を開始したエレノア・アンタンは、女性のアイデンティティを男性の振舞いとの関連において規定するコミカルな作品を発表してきた。また、白人の父と黒人の母の間に生まれたエイドリアン・パイパーは、女性かつ人種的に境界線上にある彼女のアイデンティティを主題にするという困難な道に挑んだ。彼女の表現は、既定の社会的ポジションを前提とするアイデンティティを、絶えず問い直す姿勢に貫かれている。同じように70年代後半、ボストンの美術学校に通う学生のなかから写真を表現手段とする一群のアーティストが育ち、彼らのホモ、あるいはバイ・セクシュアルな生活を若者文化として肯定する作品を産み出した。デイヴィッド・アームストロング、ナン・ゴールディン、ジャック・ピアソンらがその主なメンバーだが、とりわけマーク・モリスロウがこのグループの中心人物であり、彼の撮った本人および友人の写真は、生気溢れるドキュメンタリーの迫力だけでなく、泣きたくなるほど愛しいリリシズムに彩られている。残念ながら、モリスロウは80年代にエイズ禍に巻き込まれて亡くなった。彼の作品集を99年に出版した、ボストン時代からの盟友で最近他界したギャラリスト、パット・ハーンと同様、改めて冥福を祈りたい。
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▲エレノア・アンタン |
▲エイドリアン・パイパー |
▲マーク・モリスロウの作品集 |
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70年代から続くこのようなジェンダー、エスニック(人種、レイス)、セクシュアリティに関するマイノリティの表現への権利の要求が、90年代に入って、現代アートで本格的に実を結んだというべきだろう。実際ボストン出身の写真家たちがアートの世界で評価されるようになったのは、ゴール>ディンの活躍と名声に象徴されるように90年代に入ってからである。しかし同じくこの時代に、マイノリティの
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▲“Lesbian, Art in America” |
表現に変化が見られるようになった。フェミニズムに対する考え方にしても、女性の古典的な本質を信じる前の世代の女性アーティストとは異なる視点から捉える作品が現れた。たとえば、ニコル・アイゼンマンやキャサリン・オピーは、女性の常識的な観念を吹き飛ばす衝撃的なイメージを鑑賞者に突きつけた。彼女たちの表現は、いわゆる女性らしさと呼ばれてきた母性や生理、そして心理的な優しさ、穏やかさといった特性に真っ向から対立するような過激なイメージを女性に付与した。とはいえ彼女たちの表現は、男性的なものを身につけようとするボディビル型のフェミニズムとも異質である。アンタンやパイパーの試みが90年代のフェミニズムに反省的な契機となり、既定のジェンダーの枠組みが文化的形成物であるだけでなく、それがパフォーマティヴな性質をもつこと、さらにジェンダーの新たな生成は多義性を呼び寄せることを、彼女たちは自覚しているように思われる。ジェンダーはセクシュアリティと緊密に結びついている。“Lesbian, Art in America”という本のタイトルが如実に示しているように、ジェンダー問題の解明には、性的な志向性を知ることが欠かせない条件だろう。
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エスニックの表現においても、黒人のアーティストは、政治的な批判を軸に様々な表現を試みてきた。カリー・マエ・ウィームズのように、静かだがオーソドックスなやり方で黒人を取り巻く社会に立ち向かうアーティストは90年代にもいたが、もっと若い世代に属するケリー・ジェイムズ・マーシャルは、伝統的な手段(絵画)を使ってマイノリティの社会的問題に柔軟にアプローチする。彼は、黒人社会の希望と絶望を美しく軽やかな色彩で描き出す。そこには、前の世代のマイノリティが、重大な問題に取り組むがためにどうしても引き受けざるをえなかった力みや悲壮さはない。爽やかさすら感じさせるアイロニーと、人種間の友愛の可能性を信じるオプティミズムが、彼の画面に得難い生気を与えている。マイノリティは黒人ばかりではない。ラテンアメリカ系のアーティストも、90年代に現れて活躍した。ペポン・オソリオとダニエル・J・マルティネスは、マルティカルチュラリズムの作品を一堂に会した93年のホイットニー・ビエンナーレでもっとも目立ったアーティストだった。特にマルティネスは、辛辣なユーモアと作品構造の複雑さとラディカルさで突出していた。しかし、マルティカルチュラリズムの流行が90年代の中頃より消え去るに従い、彼らの作品に触れる機会が少なくなったのは残念である。
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90年代を通して、マルティカルチュラリズムの精神は、アメリカや西欧に住むマイノリティの表現に収斂することなく、他の地域で活動するアーティストを射程に入れることになった。というのも、いまや現代アートは地球的規模で広がっていて、文化の中心/周縁を特定することも、一方的な影響関係を指摘することもできなくなったからである。たとえば中南米のアーティストたちの活躍が、2000年の前後に目立つようになってきた。その先鞭をつけたアーティストが、メキシコ出身のガブリエル・オロツコである。しかし彼の場合、作品の基本的特徴がアメリカのアートの系譜上にあるように見えるので、マティカルチュラリズムの文脈で読む必要はないのかもしれない(ただ映像作品は、使われる素材が中米の光景なのでローカルなものを想起させる)。彼とともに、チルド・メイレレス、ドリス・サルセド、ミゲル・リオ・ブランコ、エルネスト・ネト、ヴィク・ミュニツ、リヴァーネ・ニューエンシュワンダーなどのアーティストが登場してきた。
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▲ガブリエル・オロツコ |
▲チルド・メイレレリス |
▲ドリス・サルセド |
これらのアーティストは、彼らが属する文化風土から素材を自由に取り出してそれぞれの方法で作品に仕立て、グローバル化した現代アートのの文脈に呈示している。では、90年代以前にアートの中心だった文化に属するアーティストたちのマルティカルチュラリズムに対する反応は、どのようなものだろうか?アメリカの白人アーティスト、シャロン・ロックハートは、文化人類学者に同行してアマゾンに赴き、学問的調査の傍らで写真を撮る。そうすることで、「他者」との能うかぎり直接的で透明な出逢いを企てた。マルティカルチュラリズムの表現が、エキゾティシズムのヴェールを透かして見られる傾向が強い昨今の風潮に抵抗する稀有の例だといえよう。
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▲ミゲル・リオ・ブランコ |
▲エルネスト・ネト |
▲ドリス・サルセド |
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▲リヴァーネ・ニューエンシュワンダー |
▲シャロン・ロックハート |
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