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思考の結晶としての住宅(「戦後日本住宅伝説—挑発する家・内省する家」展レビュー)
南泰裕(建築家)
2014年07月15日号
対象美術館
いまさらではあるけれど、住宅という存在は、考えてみれば不思議である。それは私たちの身体がそうであるように、ふだん、特別な問題が起きなければ、特に意識の俎上にのぼる対象ではなく、人々の背後へと退いてその活動の舞台をなす母胎のようなものだろう。それは自らの身体と同様、何か不具合が起こったり、生活上の欠落感や不自然な事態を迎えて初めて、急に視野の中に映り込み始め、具体的なモノの集積体としての手応えを持ち始める。不意の痛覚こそが、それを意識の次元へと持ち上げるのだ。だから住宅は、本来は意識しなければそれに越したことがないような、生活の「容器」であり「背景」であり、それは芸術でも建築でもなく、愛でるものでも文化的産物でもなく、あって当然であり、安寧で平和な居住を支援する場としてある以上のものではない、と誰もがまずは思うだろう。
しかし、それがひとたび「作品」として措定された瞬間に、住宅という概念はガラリと様相を変え、えも言われぬ鮮やかな光芒を放ち始める。誰もがあっけにとられるほどに、そこには人間の極限を示唆するほどの密度の濃い思考が込められていることを発見するからである。そのときに住宅は、「芸術か否か」「建築か否か」という問いを超えて、人々を日常性の次元から飛翔させ、取り替えのきかない思考の結晶を感触させることになるだろう。
埼玉県立近代美術館で開催中の「戦後日本住宅伝説」展は、厳選された珠玉の住宅作品を丁寧に紹介することで、建築家による、そうした思考の結晶化を、十全に伝えてくれる。丹下健三から安藤忠雄に至るまで、1950年代から1970年代の、日本を代表する建築家による16件の作品が取り上げられ、それぞれ図面・模型・写真・映像その他によって多元的に紹介されている。会場に入ると、まず「ミスター近代建築」と呼ばれ、国家的建築家の名をほしいままにした丹下健三の自邸が現われ、そのシンプルで伝統的な気配を帯びた住宅の佇まいに、目を奪われてしまう。そこから、増沢洵、清家清と、ほぼ時代順にそれぞれの作品が紹介されながら、50年代、60年代、70年代の住宅作品が並ぶ。70年代の作品コーナーでは、まさに百花繚乱の作品が競い合うように並列して置かれ、同時代の息吹と気配を感じ取ることができる。
それぞれの作品紹介は、「大型の出力写真」「手描きによる原図」「50分の1および30分の1模型」を共通の出展形式としながらも、そこに映像や家具、より大きな模型などが加わり、それぞれのデザインの特徴と相まって、同一形式の中での差異がユニークに表現されている。
そのようにして、最後に位置する伊東豊雄の《中野本町の家》に至るまで、めくるめく建築家の思考を、あたかも立体的な絵巻物に入り込み、通過していくように、深々と追体験していくことになる。
今回、紹介されている住宅作品は、建築史的にはいずれもよく知られた名作ばかりであるが、このような形でそれらが一同に介して紹介されたことは初めてではないだろうか。通常、建築展といえば、一人の建築家の作品展か、または複数の建築家による現在進行形の作品を集めたものが多い。住宅は建築の中でも最もパーソナルな部類に属するため、そもそも詳細に紹介すること自体が困難である。その延長で、一人の建築家からひとつの住宅作品を選出し、それを集合させてじっくりと紹介することは、さらに困難を伴うからである。だからこの展覧会は、本来できないことを実現させているという意味で、希有な企画だと言えるだろう。
では、この展覧会から読み取れるものは何だろうか。本展覧会は、約四半世紀にわたる戦後建築家の思考の軌跡を、住宅という観点からなぞることで、興味深い論点を提出している。例えばそのひとつは、これらの作品を眺め渡してみると、建築家の自邸が多いという点である。計16件のうち、丹下健三、清家清、菊竹清訓、東孝光、白井晟一、原広司の住宅はいずれも自邸だし、そこに「母の家」である、毛綱毅曠による《反住器》を加えれば、7件が建築家の自邸ということになる。さらに、親族の家として設計された住宅を含めると、半数以上が自邸または自邸の延長ということになるだろう。これは、戦後から高度経済成長の変化が激しい時代にあって、それぞれの建築家が自らの身をもって、その思想的な態度を建築化したことの証しと言えるだろう。
次に、これらの住宅が建てられた場所を見てみると、北海道の《反住器》、愛知の《幻庵》(石山修武)、大阪の《住吉の長屋》(安藤忠雄)以外の13件は、すべて東京である。これはこれらの住宅が、基本的には「都市型住宅」として、都市と対峙しながら砦を築き、自然を内部に取り込み、自由を確保するための場所として生み出されたのだと考えてよいだろう。
こうした全体的な傾向とは別に、建築計画の観点からこれらの住宅群を総覧してみると、そこには通時的・共時的の両側面から指摘できる方法論が浮かび上がって来て、興味深い。戦後間もない1950年代の住宅には、明らかに「最小限住宅」や「合理化」といった傾向が見て取れるし、1970年代の作品には、都市に対して徹底的に閉じた、内向的な傾向が続けて現われる。がしかし、例えば「ワンルーム」や「コア」、「狭小住宅におけるフロアの積層」や「トップライト」、あるいは地窓による通風や中庭による採光など、現在でも普通に通用する建築的手法は多くの作品で採用されている。それらを鑑みると、この厳選された作品群を検証することで、いわゆる日本における住宅建築のモデルとタイポロジーを描き出すことが可能となるのではないだろうか。
本展覧会が、数ある建築展と比較して出色だと思えるのは、それが各々の「空間」という、追体験の困難なものに、可能な限り肉薄しようとしている点である。いずれの作品においても、ほぼ原寸大に近い大型の出力写真により、あたかもそれぞれの住宅の「生きられた空間」を疑似体験できる形になっている。これらは、CGによる空間の紹介よりも、もっとダイレクトにそれぞれの空間の気配を運んでくれている。計16作品のうち、私が過去に実際に訪れ、内部空間を体験したのは、《新宿ホワイトハウス》、《スカイハウス》、《塔の家》(東孝光)《虚白庵》、《中銀カプセルタワービル》(黒川紀章)、《原邸》(原広司)の6件に過ぎないが、この大型写真による空間の疑似体験は、それらの空間体験を思い起こさせるだけの、十分な迫力を持っていた。究極は《塔の家》の展示で、ここでは本物と同じ原寸大のスケールで、平面図が床に展示され、実際と同じ大きさの空間を体験できるしかけになっている。さらに、会場である埼玉県立近代美術館の位置する公園内に、黒川紀章による《中銀カプセルタワー》のカプセル・ユニットのモックアップ(原寸大の試作品)が一つ展示されており、ここでも実際の空間をのぞき観ることができる。
加えて特筆すべきなのは、それぞれの作品模型の多くを、今回の展示に合わせ、日本全国の大学における建築学科の学生たちが、オリジナルで製作している点だろう。私の研究室ではこの中で、《原邸》の模型製作を担当したのだが、北は北海道から南は沖縄まで、様々な大学の学生たちが一斉に模型製作に参加しており、見応えのある模型群が展示されている。これらは同スケールで白模型を製作する、という基本ルールをもとに、各作品のデザインや地形に応じて異なったテイストで模型を作っており、それらの違いを見ることで、各作品の特徴を知ることができる展示となっている。
本展覧会はこのように、思考の結晶としての住宅が生み出した「生きられた空間」を、重層的に体験し得るものとなっており、建築のみならず、広く一般の人々にも行き届く、強い訴求力を持った展覧会であると言えるだろう。