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都市におけるゲリラ的表現の可能性──JR「世界はアートで変わっていく」レビュー
荏開津広(著述/翻訳)
2013年04月15日号
対象美術館
外苑前の私設美術館、「ワタリウム美術館」でストリート・アーティストとして名声を獲得したJRの展覧会が現在行なわれている。ここではこの展覧会のレヴューをするが、そのために、ストリート・アートの展覧会には、これまでにどのようなものがあったかを振り返ってみながらこの記事を進めていこうと思う。
ストリート・アートを展示する試みの系譜
ストリート・アートの定義★1については美術家の大山エンリコイサム氏と共同でこの現代美術用語辞典ver.2.0(現在、「Artwords」と改称)に寄稿した。「都市空間や路上などの公共空間でゲリラ的に行なわれる表現の総称」というセンテンスは今でもこれ以外に書きようがない──書くと煩雑に過ぎる。しかし、こうした「ゲリラ的に行なわれる表現」は、例えばアラブの春や、もしくはフクシマの路上に殴り書きされた政治的な意図をもった落書き(グラフィティ)とどう区別されるべきなのか、それさえも曖昧だ──というか誰もそのようなことは問題にしていない。というのは、JRのアートも含めて、「1970-80年代のニューヨークで発展したグラフィティ」からストリート・アートという「一連の文化的動向」が、その外側から評価を受けたのは、「落書き(グラフィティ)」や「ストリート・アート」の担う社会的な役割が主に美術を扱う場所やメディア★2でスポットを浴びたことと無縁ではない。JRのアートと「FUCK TEPCO」とスプレイで描かれた落書きは違う。しかし、その文脈でどう違って、どのように美術として──展覧会をするのだから──評価するべきなのか、そのことは今でも不問のままである。それとも、ストリート・「アート」として独自の判断基準があるのだろうか。
ストリート・アートは、無数のギャラリー・ショウだけでなく、「大型美術館での本格的な紹介も年々増えつつある」。そのうちの決定的なひとつは、2011年にLAのMOCAで行なわれた「ART IN THE STREET」展である。シティ・グループのバイヤーとして活動していた1980年代からシーンに関わってきたMOCAのディレクターのジェフリー・ダイチに、外部からのゲストとしてキュレーションを担当した2人、すなわち「The History Of The American Graffiti」の著者であり、90年代にグラフィティのジンの発行者であったロジャー・ガストマン、そしてバリー・マッギーやエスポ、シェパード・フェアリーを含む多くのストリート・アーティストをフィーチャーした映画『ビューティフル・ルーザーズ』を監督したアーロン・ローズの組み合わせは、この種の展覧会──アメリカ国内での初の大型美術館でのストリート・アート/グラフィティのサーベイ──にとって他に考えられないものだ。ジャン・ミッシェル・バスキアやキース・ヘリングといった1980年代の最初の波で美術界にスターとなったアーティストのみならず、バンクシー、スゥーン、オス・ジェメオス、ラメルジー、マーガレット・キルガレン、ネックフィエス、それにゴードン・マッタ・クラークからエド・テンプルトンまでが倉庫のようなMOCA別館の建物のなかに展示されたこの展覧会自体がステートメントである。アウトサイダー・アートと似て、アカデミックな素養を欠落させたアーティストと(数少ないが)そうした背景を持ったアーティストを同時に並べることにより、ストリート・アートを現代美術の文脈に組み込む/看取る試みである。
日本では、LAより先に美術館でのストリート・アート/グラフィティの展覧会が開催されている。「GRAFFITI IN JAPAN」と副題された「X-COLOR」展が2005年に水戸芸術館で行なわれており、窪田研二氏は同展カタログ★3にこう記している。「グラフィティは自由と破壊を象徴する表現」であり、「他のどの表現も出来なかった方法で世界中の怒れる若者たちを結びつけている」とし、そのうえで「そうした社会的側面だけでなく、造形的で美的な側面も同等に重要な要素として存在」★4する、それは「イメージとテキストが融合し、新たな意味が誕生するという部分では、グラフィティは書(カリグラフィ)に親和性の高い芸術表現と言える」★5。続いて「前衛芸術としてのグラフィティ」という章で、氏は未来派、ロシアン・アヴァンギャルド、ポップ・アート、フルクサスといった固有名詞とグラフィティを論ずるため並べ、最後に結論として、「この神経症的な監視社会において、グラフィティ・ライターは生(エロス)の本能が生み出す心的エネルギーを視覚化し、人間を人間たらしめている自由と創造性という現代社会において抑圧されている要素を、美的な戦術を通じて奪い返そうとしているのだ」★6とする。同カタログには最近音楽についての本を出された能勢伊勢雄氏も寄稿しており、ユルゲン・ハーバーマスやハンナ・アーレントの名前と前後して、氏はこう書く。「執拗に復活するグラフィティ。それは抹殺不可能な群衆の不屈の〈生〉の存在証明に他ならない」★7と。「グラフィティは『国家』の成立基盤にかかわる〈私有財産〉と〈公共圏〉に対する警告であり、今日のグラフィティライターの姿は70年代街頭デモでシュプレヒコールを繰り返した私達自身の現在の姿であるといえる」。この展覧会は、2000年暮れのアメリカでのバリー・マッギーやトッド・ジェームスが参加した「ストリート・マーケット」展★8にも似て、美術館の外側の要素がアーティストの展示の一部として持ち込まれたり、再現されたのである。車、ジーンズ・ジャケット、トタン小屋、スニーカーetc…。
ストリート・アートの展覧会では、どのように文脈化が働いているかが問題の要点になるが、この二つの展覧会を見るとき、後者で〈生〉が強調されているのは注目してもいい。ひとつには国内でのグラフィティ/ストリート・アートの展覧会や議論は、抽象化が高くならざるをえない。また個別の視覚的表現よりも社会的文脈を持ち出しやすいということだと僕は考える。
ストリート・アートの要──相互関係性、匿名性
JRの活動と作品は、グラフィティではなく、「より広い社会的・政治的メッセージ性、都市・建築などの空間に対する意識、現代美術のコンテクスト、さまざまな素材やテクニック、アイディアなどを取りこみながら実践」されているストリート・アートであり、アイ・キャッチーかつコントラストの強い白黒写真のプリントは無数の写真の被写体を公共に送り出し、メッセージを発信し、彼を文化的、アクティヴィスト的な意味での名士に仕立てあげた。
ワタリウムでの展示は、限界のあるスペースで(彼の知られている作品は、ブラジルやアフリカの貧民街のかなりの部分を占めているようなスケールを誇る)彼の活動を紹介する展示部分と、観客が彼の作品の一部になることができる部分に分かれている。彼の外側でのプロジェクトは、例えば東北に出かけていき、かの地の無名の主人公たちの写真を撮影し、それを野外に張るというもので、基本的な手法は海外での作品と変わりがない。ここではそのことが説明され、疑似体験できる。紙が積み重ねられて作られた仮設の壁、自分たちの顔を見上げる展示、スペースの使い方は巧みで適切である。訪れた人々は、ポスター・サイズの自分の肖像写真をJRの作品に特徴的なドットを背景に撮影することが可能で、それを野外に貼ることは自由であり、後にワタリウムのサイトでも紹介される。ストリート・アートの重要な要素の相互関係性や匿名性はJRの作品の本質にも関わる。作品の手法に秘密はなく、オープンであり、無名の主人公たちに手渡されていく。また、それゆえに、この展示を新種のプリクラのようなものとして見誤ることは容易い──事実またそのようにも働く。カップルは週末に訪れてもいい。
しかし、JRの作品が現代美術に関わる文化的活動と都市開発の問題(ジェントリフィケーション)、もしくはそうした動勢から見放されているような地域と人々を扱っていること、また彼の出発点がグラフィティのような「町からつくりだされたアナーキーなアート・ムーヴメント」★9に触発され、都市におけるゲリラ的な表現の可能性に関心を持っているのは明らかである。それはハイ・アートの場の問題、それを成立させている層や条件にJRが狙いを定めているということである。この展覧会が触発するストリートのアジェンダなら、個人的には、どちらかというとこのアジアの都市でなぜプリクラがパフォーマンス・スペースとして広範に流通しているのか、ということだったり、一体誰がどこで見放されているのか、ということに関心がある。しかし、まだまだ、これはまた違う話でしかない★10。