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海外アート・レポート ..

ヴェネツィア・ビエンナーレ+α(でも+αのが大きい)日記

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2001年6月6日(水) 東京〜ヴェネツィア
 ウィーンでの乗継便が遅れ、昨夜9時ごろヴェネツィアに到着。今回は宿の手配をするヒマもなかったので、ちょっと高いけど水戸芸術館主催のツアーに乗る。メンバーは水戸芸の森隊長をはじめ水戸勢が多いが、なぜか岡山勢も3人ほどいる。ホテルはサン・マルコとリアルトのあいだのスプレンディッド・スイス。その名のとおり、これまで泊まったヴェネツィアの宿ではもっともスプレンディッドなところだ。さすが高いツアーだけのことはある。ちなみに私、数えてみたらヴェネツィアは今回で8回目。年を感じるのであまり自慢できない。
 晩飯はヴェネツィア在住の柏木さんに連れられて、リアルトの奥まったところにある庶民的なリストランテで。うーん、さすがにうまい。デザートのころ、日本側コミッショナーの逢坂恵理子さんも合流。

メイン会場入口
メイン会場入口

ドイツ館の前
ドイツ館の前


6月7日(木)
ヴェネツィア・ビエンナーレ、ヴェルニサージュ
 今朝は朝食後9時15分にロビーに集合し、全員でヴェネツィア・ビエンナーレのメイン会場のジャルディーニへ。今日は3日間あるヴェルニサージュの2日目だ。余談だが、ヴェルニサージュとは絵の仕上げにワニスを塗ること。転じて展覧会の内覧会を指すようになった。昔から画家たちは展覧会の直前まで筆を入れていたのだろう。この言葉はとくにヴェネツィアではリアリティをもつ。ワニスも乾かない(つまりヴェルニサージュにも間に合わない)作品がしばしば見られるからだ。その反面、近年は映像やインスタレーションなどワニスのいらない作品が圧倒的多数を占めているのも事実。イタリアでいち早く油絵の普及したヴェネツィアだけに、いっそう感慨深いものがある。

 ヴェネツィア・ビエンナーレは、大きく分ければパビリオンごとの国別展示と企画展示の2本立て。国別展示はジャルディーニのほかにヴェネツィアの各所でも行われ、企画展示はジャルディーニ内のイタリア館(本館)とアルセナーレの2ヶ所で開催される。
 10時の開門とともに入場。しかし、なぜかすでにドイツ館とカナダ館の前には長蛇の列が。聞くところによると、ドイツ館の代表作家グレゴール・シュナイダーは館内を迷路状に構成しているため、1回に数人ずつしか入館させない方針だし、カナダ館のジョージ・バレス・ミラーとジャネット・カーディフは映像作品なので入場制限しているから、観客が殺到するのだという。なんかとってもやな予感。1997年の日本館が内藤礼の体験型インスタレーションを展示して観客を数時間も待たせた悪しき前例があるが、あの方式が定着しつつあるとしたら困ったもんだ。美術は映画や演劇や音楽とは違って、時間に縛られずに作品を見られるのが最大の長所だったはずなのに。今回はこのテの作品はいっさい無視することにした。
 とりあえず日本館へ。だが、日本館はまだ清掃中とかで11時にオープンだって。とにかく列のないパビリオンから見ようとイギリス館に。作家はマーク・ウォリンガーで、メインホールに茨の冠をつけた「この人を見よ」の彫刻が1体。両側の部屋には固定カメラで人を撮った映像、裏の部屋には「この人を見よ」を裏から描いたデッサンが並んでいる。これはおもしろい。
 フランス館にも短い列ができていたが、すぐに入れた。ピエール・ユイグはメインホールの天井に光を走らせ、両側の部屋では映像を上映。フランス人らしくちっともシリアスでないところが、ビエンナーレ作品としては好感がもてた。ビエンナーレみたいな巨大な国際展で次から次へとシリアスな作品を見せられたりしてはたまらないものね。
ロシア館 セルゲイ・シュトフ
ロシア館 セルゲイ・シュトフ 

 ロシア館は3作家の出品。セルゲイ・シュトフは、頭から黒衣をかぶっておじぎする数十体の人形を出していて、近づいてみると、それぞれの人形からコーランとか仏教とかてんでばらばらな祈りの声が聞こえてくる。これには笑った。レオニード・ソコフの作品も笑える。デュシャン、ブランクーシ、ジャコメッティら20世紀を代表する彫刻のミニチュアが棚にのって回転し、その影が走馬灯のように壁に映し出されるインスタレーション。ロシア人って意外にユーモアのセンスあるじゃん。
 韓国館のマイケル・ジョーとスゥ・ドーホーもいい。とりわけスゥ・ドーホーはミクロな写真や認識票を大量に使うことで、付和雷同する民衆をユーモラスかつ諧謔的に表している。映像だとか体験型だとかより、こうしたロシア館や韓国館の作品に共感を覚えるのは、私もまた古い体質から抜けきれない「周縁地域」の人間だからでしょうか。いや、そうではなく、ビエンナーレでは個展で見るのとは違った楽しみ方をしたいというだけなのだ。いずれにせよ、ここまで見てもうこれ以上見てもしようがない気がしてきた。ちょっと早いか。
 日本館は中村政人、畠山直哉、藤本由紀夫の3人。マクドナルドの黄色い光を放つ中村のダイナミックなインスタレーション、現実のなかに非現実を写し込んだような畠山の都市写真、藤本の繊細でかそけき音。この融合しがたい3者をコミッショナーの逢坂さんは手堅くまとめている。
 あとはもう見た順に羅列。スペインは派手なインスタレーション、オランダは映像ときて、ベルギーのリュック・トゥイマンスは国別展示のなかでは唯一といっていいペインティングの出品。少しほっとする。アメリカのロバート・ゴーバーも仕掛けがあるとはいえ、『ニューズウィーク』のピーター・ブレーゲンズ記者をして「ただの時代遅れなオブジェに見えはしないか」(6月27日号)と心配させるほどの彫刻。しかし解せないのは、アメリカ館が写真撮影を禁じていたこと。いくら著作権にうるさい国とはいえ、世界中のプレス関係者が大量に集まる国際展のヴェルニサージュでは愚挙というしかない。以下、パビリオンは省略。

アルセナーレ
アルセナーレ


ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター

ネドゥコ・ソラコフ「ア・ライフ(ブラック&ホワイト)」
ネドゥコ・ソラコフのパフォーマンス
「ア・ライフ(ブラック&ホワイト)」

スゥ・ドーホー
スゥ・ドーホー

リチャード・セラ
リチャード・セラ


 イタリア館とアルセナーレで行われている企画展は、ハラルト・ゼーマンによる監修。イタリア館では、やけにカラフルになったサイ・トゥオンブリ、菱形のカンヴァスに赤系の絵具を塗りつけたゲルハルト・リヒター、レリーフ状にパネルを組み合わせたリチャード・タトルら、ベテランの新作絵画がいくつか見られたのがうれしい。
 笑えたのは、ネドゥコ・ソラコフの「ア・ライフ(ブラック&ホワイト)」と題するパフォーマンス。ふたりの人が背中合わせに展示室の壁を塗っているのだが、ひとりは白い壁に黒いペンキを、もうひとりは黒い壁に白いペンキを塗っているのだ。延々と白と黒が入れ替わる陰陽の世界。スゥ・ドーホーは韓国館に出していた作品より、こちらのほうがさらにいい。床にガラス板が敷かれているのだが、よく見ると、両手を挙げた数万体もの小さな人形がガラス板とその上を行くわれわれを支えているのだ。このけなげな民衆たち(?)よ。
 ずいぶん飛ばしたけど、これでジャルディーニでの主要作品はおしまい。この時点で同行していたのは、岡山でアートNPOを立ち上げた作家の小石原剛さん、岡山大学助教授の赤木里香子ちゃん、それに水戸芸の森くんとぼくの4人。みんなでメシ食ってアルセナーレに行こうということになり、狭い路地を歩いていたら、ミラノから来た作家の広瀬智央氏と奥さんが食事しているところに遭遇。イタリア語の堪能な彼らと合流し、ランチにありつく。
 アルセナーレではまず、ロン・メックによる5メートル近い巨大な人形に出くわす。なぜこれほどリアルな色や肌ざわりが出せるのか不思議なくらい精巧につくられた人形なのだが、つねにスケールだけはリアルサイズからはずれている。まあ一種のだまし絵みたいなもの、技術だけといえばそれまでだが。次に、シャオ・ユーの胎児や動物の部分をつなぎ合わせたホルマリン漬けの作品があったので、数年前の身体性をテーマにしたアペルトを思い出した。
 だが、会場を進むにつれ映像が多くなる。アルセナーレ全体の半数近くが映像なのではないか。かったるいから映像はすべて飛ばす。すると、ヨーゼフ・ボイスの「7千本の樫の木」や、イリヤ・カバコフの電車のインスタレーションや、リチャード・セラの分厚い鉄板を巻いた彫刻が、よしあしは別にして印象に残った。実際、それらがとりたてていいとは思わなかったが、ただ名前と作品が一致したというだけなのだ。しかしこれではまるでアルツ入ったガンコジジーだな。こうしてなにも考えないまま最後までたどりついてしまった。なは。
 いったんホテルに戻ってから、どこでなに食うかみんなで迷ったあげく中華料理の夕食をすませ、そのままホテル・ロンドラでの日本館のパーティーになだれ込む。ロンドラには1993年に泊まったことがあるが、宴会場なんかなかったはず。行ってみたら、1階のロビーで寿司づめ状態でパーティーしてるではないか。これで寿司が出たらいうことないのだが。ともあれ、ほかの宿泊客にはさぞかし迷惑なことだったろう。その後10人ほどで水上タクシーをつかまえ、夜遅くまでやってるカフェへ。こうしてヴェネツィアの夜は更けゆく……。

6月8日(金) ヴェネツィア・ビエンナーレ
 昨日、アルセナーレから出るときにカタログを買おうとしたら、もう書店が閉まっていたので、朝ジャルディーニまで行って買う。前回も買い忘れ、ヴェネツィア市内の書店を探したのに見つからず、帰国後日本から注文したのを思い出した。ヴェルニサージュの期間中、カタログはビエンナーレの会場内でしか買えないのだ。
 11時に森アートミュージアムの記者会見に出るため、サン・マルコのウェスティン&レジナ・ホテルへ。森アートミュージアムは、森ビルが手がける六本木の再開発計画の目玉となるもので、2003年に開館予定。その館長に現在ストックホルム近代美術館の館長を務めるデイヴィッド・エリオットが決まり、そのお披露目だ。前のほうの席にはMoMA館長のグレン・ローリー、テートギャラリー館長のニコラス・セロータ、ドイツ近代美術展示館館長のウェンツェル・ヤコブ、ポンピドゥ・センター館長のアルフレッド・パックマンら、インターナショナル・アドバイザリー・コミッティ委員が平取締よろしく陣取り、森社長をヨイショしている。会見の内容はすでに知っていることばかりで、とくに目新しいことはない。

 会見後のパーティーはパスして、明日のフィレンツェ行きのチケットを買うためサンタ・ルチア駅へ。実は今日このままパドヴァに行って、スクロヴェーニ礼拝堂のジョットのフレスコ画を見てこようと計画していたのだが、現在スクロヴェーニ礼拝堂は予約しないと入れないと聞き、パドヴァはあきらめる。ジョットだけではない。広瀬氏に聞けば、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のレオナルドの「最後の晩餐」も予約制になっているという。きっとヴェネツィア・ビエンナーレのパビリオンもそのうち予約制になるに違いない。やなご時世だ。
 サンタ・ルチアからサン・トマまで水上バスで行き、サン・ロッコ同信会館へ。サン・ロッコ同信会は聖ロクスを守護神とする一種の慈善団体で、その会館を飾るため16世紀にティントレットが大量の絵を納品したことで知られている。なんていいながら、これまでティントレットに興味がもてず、いちども訪れたことがなかったのだ。なるほど、あるある、「受胎告知」から「羊飼いの礼拝」「ゴルゴダの丘への道」「キリストの磔刑」まで、奇想に富んだティントレットの代表作がそろっている。

 ホテルに戻って重いカタログを置き、岡山の里香子先生とサン・マルコ大聖堂の横のパラッツォ・ドゥカーレへ。このなかに入るのは最初に来たとき以来だから、もう20年ぶり。ヴェネツィア共和国の歴代統領の肖像画や武器甲冑など、美術的価値より歴史的価値に重点を置いたコレクションが多いが、以前は展示されていた鉄の貞操帯はなくなっていた。圧巻は、大評議会広間を飾るティントレットの大作「天国」。壁にはめ込まれたこの油絵は幅22メートルにおよび、おそらくカンヴァス画としては世界最大。こんなに大きな絵だと通常フレスコ画で描くものだが、ヴェネツィアは潮風が強くフレスコ画では傷みが激しいという。フィレンツェやローマよりひと足早くヴェネツィアで油絵が発達したのも、この潮風のせいなのだ。
 といってるうちにもう5時。里香子チェンチェーとカフェ・フローリアンでお茶してから、ベネッセ主催のパーティーが開かれるホテル・バウアーへ。おーいるいる、日本人だけで100人近いぞ。大半は昨晩のパーティーでも会った顔ぶれ。なんでヴェネツィアまで来て日本人の美術関係者と会わなきゃいけないんだ!? 肝心のベネッセ賞は、カナダ館のジョージ・バレス・ミラーとジャネット・カーディフに決まったそうです。見なかったな。

 森くん、小石原さん、広瀬夫妻とぼくの5人で抜け出し、夕食に。初日の晩に食った店に行くと、今晩は予約で満杯だという。しかたなく広瀬氏が通りがかりのおばあちゃんに声をかけたら、味はともかく雰囲気は本当に庶民的な店に連れてってくれた。席に着くと、隣の席の女性が話しかけてくる。聞くと、彼女の夫は日本人の船乗りだったが事故死してしまい、日本政府から遺族年金を受け取っているという。ところが最近、重要な通知が届いたものの日本語で書かれてあるため理解できず、われわれにその内容をたずねてきたというしだい。なぜか小石原さんが船乗りの遺族年金について詳しかったりして、少しは役立ったようだ。それにしてもなんという巡り合わせ。もしあのおばあちゃんがここに連れてきてくれなかったら、彼女は遺族年金を断ち切られていたかもしれないのだから。

6月9日(土) ヴェネツィア〜フィレンツェ
 今日はヴェネツィア最後の日。午前中アカデミア美術館ですごす。この美術館には毎回来ているが、とくに今回はジョヴァンニ・ベッリーニとジョルジョーネの色彩、マンテーニャとカルパッチョの構成、ティツィアーノとティントレットの筆づかいに注目。ところどころ作品が欠けていて、「東京の『イタリア・ルネサンス展』に貸出中」とか「東京と京都の『ヴェネツィア絵画展』に貸出中」との表示が。こうしてみると、どの程度の作品が日本に貸し出されているかが一目瞭然だ。
 12時半すぎホテルに戻り、ここでツアーのメンバーとお別れ。そもそもこのツアーはヴェネツィアのあとロンドンに寄って帰国するスケジュールなのだが、ぼくはせっかくだからロンドンに行く前にフィレンツェに3泊することにしたのだ。ホテルの前の運河から水上タクシーで空港に向かう彼らを見送ったあと、ひとり残されて急に心細くなった。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・
フィオーレ大聖堂

 フィレンツェ行きの電車は14時28分発。まだ1時間ちょっとあるので、コッレール美術館でやってるファブリツィオ・プレッシの「ウォーターファイアー展」を見る。大木の中身をくりぬいてモニターを入れ、水の流れや炎を映し出すインスタレーション。なかなかきれいでしたが、やや演出過剰気味。ホテルに戻って荷物をピックアップし、サンタ・ルチア駅へ。電車は満員。よかった昨日チケット買っといて。

 ヴェネトの平原、トスカーナの丘陵地帯を抜け、3時間ほどでフィレンツェ着。ホテルは駅前のバリオーニ。フィレンツェでは最大級のホテルだが、でかいだけでなく格式がある。部屋の調度は時代がかった木製だし、薄い色味のあるガラス窓を開けると、なんとサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドゥオモが見えるではないか!
 さっそく街の中心部に出る。フィレンツェは16年ぶりだが、街並そのものも教会や美術館のコレクションも基本的に変わらないのに、観光客の数だけは急増しているようだ。ガイドブックによると、いまやウフィツィ美術館は日時を予約しておかないと、入館するのに数時間も待たされるらしい。ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂とかレオナルドの「最後の晩餐」なら予約制もわからないではない。それらの作品は動かしようがないし、空間のキャパが限られているからだ。しかし、美術館のパーマネントコレクションを見るのでさえ予約制になりつつあるとは、まったく、うんざりである。明日は早起きしてウフィツィに駆けつけ並ぶしかない。夕食は駅のセルフサービスで軽くすませ(雰囲気は最悪だが安くて意外とイケた)、早々と寝る。

6月10日(日) フィレンツェ
 6時半に起きて7時のサービス開始と同時に朝食をとり、ウフィツィ美術館に着いたのが7時50分。もうすでに50人ほど並んでいたが、これなら楽勝だ。8時ごろから急に増え始め、8時半の開館時には数百人の列になっていた。なるほど、開館30分前が勝負の分かれ目だな。
 ここで見たいもの、確認したいことはいっぱいある。ジョットからマザッチョまでの約1世紀の絵画の流れ、洗浄後のボッティチェリの「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」、北方画家ファン・デル・フースの「ポルティナーリ祭壇画」のフィレンツェ派への影響、フランチェスコ1世がつくらせた陳列室「トリブーナ」、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、アルテミジア・ジェンティレスキの「ユーディット」……。
 「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」にはガラス板がはめられていた。「ウルビーノのヴィーナス」は5年前に修復され、印刷で見るよりずっと色が鮮やかだが、そのぶん安っぽく感じられた。ラファエロにはちょっとがっかり。「ひわの聖母」は修復中で、かわりにグロテスクな模写が掛かっているし、「レオ10世とふたりの枢機卿」も期待はずれ。ラファエロはミケランジェロとは逆に、男を描くのがヘタだ。ヘテロとホモの違いか。マンテーニャ、ピエロ・ディ・コジモ、ブロンズィーノは気に入った。カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケスの佳品もある。うーん、ド満足。
 4時間ほどいたあいだ、日本人のガイドツアーを10組ほど見かけた。イタリアを含めほかの国のガイドツアーを合計しても10組に満たない。日本人は熱心だ。でも彼らはアッという間に通りすぎてしまう。

マザッチョのフレスコ画
マザッチョのフレスコ画
ブランカッチ礼拝堂

 1日中ウフィツィにいたい気分だけどそうもしてられない。明日(月曜)は主要美術館が休みなので、今日中にピッティ宮殿のパラティーナ美術館に行かなくては。ポンテ・ヴェッキオを渡ってカフェでピザ食い逃げして(なりゆきで)、ピッティへ。ところが今日はお昼で閉館だと。がっくし。そこで、近くのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会へ。ブランカッチ礼拝堂のマザッチョのフレスコ画を見ていると、「村田さん」と呼ぶ声が。振り返ると、ヴェネツィアでもお会いしたギャルリー・ドゥの井伊さんではないですか。「やっぱりビエンナーレの口直しに来たんですか?」とは聞かなかったが。
 再びポンテ・ヴェッキオを渡って市の中心部を通り抜け、パラッツォ・メディチ・リッカルディへ。かつてのメディチ家の屋敷だ。建物はでかいが、観光客が入れるのはごく一部。でも礼拝堂の内部に描かれたベノッツォ・ゴッツォリの壁画さえ見られればいい。この壁画は「東方三博士の旅」という宗教画を口実に、フィレンツェの黄金時代を築いたコジモ−ピエロ−ロレンツォというメディチ家3代の肖像を描き込んだもの。この礼拝堂は建物のなかに組み込まれ、窓もないので、絵は色あせもひび割れもなく完璧な姿で残っている。
 そこから少し歩くとサン・マルコ修道院に出る。ここの一部はフラ・アンジェリコのフレスコ画が見られる美術館になっている。16年前と変わっていたのは、階段の正面に描かれた「受胎告知」の下半分にガラスがはめられたことと、写真撮影が禁止になったこと。それにしても、フラ・アンジェリコは画家である前にひとりの修道僧であり、ここに描かれた絵も修道僧の瞑想を促すためのものだったはず。それがただ見るためだけに公開されるとは、アンジェリコが知ったらどう思うだろう。もちろん彼だけでなく、「美術」以前の美術はすべて「礼拝的価値」から「展示的価値」へと移行させられたわけだけど、とりわけフレスコ画のような「不動産美術」のあるところでは、建物ごと目的が変わってしまうのだから。
 サン・マルコから出てすぐに、また呼び止められた。こんどはベネッセの秋元くんだ。福武社長夫妻も一緒(というより福武夫妻に秋元くんが同行しているのだが)。「やっぱりビエンナーレの口直しですか?」とは口が裂けてもいえませんでした。
 今日はよく歩いた。駅の近くの広東酒家で夕食。チンタオビールがうまい。

ギルランダイオのフレスコ画「最後の晩餐」
ギルランダイオのフレスコ画「最後の晩餐」
オニサンティ教会

ラ・スペコーラ1

ラ・スペコーラ2
ラ・スペコーラ博物館の解剖模型(上2点)

サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂内部

6月11日(月) フィレンツェ
 今日は美術館は休みなので、朝ゆっくり起きて教会と博物館めぐり。
 ギルランダイオのフレスコ画「最後の晩餐」のあるオニサンティ教会を見て、アルノ川を渡り、ピッティ宮殿の先にある博物館ラ・スペコーラへ。ウニ、ヒトデ、寄生虫などの標本から始まり、魚類、爬虫類、鳥類、哺乳類の剥製が延々と続いて、最後が人間。日本でも写真集が出たのでご存じの方も多いだろうが、この解剖模型がなんともいえずなまめかしいのだ。恥毛もあらわな若い女が「あは」ってな感じで身もだえしながら横たわり、でも腹が割かれて内臓が飛び出しているとか……もちろんロウ人形ですよ。そんな標本が何部屋にもわたって展示されてるんだから、マニアにはたまらない(なんのマニアだ!?)。
 そこからこんどは街の反対側の捨子養育院へ。建物にはルカ・デッラ・ロッビアのテラコッタがはめ込まれているが、なかの美術館にはたいした作品はない。しばらく歩いてサンタ・クローチェ教会へ。そのバルディ礼拝堂にはジョットのフレスコ画があるのだが、残念なことに薄暗くてよく見えない。シニョーリア広場に出てパラッツォ・ヴェッキオへ。両側をフレスコ画で飾った五百人広間の天井を見上げると、ヴァザーリの「コジモ・デ・メディチ1世礼賛」が。このコジモ1世のポーズがミケランジェロからのパクリであることはあきらかで、「コジモ1世礼賛」であると同時に「ミケランジェロ礼賛」にもなっている。
 今晩は北京飯店で夕食。やっぱり中華は安くてうまい。

6月12日(火) フィレンツェ〜ロンドン
 フィレンツェ滞在最終日。ロンドン行きの飛行機は17時5分発なので、昼すぎまで時間がとれる。まずはピッティ宮殿のパラティーナ美術館へ。ここに入るのは初めてで、ラファエロのトンド「小椅子の聖母」があること以外、なんの予備知識もない。しかもウフィツィとは違って時代順や地域別に分類されてないので、どんな作品と出会えるか予測できない楽しさがある。2段掛け3段掛けに展示された作品のなかからティツィアーノやルーベンスを発見する喜びは、絶対に日本では味わえない。ラファエロの「小椅子の聖母」は構成も色彩も完璧。やっぱり女子供はラファエロに限る(差別か?)。同じラファエロの「ラ・ヴェラータ」は日本に貸し出しても、「小椅子の聖母」は貸さないだろう。
 最後に、フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へ。ここはすごい人出だ。短パンはいてバックパック背負って英語しゃべってるヤツが多い。アメリカンだね。ジョット設計のカンパニーレ(鐘楼)にのぼる。もちろん階段。まだ元気だ。サン・ジョヴァンニ洗礼堂にも入る。ロマネスク様式の建物は12世紀の建立だが、内部を飾るビザンティン様式のモザイクは13世紀のものらしい。ルネサンス絵画を見なれた目には、このプリミティヴなモザイクがむしろ新鮮に映る。そして扉を飾る浮彫り彫刻は、15世紀初頭のコンクールでブルネッレスキと優勝を分け合ったギベルティの作品。まさにここはルネサンスの発祥の地、フィレンツェの核心部だ。
 荷物を取りにホテルに戻り、タクシーで空港へ。15分ほどで着いた。近いのはいいが、ヴェネツィアにしろフィレンツェにしろ第1級の観光地にもかかわらず、空港は貧弱だ。初めて聞くメリディアーニ航空とやらで、ロンバルディア平原、アルプス山脈、フランスの田園地帯、ドーヴァー海峡を横切って、着いたところはヒースローではなくガトウィック空港。電車でヴィクトリア駅まで出て『タイムアウト』を買い、タクシーでハイストリート・ケンジントンのコプソーン・タラ・ホテルまで。このホテルはフィレンツェのバリオーニとは違い、近代的で味気ないけど、すべてコンピュータ化されている。
 近くのパブでなにかつまみながらビールでも飲もうと思ったが、パブが見つからず、しかたなくまた中華料理店に。フィレンツェと同じようなものを食ったのに、料金は倍もした。ロンドンは明後日の昼すぎまで1日半しかないので、『タイムアウト』を見ながら計画を練る。

大英博物館グレートコート
大英博物館グレートコート

6月13日(水) ロンドン
 まずウォーレス・コレクションへ。大英、ナショナルギャラリー、ヴィクトリア&アルバートと、大美術館の建ち並ぶロンドンでは小美術館の部類に入るが、建物といいコレクションといい間違いなく第1級の美術館。もっとも母体が貴族の個人コレクションなので、武具甲冑や陶器もあり、美術品も玉石混淆だ。ティツィアーノの「ペルセウスとアンドロメダ」をはじめ、ルーベンス、ベラスケス、フランス・ハルス、ワトーらの名品もあるが、いちばん見たかったのはフラゴナールの「ぶらんこ」。ぶらんこで遊ぶ貴婦人の前で、木陰に隠れた紳士がスカートのなかをのぞくという香わしい構図だ。
 ナショナル・ギャラリーへ。ヴェネツィア、フィレンツェと見てきたものとしては、やはりここのルネサンス・コレクションを見ないわけにはいくまい。ここにはもう何十回も来ているけど飽きることがない、というより汲めども尽きぬ宝の山みたいなもので、見れば見るほどまた見に行きたくなるのだ。今回とくに注目したのは、フィレンツェ派ではボッティチェリ「神秘の降誕」、ブロンズィーノ「愛のアレゴリー」、ヴェネツィア派ではマンテーニャとクリヴェッリの諸作、ティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」。あと、ファン・アイクにルーベンスにベラスケスに、もちろん2点のフェルメールも。残念なのは、20日から特別展「フェルメールとデルフト派」が開かれること。1週間違いで見られなかった。ラファエロはやっぱりダメだ。「ユリウス2世の肖像」はピッティにあったティツィアーノの模写のほうがいいくらい。そのティツィアーノの「バッカスとアリアドネ」は最高に美しい。ルーベンスの「シュザンヌ・フールマンの肖像」とベラスケスの「鏡を見るヴィーナス」は、ナショナルギャラリーの目玉とはいえないまでも、この美術館の名を高めるに十分な秀作。驚いたのは、2点のフェルメールのあいだに展示されたフェルメールもどき。ここにある2点と同じくヴァージナルを弾く女を描いたもので、解説には画家名はなく、フェルメールの可能性を示唆している。あきらかにフェルメールに似せているけど、顔の描写が違うのもあきらか。まさか、これが「フェルメールとデルフト派」展に合わせ「37番目のフェルメール作品に認定!」ってことにはならないでしょうね。
 
 18-19世紀の東ウィングは駆け足で通り抜け、地下のカフェでサンドイッチをほおばって、大英博物館へ。途中、ベッドフォードスクエアに面したAAスクールのギャラリーに寄る。川俣正が学生たちとロンドンと東京で行った「ロッジング」というプロジェクトの成果発表。街の隙間にゲリラ的に住居を建てて住んでしまおうというもので、ギャラリーには段ボールや廃材による小屋が並び、さながらホームレスのための住宅展示場みたい。
 そこから大英博物館へは2-3分。昨年来たときはまだ工事中だったが、図書館のあった中庭がノーマン・フォスターの設計でガラス張りの「グレートコート」に変身している。その一画に設けられた企画展示室では「クレオパトラ展」を開催。クレオパトラといえば日本ではほとんど神話的な人物だが、彼女に関するブツを集めて大きな展覧会に仕立て上げるところはさすが大英。
 エルギン・マーブルスと、人類学博物館から移設されたアフリカ部門を見て、地下鉄でオールドストリート駅へ。午後6時にロンドン在住のジャーナリスト菅伸子さんと待ち合わせ、ホワイトキューブ2でやってる「ギルバート&ジョージ展」を見る。ホワイトキューブ2はレンガづくりの2階建ての建物内部をくりぬいて、文字どおりホワイトキューブの展示空間にしたギャラリー。G&Gは相変わらず黒縁のパネルを何十枚も組み合わせたプリント作品なのだが、パネルの1枚1枚には「私生活での振付師求む。当方22歳のダンサー志望」みたいなゲイの新聞広告が転写されている。やだなあ。
 菅さんと近くのパブで1杯やってから、ホテル近くのノッティンヒル・ゲートに出てタイ料理を。菅さんは朝日新聞やNHKの現地コーディネーターみたいな仕事もしているので、ここには書けないような裏話をたくさん聞かせてくれた。アエラ編集部の×××氏は××だとか、NHKの主催した××展は実は××××だったとか。なはは。××××だね。

6月14日(木) ロンドン
 いよいよ最後の日。ヒースローからの帰国便は18時発なので、午後2時ごろまでは余裕だ。でも、バービカンでやってる日本展は見に行く気もしないし、テートモダンの「アルテ・ポーヴェラ展」は日本でも見られそうだしで、結局もういちどナショナルギャラリーへ。
 それにしても、ロンドンのような大都市のど真ん中に無人の大きな建物があって、その壁には四角くて薄い物体(絵のことだ)が何千枚も掛かっていて、その物体の表面を見に世界中から毎日1万人もの人々が訪れ、そこに描かれたイメージからそれぞれの時代や文化や作者の力量を読みとっては悦に入る……。まこと絵とは、そして美術館とは奇妙なものであり、この21世紀ますます希少な存在になるに違いない。幸いなのは、ロンドンの美術館や博物館の多くがいまだ無料であり、しかも並ばずに入れるということだ。


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