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絵画を支えるもの──画中空間、現実空間(国立西洋美術館「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」展レビュー)

天内大樹(美学芸術学/建築思想史)

2011年05月15日号

 国立西洋美術館で開催中の《レンブラント 光の探求/闇の誘惑》は、「黒い版画」「淡い色の紙」「キアロスクーロ」 という三つの言葉を中心に「光と影の巨匠」レンブラントの作品を再検討する試み。和紙刷り版画を通じ、レンブラントの時代の日蘭交流の一端も展示する。

揺るぎのないもの

 3月11日14時40分頃、私は遅い昼食のため上野駅ビルのラーメン店に入った。15分で店を出て、駅に沿った坂を上れば、国立西洋美術館での待ち合わせ、15時に間に合うという目算だった。「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」内覧会の招待状を持っていた友人に誘われていたのだ。
 結果的に私は何も食べず、強い揺れのなか店の外へ誘導された。広小路に面したビルが、上層で大きく揺れているのが肉眼で見えた。震源が仙台方面だと知り、つまり三陸の被害が激しくなると解ったのは、返金後それでも西洋美術館で友人と合流する直前、JR改札での情報だった。それまで坂を上りながら思い出していたのは、阪神大震災の反省から1998年に実現した、日本初の免震レトロフィットのことだった。
 ル・コルビュジエが設計し1959年に竣工した国立西洋美術館本館は、簡単に言えば地面と切り離されて間にバネが挟まれている。地面の揺れが建物本体に伝わりにくく、内部の人間・美術品や建物自体が損傷しない。私は激しく揺れた不忍池畔の沖積低地から、上野台地上に切り取られた免震シェルターを目指して登ったことになる。
 友人と合流して同館に入ると、式典はすでに終わり、案内板スタンドはあらかじめ横に倒され、また1階から企画展示室への通路の天井板が2枚ほど欠け、公衆電話には長い列ができていた。しかし建物本体や企画展示品に損傷はなかったようだ★1。企画展示で震災の2週間後、常設展示で1カ月後と国立西洋美術館の再起動が早かったのも、この建物ならではだ。
 電車が運行できない旨は館内でも放送され、人によっては津波の映像も目にしたはずだ。1階ホールは諦念を伴った落ち着きとともに、コーヒーやオランダ製「明治維新12人衆ビール」を片手に人々がてんでに話し合っていた。報道によれば式典に出席したオランダ大使は、震災直後大使館に戻り職務をこなし、後日原発事故が表面化しても自国民の国外退避を奨めず自らも東京に留まった。「トモダチ」だから、という★2
 もとより展示も、出島から東インド会社を通じ輸出された和紙がレンブラントの版画に使われた旨を強調していた。当時から400年にも及ぶ日蘭関係の蓄積を見たといえる。


1──レンブラント・ファン・レイン(1606-69)《石の手摺りにもたれる自画像》
第2ステート、1639年、アムステルダム、レンブラントハイス/©The Rembrandt House Museum, Amsterdam


2──レンブラント・ファン・レイン(1606-69)《羊飼いへのお告げ》
1634年、アムステルダム、レンブラントハイス/©The Rembrandt House Museum, Amsterdam

★1──建築では一般に、建物本体に比べて天井板は飾りという扱いである。日本科学未来館でも、震災で吹抜の天井板が崩落したが、5月7日現在、天井板を原状復旧せず、落ちても危害の少ない新たな天井を目指す改修が東京大学の川口健一氏を中心に進んでいる。この動きは今後拡大するだろう。
★2──http://www.yomiuri.co.jp/column/politics/20110425-OYT8T00412.htm

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