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新たな段階に入った?──「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」
村田真(美術ジャーナリスト)
2012年08月15日号
先月末からスタートした越後妻有アートトリエンナーレ2012のレビューをお届けします。2000年から3年ごとに開催し、第5回目にして到達した「新たな段階」とは?
○約760平方キロもの広大な山野に作品が点在していること
○過疎地の地域振興策として企画されたこと
○国際的に活躍するアーティストが多数参加すること
○地域の素材や文化資源を作品に生かしていること
○住人たちとともにつくり上げていくこと
越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」の特徴をまとめればこんなところだろうか。だが、これらの特徴が過去4回すべてに当てはまるわけではなく、少なくとも2000年の第1回は上から3つ目までであり、あとの2つは2回、3回と続けていくうちに獲得していった特質と言えるだろう。当初は住人たちの反発が強くて地域に深く入り込めなかったが、回を重ねるうちに少しずつ受け入れられ、住人たちとの「協働」が実現し、空家や廃校を展示空間として利用したり、地域の歴史や文化を作品に採り入れたりしていくようになったからだ。
いずれにせよ、都会から離れた過疎地のデメリットを、アートの力と地道な努力によって越後妻有ならではの魅力に変えていった逆転の発想がここにはある。これを「越後妻有方式」と呼ぶなら、その後立ち上がった新潟市の《水と土の芸術祭》」も《瀬戸内国際芸術祭》も「越後妻有方式」を踏襲したものであり(もっともこの3つの芸術祭のディレクターを務めたのはいずれも北川フラム氏だが)、またそれがここ数年のアートツーリズム・ブームの起爆剤となったことは間違いない。ただし、アートツーリズムがアートの受容者を増やし底辺の拡大につながる反面、アートの通俗化を招き、国際展を遊園地化させかねない危険性をはらんでいることも指摘しておかなければならない。
建物内での作品展示が増えた
さて、第5回である。回を重ねるごとに「進化」と呼んでもいいような成長・発展を遂げてきた「大地の芸術祭」だが、今回はどんな「進化」が見られるだろうか。私はプレス内覧会と開幕日の2日間、主催者側の用意したバスで回ったが、訪れた場所は約15カ所、見た作品は計60作家分ほどだった。数え方にもよるが、過去の制作も含めておそらく400点近い作品のなかのごく一部でしかないことをお断りしておく。この2日間で見た主な作品をタイプ別に記してみると──。
1──空家・廃校など既存の建物での新作
アジア写真映像館(榮榮&映里、何崇岳、石川直樹、森山大道ほか)、川俣正《中原佑介のコスモロジー》、アン・ハミルトン《金属職人の家》、小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会《油絵茶屋再現》、もぐらの館(日置拓人+本田匠、内田鋼一、中里和人ほか)、十日町商店街の空き店舗(野田智之、石原延啓ほか)
2──新築・リニューアルした専用施設での展示
オーストラリア・ハウスのブルック・アンドリュー《ディラン・ンラング──山の家》、越後妻有里山現代美術館(クリスチャン・ボルタンスキー、レアンドロ・エルリッヒ、エルムグリーン&ドラッグセット、カールステン・ニコライ、クワクボリョウタほか)
3──JR飯山線アートプロジェクト
みかんぐみ+神奈川大学曽我部研究室《下条茅葺きの塔》(下条駅)、アトリエ・ワン+東京工業大学塚本研究室《船の家》と河口龍夫《未来への航海》(越後田沢駅)
4──野外彫刻的作品
高橋士郎《水神》、キドラット・タヒミック《下条プロジェクト》
5──過去作品の修復・ヴァージョンアップ
鉢&田島征三《絵本と木の実の美術館》、小沢剛《かまぼこアートセンター》、マリーナ・アブラモヴィッチ《夢の家》、クロード・レベック《静寂あるいは喧噪の中で》、みかんぐみ+BankART1929《BankART妻有》、蔡國強《ドラゴン現代美術館》
このように分類してみると、初期のころに見られた野外彫刻的な作品が激減し、廃屋・新築を問わず建物内での作品展示がますます増えていること、また、過去4回につくられた作品(空家・廃校も含めて)の修復・ヴァージョンアップにも力を入れていることがわかる。
アン・ハミルトンと川俣正の小宇宙
もう少し詳しく見ていこう。まずは(1)の「空家・廃校など既存の建物での展示」から。バスツアーで最初に訪れたアジア写真映像館は、以前フクタケハウスとして使われていた旧名ヶ山小学校の校舎を再利用したもの。日本と中国の写真家によるグループ展を開催中だが、これには少々がっかりした。個々の写真や映像は越後妻有や里山をテーマにしたものもあって悪くないけれど、彼らの関心の大半が写真のフレーム内に向けられ、それが置かれた空間・環境にはあまり注意が払われていないように感じられたからだ。これは写真や映像というメディアの特性なのかもしれないが、せっかく廃校を舞台にしているのにもったいないと思う。
「もぐらの館」も廃校を利用して「土」を素材・テーマとする美術館にしたもので、アーティスト、左官職人、陶芸家、写真家などが土に関連する作品を展示している。これも基本的に教室や廊下を展示室として使い、空間全体を作品化しようとする作家は少ないけれど、素材が土だけに写真や映像よりずっと触感的で泥臭く、親近感がわく。
温泉施設内のゲートボール場に、明治初期の「油絵茶屋」を再現したのは小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会。これは昨秋、浅草で発表された「油絵茶屋再現」の巡回で、美術史的にはとても興味深い試みだけど、私的にはもうすでに見ちゃったし、そもそもこれは浅草で再現することに意味があるのに、それを越後妻有のゲートボール場で再々現することにどんな意味があるのだろう。と書いてるうちに、その唐突な無意味さも捨てがたいと思ったりもする。
アン・ハミルトンの《金属職人の家》は、かつて板金屋が暮らしていた空家から想像を膨らませ、さまざまな音の出る装置をつくって家全体を作品化したもの。彼女は山の中腹にある蔡國強の《ドラゴン現代美術館》周辺にも音の出る作品を設置しているが、《金属職人の家》のほうが外の世界に呼応しつつ小宇宙として完結しているように感じた。やはり実力のあるアーティストがその気になれば質の高い作品をつくるものだと感心する。
もうひとり、実力のあるアーティストとして挙げたいのが、昨春亡くなった美術評論家・中原佑介氏の約3万冊にもおよぶ蔵書を使ったインスタレーション《中原佑介のコスモロジー》を発表している川俣正だ。場所は、彼が提唱して設立されたCIAN(インターローカル・アート・ネットワーク・センター=地域芸術研究所)で、生涯学習センター(その前身は小学校)として使われていたところ。作品は数百個の本箱を螺旋形のドーム状に積み上げて書物を並べたもので、背表紙の書名を見ながら内外を行き来するうちに、あたかもこの評論家の頭蓋骨の内部をのぞき見るかのような錯覚に襲われる。アン・ハミルトンと共通する点があるとするなら、ローカルとグローバル、ミクロとマクロを貫く「グローカル」なダイナミズムを感じさせることだろう。ちなみに中原氏は「大地の芸術祭」の第1回からアドヴァイザーを務めたが、このインスタレーション自体は越後妻有とは直接関係がない。にもかかわらず、これが今回見た新作のなかでもっとも心を動かされた作品だった。
古着の山でスベったボルタンスキー
(2)の「新築・改装した専用施設」では、まずオーストラリア・ハウスを挙げなければならない。空家を借りた初代オーストラリア・ハウスは昨春の地震で倒壊してしまったため、「安くて、小さくて、頑丈」を条件とした設計コンペがおこなわれ、アンドリュー・ バーンズ・アーキテクトによる三角形を基調とするモダンなプランが選ばれた。この建築の良し悪しはともかくとして、少なくとも言えることは、観客にとってもアーティストにとっても年季の入った以前の木造民家の魅力にはおよばないだろうということだ。そのなかで発表されたブルック・アンドリューのインスタレーションも建築と一体化したモダンな作品で、この地域から浮いてしまっている。
そして今回の目玉ともいうべき越後妻有里山現代美術館。「キナーレ」の愛称で知られる越後妻有交流館の回廊部分を展示空間に改装したものだ。その広大な中庭におびただしい量の古着を敷きつめたのが、クリスチャン・ボルタンスキーの《NoMan's Land》。中央に古着の山を築き、クレーンが服をつまみ上げては放すという動作を繰り返している。残念ながらこれは成功したとは思えない。もっとうまくつくれば感動したかもしれないが、古着の山がハリボテにしか見えないし、ところどころ立ち上る煙も演出過剰でわざとらしい。ボルタンスキーはぴったりハマると感動的だが、逆に少しでも外すと「感動させてやろう」という計算が見えてしまい興ざめなのだ。第一この作品、ガイドブックの図版で見る限りパリのグランパレですでに発表されたものだし。たとえ巡回作品でも(比べるのもなんだが)小沢剛らの《油絵茶屋再現》のようなユーモアもないし。制作の苦労がしのばれるだけに、もったいない。
美術館内のほかの作品も見てみよう。レアンドロ・エルリッヒ、エルムグリーン&ドラッグセット、カールステン・ニコライ、カルロス・ガライコア、カールステン・ヘラーなど国際展でもおなじみのアーティストたちの作品が並んでいる。日本海側の過疎地によくぞこれだけのアーティストたちが参加してくれたもんだと感心するが、しかしその作品は(たとえ越後妻有に取材したものであっても)ホワイトキューブの無機質な壁に阻まれて外の世界とつながらない。オーストラリア・ハウス同様、地域から浮いてしまっている印象だ。
(3)の「JR飯山線アートプロジェクト」は、ローカル線の駅前にアートを設置する新たな試み。みかんぐみ+神奈川大学曽我部研究室の《下条茅葺きの塔》も、アトリエ・ワン+東京工業大学塚本研究室の《船の家》も、建築家による美術館的機能を備えた建築的作品なので、(2)の「新築」にカテゴライズしてもいいかもしれない。越後田沢駅前に建てられたアトリエ・ワンの《船の家》は、その名のとおり内部に船を使った河口龍夫の作品《未来への航海》を収めた大きな納屋のような建物で、美術館の役割も担う。
一方、下条駅前に出現したみかんぐみの塔は、高さ11メートルの異様に細長い屋根の内側にこの地区で集めたさまざまな民具を掛けたもの。建築自体がひとつのアートであり、駅前のシンボルにもなると同時に、民芸博物館としての機能も備え、かつまた民具の展示がインスタレーションとしても見るに耐えるという重層的な構造になっている。住人たちの協力を得て、地域の文化資源を再発掘したという点でも、まさに越後妻有ならではの優等生的作品といっていいだろう。
(4)と(5)は新しい傾向とはいえないので(それよりなにより紙数が尽きたので)省略する。
中原佑介の「脱芸術」をキーワードに
さて、今回はどんな「進化」が見られたか。たとえば、越後妻有里山現代美術館やオーストラリア・ハウスなどの新たな展示空間の増設は「進化」と呼べるだろうか。ほかの場所であればこれらは間違いなく「進化」と呼べるが、越後妻有でそう呼ぶのはためらわれる。空家・廃校の修復を含めた過去作品のヴァージョンアップも同様、その場所が「美術館化」し、それらの作品が「芸術」としてエスタブリッシュされるという意味において、「進化」と呼ぶのはためらわざるをえない。なぜなら「大地の芸術祭」が目指したものは、越後妻有の地に都市と同じような美術館を増やしていくことでもなければ、都市で見られるような美術作品を誘致することでもなかったはずだからだ。ならば「大地の芸術祭」が目指したものはなんなのか。
ここでヒントにしたいのが中原佑介氏の言説だ。前述のとおり中原氏はこの芸術祭のアドヴァイザーを務め、毎回カタログに論考を寄せていたが、第4回の(氏にとっては最後の)カタログのなかで彼は「脱芸術」という言葉を使っている(その前の第3回のカタログでは同様の意味で「前芸術」という言葉を使っていた)。「脱芸術というのは、既成の芸術の呪縛からの開放を志向する芸術」(中原)のことで、これを私なりに解釈すれば、美術史やマーケットや美術館といった美術を美術ならしめている強固な制度から免れようとするアートのこと。中原氏は越後妻有の作品群に「脱芸術」の方向性を見出し、それゆえに「芸術からの開放感」を感じることができたという(「脱芸術」の例として挙げているのは蔡國強と川俣正)。
この中原氏の視点に立てば、今回の芸術祭は明らかに「脱芸術」の方向性から逸脱している、つまり「芸術化」に向かっているというべきだろう。たしかに里山現代美術館が開設されれば1カ所でたくさんの作品が見られるようになり、便利になる。既存の作品もヴァージョンアップすることで「芸術的価値」を上げるはずだ。これで観客が増えればアートツーリズムとしては大成功といえるだろう。だが、はたしてそれが「大地の芸術祭」の望んだものだろうか。もしこの芸術祭が中原氏のいうように「脱芸術」を目指しているとすれば、今回の試みは「進化」どころか「退行」といわざるをえないのではないか。
いいつつ、実は私は退行とは思っていないし、ましてや 失敗とは考えてもいない。それは、逆説的だが「脱芸術」に必要なのは「芸術」だからだ。「芸術」があるから「脱芸術」も成り立つ。こ れまで「芸術」は東京をはじめとする都市部にあり、そのカウンターとして越後妻有の「脱芸術」が有効性を持った。言い換えれば、ここ では「芸術」は仮想敵でしかなかった。ところが、里山現代美術館が開設されることで「芸術」が確立され、越後妻有で新たに「芸術」と 「脱芸術」の本格的な闘争が開始されるはずだ。それによって、中原氏の指摘した越後妻有の「脱芸術」性はますます強度を増していくに 違いない。どうやら「大地の芸術祭」は新たな段階に入ったようだ。