1929〜40年
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父母の渡欧に同行してパリへ。両親の帰国後も、一人パリに住む。パリ大学在学中にサロン・デ・シュルアンデパンダンに作品を発表。アプストラクシオン(抽象創造)協会のメンバーとなる。このころアルプ、ドローネー、モンドリアン、カンディンスキーら多くの芸術家との交流をおこなう。
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1941年
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帰国後、二科会に滯欧作品特別展示。銀座三越にて個展。
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1942〜46年
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現役初年兵として兵役ののち、一年間の収容所生活をへて復員。
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1948年
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花田清輝とともに 夜の会を結成。
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1952〜56年
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『みずゑ』で「縄文土器論」を発表。このころよりモザイクタイルによる作品を発表。「青春」(モザイクタイル)松竹セントラル劇場、「踊り」(陶板レリーフ)大手町大和ホール、東京都庁「日の壁」「月の壁」「建設」ほか十一面の陶板レリーフ完成。
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1961年
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二科会退会。
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1962〜69年
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壁画、商業デザイン、公共建造物のモニュメントなど多くの作品を制作。
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1970〜75年
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万国博シンボルゾーンに「太陽の塔」「青春の塔」「母の塔」を含むテーマ館完成「太陽・生命・歓喜-岡本太郎展」。札幌、ミュンヘンオリンピック公式メダル制作。パリ国際センター落成式で記念公演。第1回東京展(東京都美術館)に「記念撮影」出品。
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1976〜80年
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箱根彫刻の森美術館に「樹人」。「挑む-TARO展」(九州を巡回)。連続講演会「芸術の渦のなかで-私のパリ時代」(紀伊国屋ホール)。「岡本太郎の世界−現代の神話」展(西宮市立大谷記念美術館)。「芸術は爆発だ-岡本太郎の世界展」(沖縄、鹿児島を巡回)。「日本の現代版画パリ展」に「黒い太陽」「風」出品。
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1981〜85年
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山梨県立美術館にて大規模個展(船橋西武美術館ほか巡回)。「大人の児童画展」主宰。銅版画「顔シリーズ」。筑波科学万博にモニュメント。横浜みなとみらい「太陽の広場」に「太陽」完成。青山こどもの城に「こどもの樹」。オックスフォード近代美術館の「日本の前衛美術」展に「重工業」「森の掟」出品。
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1986〜90年
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フランス造幣局「太陽と月」のメダル製作。NTV「テレモンジャ」にレギュラー出演。岐阜高島屋の展覧会に新作陶磁器を出品。フランス政府より芸術文化勲章受賞。山形県上の山市、川崎電気中央研究所に「栄光」「月の顔」。
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1991年
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「岡本太郎展−その芸術の源流を探る」展(アートホール神戸)。「岡本太郎展」(川崎市民ミュージアム)。岩手県藤沢町に縄文人。北九州市芽ばえ。川崎市に作家所蔵のすべての作品352点を寄贈。
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1996年 1月7日
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急性呼吸不全のため死去
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