フォーカス

市民の、市民による、市民のためのアート
バーゼルのケーススタディ

木村浩之

2013年10月01日号

 スイス・バーゼル市では、アートの市民への帰属感が強い。
 ひとつには、パブリック・コレクションとしては世界最古となるバーゼル市立美術館のコレクションがあることによる。
 そして、公共空間での作品設置、つまりパブリック・アートと呼ばれる作品が市内外に多く点在しており、アートが市民の目に触れる機会が多く設けられていることによる。
 それだけではない。パブリック・コレクションやパブリック・アートの作品の多くが、多くの個人・団体・企業からの寄贈・貸与作品により形成されており、パブリック性が複層化した相を示している。

コレクションと寄贈作品

 バーゼル市立美術館の作品購入費は、公開されている資料いわく、年間約1.1億円だ。近年4年間(2006-2009)の代表的な購入作品は、オラファー・エリアソン、アンドレアス・グルスキー、ガブリエル・オロスコ、スティーブ・マックイーン、ヴォルフガング・ティルマンス、ダグラス・ゴードンなどの現代作家のものが大半を占めている。高額作品は、ダグラス・ゴードンとガブリエル・オロスコと17世紀のオランダ油彩画の8千万円程度の3作品だが、ほかにも数千万円クラスの作品がいくつもある。したがってこれら「代表的購入作品」とされているリストに掲載されている作品だけで、予算の1.5〜2倍近くになってしまう。それでも収支が合っているのは、その不足分が複数の市民団体からの寄付などによりまかなわれているからだ。こういった美術支援を目的とした市民団体がバーゼルには複数あり、最も古いものは19世紀半ば、もうひとつは1937年に創立されている。これらの市民団体は、美術館の購入作品に対する部分的資金援助だけではなく、団体で共同購入した作品を美術館へ寄贈することも伝統的に行なってきている。
 2012年の例だが、バーゼル市立美術館がボリス・ミハイロフの写真12枚を約2千8百万円で購入した際には、ベルンハルド・メンデス=ビュルギ館長が、市民団体の機関紙に寄付を請願する文章を寄稿している。どの程度募金が集まったのかは確認できなかったが、これは美術館側が無謀な買い物をしたということではなく、1世紀も続いている信頼関係の伝統に則ったプロセスなのだ。
 また、個人の美術館への支援ということでは、近年の以下の例をはずすわけにはいかない。
 現在バーゼル市立美術館の別館が建設中だが、ある個人が隣接する土地購入費を2008年に寄付、そして2010年には建築物の建設費の半分に当たる約55億円を寄付している。
 子孫への相続税が皆無の一方、それ以外への相続・贈与税が最大50パーセントにもぼるバーゼルでは、子どもに恵まれなかった人が老後に寄付・寄贈することが多い。しかし、結婚し、子どももいるこの女性は、バーゼルでは文化支援者として有名で、すでに贅沢な文化関連予算をもつバーゼルの市民に、さらなる恩恵をもたらしている。

パブリック・スペースと寄贈作品

 美術館を出るとさらに「寄贈された」作品の割合が高まる。バーゼルの顔をつくっているパブリック・アート作品群には、市民・企業の手によって設置されたものが多いのだ。
 バーゼル旧市街にあるジャン・タンゲリーの《カーニバル噴水》(1977、コミッション1975年)は、大手スーパーマーケット「ミグロ」が創立50周年を記念してバーゼル市に寄贈したものだ。ミグロは、20世紀初頭、自動車が普及し始めた時代に移動販売を始め、辺鄙な場所の多いスイスで絶大な支持を受け急成長したスーパーだ。現在ではカルチャースクール、保険会社、銀行、ガソリンスタンドなどに加え、現代美術館(チューリヒ、1996年創立)までも擁する巨大企業である。1957年に「ミグロ・カルチャー・パーセント」制度を自ら制定し、それ以来、利潤の1パーセントを文化支援に充て、上記の現代美術館、芸術家奨学金プログラム、各種イベントの主催・支援などを行なっている。このバーゼルの噴水は、20世紀初頭の火事で消失した旧市立劇場の舞台があった象徴的な場所に設置された。タンゲリー独特の無意味で反復的な動きで1年中休むことなくしぶきをあげながら、市民の憩いの場として、市民と文化を接続する舞台装置として、バーゼル市にはなくてはならないものとなっている。
 にぎやかな《カーニバル噴水》のすぐ隣に設置されているのはリチャード・セラの《インターセクション》(1992)だ。ミグロによる寄贈の約20年後に設置されたこの作品は「273人の個人が合同でバーゼル市に寄贈した」と脇のプレートが伝えている。しかし寄贈者の詳細などは一切書かれていない。ここで留意したいのは、匿名性ではない。273人という数字だ。おそらく上記市民団体のような組織で意見をまとめ、寄付を集め、購入したのではないかと思う。それがいわんとすることは、大金持ちでなくても寄贈はできるということ、そしてそういった小さな個人の意思をまとめてひとつの大きな実をみのらせることのできる土壌がバーゼルにはあるということだ。文化においては、個々人が大企業に肩を並べることができるということを象徴的に示す場となっていると言っていいかもしれない。


劇場広場のジャン・タンゲリー《カーニバル噴水》(1977)
青年期までバーゼルで育ったタンゲリーは、10体のキネティック噴水をバーゼルで500以上の伝統を誇るカーニバルに見立てている。厳しいバーゼルの冬季にも水は止められず、巨大な氷の塊となり、その大きさによって寒さが測れる。奥にリチャード・セラ《インターセクション》(1992)が見える[著者撮影]


劇場広場のリチャード・セラ《インターセクション》(1992)
ある展覧会の一作品として期間限定で設置されたものを、市民が買い取り現在までいたる。1975年竣工の新劇場の入り口前にあり、待ち合わせ場所によく使われている。背後に見えるのは、地元の作家ルネ・キュングによる『月の指揮者』(1980年)。スイス銀行コーポレーション(現UBS銀行)からの寄贈作品だ。ちなみにセラの屋外作品はバーゼルであと2つ見られる。ひとつはバーゼル近郊の公園内にある《Open Field Vertical/Horizontal Elevations》(1980)で、もうひとつはバーゼル市内のノヴァルティス製薬敷地内に設置されている《Dirk’s Pod》(2004)だ[著者撮影]


エッシェン広場のジョナサン・ボロフスキー《ハンマリング・マン》(1989)
都市計画上の建物後退線により手前にできた空地に設置されているため、あたかも公共空間にあるかのように見える。バーゼル駅からほど近く、すぐ隣にはBIS国際決済銀行があって歩行者・トラム・自動車ともに交通量の多い広場だ。同様の作品はフランクフルトなど各地にあるが、ここバーゼルのUBS銀行のものは最も古い部類に属する。高さは13.5メートル[著者撮影]


ダニ・カラヴァン《Old-New City Crossed by a River》(1971)
上記エッシェン広場と劇場広場の中間くらいにある事務所ビルに設置されたレリーフ作品[著者撮影]

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