キュレーターズノート

他者に開かれた浸透性──「ボイス+パレルモ」におけるパレルモ

能勢陽子(豊田市美術館)

2021年07月01日号

豊田市美術館には、2点のパレルモの作品がある。黒く塗られたものと鏡面による二つの小さな逆三角形と、白い布が縫い合わされた作品[図1・左]である。強く存在を主張するわけではなく、とてもささやかなのに、二つの三角形は場に焦点を与えて緊張感を持たせ、白い布はまるで浸透するように空間を和らげる。わずかな関わりで空間を変質させるこの作家の作品を、ドイツやアメリカで時折観ることはあったけれど、長い間どこか掴み切れないままでいた。それが、今回の二人展「ボイス+パレルモ」で、初めて身に染みるように理解することができた。

図1 左:パレルモ《無題》(1970、豊田市美術館蔵)/右:パレルモ《無題(布絵画:緑/青)》(1969、クンストパラスト美術館)[撮影:木奥恵三]


謎多き作家

パレルモという名は、1964年にデュッセルドルフ芸術アカデミーのヨーゼフ・ボイスのクラスに入ったときに、学生に付けられた渾名だという。名前の持ち主はマフィアでボクシング・プロモーターだったアメリカ人で、単に似ているということがその理由だった。作家名さえあっさり渾名に変えてしまうこの作家は、早世のため10年ほどの活動期間に残された作品数が決して多くないこと、また作家自身が寡黙であったことから、謎の多い、半ば伝説的な存在となっていた。しかしパレルモについて、これまで日本の画家から何度か聞く機会があり、彼はいわゆる画家こそがその作品を称える「作家の作家(artist’s artist)」でもあった。本展は師弟による二人展の形を取っているが、ボイスとパレルモはあらゆる点でまるで正反対と言える。ボイスは彫刻を芸術の枠を超えて社会にまで拡張したが、パレルモは絵画を解体しながらもどこかにその純粋性を保ち続けた。ボイスの作品には複雑な象徴性が与えられていて、それを理解するには作家の思想に加えて宗教、歴史、経済など社会の仕組みを知る必要があるが、パレルモの作品にはそうした意味や象徴性はなく、無垢のまま向き合うことができる。ボイスが用いるフェルトや脂肪といった素材は触覚的な重さと物質そのものの鈍い色を持つが、パレルモの用いる素材はあくまで軽やかで、鮮やかな色彩を見せる。それでも、ボイスはパレルモを、「最も自身に近い表現者」だと語っていたという★1。本展では、この対照的な二人の作品をともに観ることで、それぞれの特性がより際立ち、またその近さもおぼろげに見えてくるのである。ここでは、戦後の現代美術の革新者として広く知られているボイスについてはあまり触れず、国内で紹介される機会の少なかったパレルモについて主に語ることにする。


パレルモ作品の寡黙さと豊かさ

これまでパレルモのことを十分に把握できていなかった一因に、直接観る機会が少なかったことがある。カタログで眺めていたパレルモと、空間に置かれた状態で対峙するパレルモとでは、どこか違っているのである。実際のパレルモの作品には、かすかな手の跡が残っていて、絵画の縁が微妙に揺らいでいるものもある。そして布絵画や壁に描かれる壁画を除けば、ほとんどの作品が思っていたより小さい。しかしその小さな存在が、絵画とそれが掛けられた壁や空間との境界を揺るがし曖昧にして、色彩が空間全体に作用するような感覚を与える。作品の小ささは、決して大仰な崇高さに向かうことなく、私たちの日常に近いところで、絵画の持つ純粋さを混入する。パレルモはそうした色や素材を、百貨店の生地売り場やピンボールマシンなどの日常のなかから抽出していたという。


図2 左:パレルモ《コニー・アイランド》(1975、MKMキュッパースミューレ近代美術館)/右:パレルモ《ヨーゼフ・ボイスのために》(未完、1964-76、MKMキュッパースミューレ近代美術館)[撮影:木奥恵三]


ボイスの作品が、象徴性を孕んだ多くの物語を語るいわば“おしゃべり”なものであるとしたら、パレルモの作品は何も言わず“静か”にそこに佇んで、観る者誰もを招き入れ、色彩と空間の豊かさをじっくりと味わわせる。しかし最後の展示室で、レモンに電球が突き刺さったボイスの《カプリ・バッテリー》(1985)と、まるで描きかけのように黄色が塗られたパレルモの《無題》(1977)を観たとき、ハッとするものがあった。ボイスが言うパレルモとの近さとは、このレモンのような、またこの未完成の絵のような、生の新鮮さなのだと思った。ボイスのレモンは、嗅覚や味覚も含めた身体全体に作用する。パレルモの金属の支持体の上に色を重ねた絵画は、カンヴァスのように絵の具が染み込むことなく、前面に余すことなく色を開示する。この作家について何も知らなかったとしても、その黄色は、ある純粋な新鮮さを発露する。


図3 左:パレルモ《無題》(1977、個人蔵)/右:ヨーゼフ・ボイス《カプリ・バッテリー》(1985、国立国際美術館)[撮影:木奥恵三]


「反絵画」の時代

パレルモが活動した60年代半ば以降は、まさに「反絵画」の時代だった。当時パレルモと交友があった画家のゲルハルト・リヒターは以下のように語っている。


私は、ただ描き続けました。その反絵画の気運をよく覚えていますよ。60年代の終わりに、アートシーンの強烈な政治化が始まりました。絵を描くことは嘲笑されました。それは「社会的意義」を持たない行為、つまりブルジョワの行為とされたのです。★2


リヒターが語るこの「反絵画の気運」には、もちろんボイスの存在が強く影響していただろう。ボイスのように、政治に乗り出し直接社会に働きかける活動は、まさに芸術における変革だった。しかしパレルモのように、観る者の日常にある純粋さを差し挟む絵画もまた、人の生き方に作用する変革と言える。小さくささやかなパレルモの作品は、そこに向き合う鑑賞者がまるで息を潜めるくらいに意識を研ぎ澄まして、そこに対峙しなければいけない。しかし、そのすべてがボイスの表現に現われていると言っていいくらい、以降、映像、インスタレーション、アクションと、媒体も大きさも拡張し続ける現代美術において、いまも「反絵画」の状態が続いていると言えそうである。私自身、映像やインスタレーションの展覧会を企画することが多いが、それでも国際展が華やかな現在、美術館こそ絵画のために最適な空間を用意できるのはないかと思えることもある。それともパレルモは、ほとんど手を加えていないかに見えるその手法で、展示室とそうでない場所を反転させて、芸術をもっと日常のなかに浸透させようとしていたのかもしれないが。

「ボイス+パレルモ」展の豊田市美術館での会期は終わったが、引き続き埼玉県立近代美術館と国立国際美術館に巡回する。パレルモの作品は、必然的に展示される空間との強い関わり合いを持つが、ニュートラルなホワイトキューブ、個性的な展示室、また地下の空間の違いにより、その見え方も変わってくるだろう。パレルモの絵画には、実際に向き合わないと得られないものがある。2021年7月現在、まだコロナは終息していないが、各展覧会場にぜひ足を運んでみてほしい。



★1──鈴木俊晴「汀のパレルモ」(『ボイス+パレルモ』、マイブックサービス、2021)
★2──1991年に行なわれたヨナス・シュトルスフェによるインタビュー(同上)[初出:ディートマー・エルガー著、清水穣訳『評伝ゲルハルト・リヒター』、美術出版社、2017、p.165]


ボイス+パレルモ

[豊田会場]※会期終了済み
会期:2021年4月3日(土)~6月20日(日)
会場:豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)
公式サイト:https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/beuys-palermo2021/?t=2021

[埼玉会場]
会期:2021年7月10日(土)〜9月5日(日)
会場:埼玉県立近代美術館(埼玉県さいたま市浦和区常盤9-30-1)
公式サイト:https://pref.spec.ed.jp/momas/beuys-palermo

[大阪会場]
会期:2021年10月12日(火)〜2022年1月16日(日)
会場:国立国際美術館(大阪府大阪市北区中之島4-2-55)
公式サイト:https://www.nmao.go.jp/events/event/beuys_palermo/

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