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現在へのノスタルジア(「MOTコレクション特別企画 クロニクル1995-」レビュー)

足立元(美術史、美術評論)2014年06月15日号

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 懐かしさと新鮮さは矛盾しないのだろうか。毎年夏の東京都現代美術館(都現美)は、親子連れで賑わう大型展覧会の隣で、中規模のハードコアな企画展をひそやかに開催している。今年は、奥にある常設展示室のすべてを使い、「クロニクル1995-」と題し、同館が開館した1995年から現在までの美術を振り返る。そのキュレーションが示すのは、大きな社会的・文化的事象と絡み合いながら変容する日本の風景と意識のありさまだ。特に30代以上の世代にとっては、懐かしい美術が現在と接続するものとして語られることの面白さもあるだろう。

鎮魂のメディアスケープ

 展示は2部構成となっており、常設展示室3階の第1部「about 1995」では90年代に活躍した22名の作品80点を、第2部「after 1995」では90年代後半以降に活動を開始した、中堅から駆け出しまでの21名(組)の作品約40点を紹介する。出品作品のほとんどが都現美のコレクションもしくは寄託であるが、東京都写真美術館や作家蔵のものも含まれる。
 会場で、鑑賞者は同館の藪前知子が執筆したリーフレットを頼りに歩く。その冒頭に記されているように、1995年は、敗戦から50年、阪神淡路大震災に加えてオウム真理教の地下鉄サリン事件、Windows95の発売にともなうインターネットの普及など、さまざまな点で今日につながる転換点の年と目されてきた。このテキストで藪前は、三浦展や大澤真幸ら社会学者の言説を踏まえ、90年代の社会と美術の見取り図を示したと言える。
 だが、この評では、そのリーフレットの文脈に沿ってではなく、文化人類学者のアルジュン・アパデュライが『さまよえる近代──グローバル化の文化研究』(門田健一訳、平凡社、2004)の中で提唱した「メディアスケープ」と「エスノスケープ」という言葉を頼りに考えてみたい。というのもこの展覧会は、第1部「about 1995」の最初と最後に象徴的な「風景」が現われ、言外のうちに今日的な「風景」のあり方を問うことに力点が置かれていると見えるからだ。
 会場に入ると、まさに「1995年の風景」というキーワードとともに、芦田正憲による阪神・淡路大震災の被災現場の写真とホンマタカシによる郊外の風景写真から始まる。見慣れた下町が突如廃墟と変貌するありさまと、都市と自然のあわいが人工化されていく営みは、風景が日本人のアイデンティティを象徴するというような伝統的な風景論の射程を飛び越えている。ここで「風景」は、人間にとって困惑と悲しみをもたらすものとして、あるいは異質でありつつも同質的で懐かしいものとして、立ち現われる。
 続く部屋に並ぶ、都築響一の「ROAD SIDE JAPAN 珍日本紀行」シリーズの写真もまた、田舎の日常の風景にいつの間にか闖入していたハリボテのカエルなど奇異なものを見せる。それに対置される大竹伸朗の「ぬりどき日本列島」シリーズのドローイングは、場末のスナックやひなびた観光地ポスターを基に描いてコラージュのように集積された「風景」であり、都築の写真シリーズと共鳴している。
 そして第1部の最後の部屋では、暗闇のなか、宮島達男と八谷和彦が鮮やかな対となって展示される。一般的な認識として、繰り返される生と死をデジタル・カウンターの明滅で表わすという宮島のストイックな作風と、可愛らしいメールソフト「ポストペット」で知られた八谷のポップな作風は、相容れないかもしれない。だが、八谷の《見ることは信じること》(1996年、作家蔵)は、異質なはずの宮島との共通点を明らかにしてくれる。この作品は、大きな電光掲示板に明滅する光の流れが、箱を通して見ると、何気ない日常を記録した言葉だと分かるものだ。
 一見安っぽいレトロな機械に見えるかもしれないが、このいかにも90年代らしいメディアスケープ、すなわち「メディアによって創造される、世界についてのイメージ」(アパデュライ)は、死者たちの鎮魂という物語を持っている。パソコン通信の中に書かれた100人分の日記を、流れ星のように示したこの作品は、その前年の震災で亡くなった多くの人生の総体を想起させるものであり、可憐さに喪失感をともなうものだ。
 こうして冒頭のホンマタカシの写真の光から最後の八谷和彦の電気の光まで、「風景」と、生と死をめぐって、光の円環を結ぶように第1部が終わる。途中に登場する、小沢剛による世界各地の名所風景を背後に地蔵の絵をモノクロで撮影した「地蔵建立」シリーズは、この時代の死者たちを弔う役割を担うようにも見えてくる。キュレーションの妙味だろう。


ホンマタカシ《「東京郊外」幕張ベイタウン、千葉県美浜区》1995−1998年
Takashi Homma, TOKYO SUBURBIA: Makuhari Bay Town, Chiba, 1995-1998


八谷和彦《見ることは信じること》1996年、作家蔵、撮影=大島邦夫  
Kazuhiko Hachiya, Seeing is Believing, 1996, Collection of the artist, Photo: Kunio Oshima


小沢剛《地蔵建立 上九一色村、1995年8月10日》1995年
Tsuyoshi Ozawa, Jizoing, Kamikuisshiki Village, August 10, 1995, 1995

美術のエスノスケープ

 第1部「about 1995」の途中にある絵画のコーナーでも、少し意外だが見ると納得のいく組み合わせが何度も現われて、楽しませてくれる。例えば、会田誠の《たまゆら(戦争画RETURNS)》の背後には、O JUNの《光景図−宮城と一輪車》が掲げられる。巧みな再現描写の技術で歴史を軽やかに風刺する会田と、粘稠感と透明感のある大味な油彩の造形で長閑なユーモアを示すO JUNが並ぶことで、互いの緊張と弛緩が豊かに交じり合った空間が生まれている。
 ほかに絵画では、奈良美智、落合多武、小林孝亘、杉戸洋など、90年代の美術シーンにおいて輝かしく登場した者たちの作品が並び、子ども文化やサブカルチャーまで、その時代の若い世代を夢中にさせた感覚を呼び起こさせる。これもリアリティにほかならない。
 さらに、3階から1階に降りると、第2部「after 1995」として、1995年以降に活動を開始した美術家たちによる作品が展示されている。それらは、作家寄贈と寄託を含むが、ほとんど都現美がここ数年のうちに新しく購入したものだ。
 ところで都現美を含め公立美術館の購入については、内部の特権的なキュレーターひとりで決まるものではなく、外部の委員も含めた合議によって決まる。この展覧会では、残念ながら同時代の日本の美術の主要なものすべてを見ることは出来ない。だが、こうした合議によって購入に選ばれた最近の作品=公共の資産をとおして、むしろエスノスケープ、すなわち人々の集合的な意識や価値観の変転にこそ注目すべきだろう。
 第2部の展示は、小谷元彦による、自身の幼少期の不安を象の怪物のような形に託した木彫《僕がお医者さんに行くとき》(1994年)から始まる。すでに国内外で知られる美術家だが、敢えて東京藝術大学の学部在学中の作品を購入に選ぶのかと意表をつく。それは未熟な作品かもしれないが、都現美は、今後小谷の評価がさらに高まることを見越して、敢えて初期の作品を購入したのだと思われる。
 さて、アパデュライが論じるように、エスノスケープはローカリティを生産する場であるが、その背後にはグローバルな力学が大きく作用している。展覧会では、ビエンナーレやトリエンナーレといった大きな国際展に出品されて話題になった美術家の作品を、都現美が次々と購入していたことが分かる。例えば、照屋勇賢による世界各地のマクドナルドの袋を木の形に切り抜いた作品や、田中功起による段ボール箱をサッカーボールのように蹴り上げる動作を無限にループする映像がある。それらの購入は、美術館の戦略としては手堅い一手であると同時に、見えざるグローバリゼーションの手のうちに行なわれ、正統化されるものだろう。
 一方で、都現美が大胆な購入を行なっていたことも明らかにされる。1982年生まれの、美術家としての公的な活動歴は4年ほどの若い美術家の作品も購入していたのだ。それは「指差し作業員」=竹内公太による、福島の原発事故後に作業員として行なったゲリラ・パフォーマンス的な行為を素材にした二つの映像作品だ。反社会的な要素を含むこの作品を都現美が購入したことは、私たちのエスノスケープにある意外な度量を示すものだが、これが時代の証言としても重要なものであることは間違いない。
 ほかに映像作品では、Chim↑Pomによる都会のカラスを集めて車で走り回る《Black of Death》、小泉明郎による母への電話をユーモアと謎めいた叫びとで自作自演したパフォーマンス《お母さん》、高木正勝による内省的なスペクタクルのアニメーション《Bloomy Girls》《EL VIENTO》が上映・展示される。
 この展覧会では、第1部には映像作品がなかったのに対して、第2部には映像作品が目立つ。だがそれは、けっして偏った歴史を表明しているわけではなく、都現美のコレクションの範囲や戦略が変わったということを示しているにすぎないだろう。
 また、都現美は約4,700点ものコレクションを誇るが、この展覧会にあるべき美術家・作品の不足を挙げてもきりがない。むしろ注目すべきは、最近の収集から見えてくる、数十年後の美術史・美術館のあり方だ。これらの新しい購入は、派手なものばかりではないが、未来への大きな賭けとして注目に値する。賭け金が少なすぎるように見えるが、果たしてどうなるだろうか。

さまよえる90年代

 都現美開館の前年、ロイ・リキテンスタインの《ヘア・リボンの少女》(1965年)を6億円で購入したことで、「なぜ漫画にそんな高額を」と都議会やメディアで紛糾し、ここはゴシップの的として注目されていた。
 そして95年3月の開館展「日本の現代美術:1985-1995」は、戸谷成雄、森村泰昌、荒木経惟、柳幸典、川俣正など、今も活躍する18人の美術家などを集め、「日本国内の最も新しい美術状況を国際的視点から概観しようとするもの」(同展図録)であった。だが、巷間では「もの足りない」「印象に残らなかった」と、さんざんな評判だった。同展の図録もまた、粘土色の、およそ華やかとは縁遠いデザインである。
 普通は敢えて批判をしない新聞紙上でも、この開館展について「企画性なきあいまいな企画、国際化への意識、行政との関係、準備期間の乏しさ、そして内向と洗練──。日本の美術界の、さらには文化や社会を巡る状況が表出されている」と酷評されていた(大西若人「独自美術館作りへの出発 日本の現代美術1985-1995」『朝日新聞』1995年5月1日夕刊)。
 「クロニクル1995-」の展示は、この95年の開館展をなぞらなかったし、都現美開館をめぐる状況にも触れなかった★1。出品作家では、宮島達男と舟越桂が開館展と重なっているし、展示室外の小さなディスプレイに開館展の写真を映しているが、それを掘り下げて検証することはない。
 開館展の中でも、企画展示室の大きな吹き抜けに展示された、蔡國強が福島県いわき市で行なったアートプロジェクトの作品は、むしろ東日本大震災を経た今日でこそ振り返るべき作品だと思われる。それは木造廃船の木版と地震計からなる、高さ999cm(約10メートル)の三丈塔で、廃墟の趣を持つものだった。予見的な作品だったと言えるかもしれない。
 かつて都現美では2005年に「開館10周年記念 東京府美術館の時代1926-1970」展という、地味だが優れて自己言及的な展覧会を開催したことがある。それは、都現美の母体となった上野の東京都美術館が、どのようにして建設され、戦中どのように使用され、戦後アヴァンギャルドたちがどのように阻止されたか、負の歴史も含めて検証する展覧会だった。だが「開館20周年記念」を冠する「クロニクル1995-」展は、そうした「東京都現代美術館の時代」展とはなっていない。
 負の歴史といえば、そもそも都現美の建物のデザイン自体が犯罪的だ。道路に面した入口にあって、入る者を拒むようなコンクリートの巨大な衝立。無駄に長く大きなエントランスロビー。歩き回ると徒労感のある展示室の配置。毎回効果的に使えるとは限らない大きな吹き抜け。なによりもあの交通が不便なうえに地盤の弱い場所に作ったことが、文化行政の、美術に対する裏切り行為ではなかったか。
 当時、写真家の藤原新也は、開館前の都現美について次のように語っていた。「私が五百億円の税金を現代美術に投じるとしたら、芽のある若いアーチストを育てることに使う。(中略)日本は国や企業が富み、市民は貧しい。美術館を造るのにも反映している。お役所は、国際化の時代にふさわしい施設をと言っているらしい。一般都民がさっぱりわからない現代美術を集めて自己満足をするよりも、アーチストを育て、その作品や人を海外と交流させることが、本当の国際化なんだ。」(「アーチスト育てよ 藤原新也さん(TOKYO私ならこうする)」『朝日新聞』1994年11月29日朝刊)。
 20年前の批判は古びていない。しかし、藤原が望んだあり方は、いまでこそ、わずかに実現しつつあるだろう。現在の都現美が70年代以降に生まれたアーティストの作品を積極的に購入することについて、藪前はギャラリートークで「少ない予算の中から、若手アーティストの作品を購入している。これは支援であり、継続的なフォローをしていきたい」と話していた。
 開館から19年を経て、美術館の周囲の町並みも少し変わった。同潤会アパートのような古い建物が消え、一方で新しいギャラリーが登場している。そして、もし2014年の美術シーンが95年よりも盛り上がっているとするならば、それは必ずしも都現美があったからではなく、それぞれの美術家や美術関係者(そこには都現美の職員も含まれる)が、どうしようもない文化行政や制度に対して怒りを抱き、奮闘してきたからだろう。いつか人間臭いその歴史を振り返るならば、それを行なうのは都現美をおいてほかにないはずだ。

★1──関連イベントとして、6月14日にシンポジウム「1995年に見えてきたもの」が同館で開催された。パネラーは、批評家の佐々木敦、美術批評家の椹木野衣、ライター・編集者の速水健朗、国立新美術館副館長の南雄介。評者は冒頭を聞き逃したが、司会でもある藪前が95年の都現美開館展と「ひそやかなラディカリズム」展(都現美、1999年)、「日本ゼロ年」(水戸芸術館、1999年)、「夏への扉 マイクロポップの時代」展(水戸芸術館、2007年)について触れ、「クロニクル1995-」展がそれらへの応答であることを述べた。シンポジウムでは「90年代は60年代に似ている」(速水)などの刺激的な発言が飛び出し、90年代をよく知る世代が熱く語る場であった。おそらくゼロ年代については、いまのところまだそのような熱い語らいはあり得ないだろうと思われる。

開館20周年記念 MOTコレクション特別企画 第1弾「クロニクル 1995-」

会期:2014年6月7日(土)〜8月31日(日)
会場:東京都現代美術館 常設展示室 1階、3階
東京都江東区三好4-1-1/Tel. 03-5245-4111

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足立元

1977年生まれ。美術史家。専門は日本近現代の美術史、漫画史、評論。2000年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。2008年東京芸術大学教育研...

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