2017年07月15日号
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美術館活動の原点を問い直す──鎌倉からはじまった。1951-2016 展(パート1〜パート3)レビュー

伊村靖子(国立新美術館学芸課美術資料室アソシエイトフェロー)2015年11月15日号

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 「カマキン」の愛称で親しまれてきた、神奈川県立近代美術館鎌倉館★1。その展覧会場に足を踏み入れると、これほど小さな空間から日本の公立近代美術館の歴史が始まったのかと改めて驚かされる。本展を最後に鎌倉館は閉館し、葉山館と鎌倉別館の二館体制に移行することになっている。

鎌倉館閉館の二つの意味

 鎌倉館はそもそも、鶴岡八幡宮との借地契約が切れる2016年3月末までに閉館し、更地にして土地を返還する約束になっていた。しかし、県民から美術館建築の保存を求める声が多数寄せられたことなどを受け、2015年9月10日に神奈川県により、閉館後も本館棟のみ保存されることが決定した。新館の取り壊しの撤回は叶わないものの、坂倉準三によるモダニズム建築の一部が保存される意義は大きい★2
 建築の保存問題に加え、美術史において、鎌倉館の閉館にはまた別の意味合いがある。同館は開館当初より、日本近現代美術史を編纂し、近代美術館の機能を整備するうえで先駆的役割を果たしてきた。鎌倉館の閉館により、この時代の流れがひとつの節目を迎えるように思えてならない。本展覧会は、美術館の意義を原点に遡って考えつつ、歴史として対象化することを促す好機ではないだろうか。


鎌倉館外観(1951年) 撮影=村沢文雄

展覧会の概要

 本展覧会は、パート1からパート3までの三期にわたって開催され、会期が進むにつれて時代を遡る構成になっている。パート1は「近代美術館のこれから」(1985〜2016)、パート2は「発信する近代美術館」(1966〜84)、パート3は「『鎌倉近代美術館』誕生」(1951〜65)と題され、所蔵作品と資料を中心にこれまでの活動を俯瞰する試みである。年代の区切りの理由は明記されていないが、展示空間の拡張とそれにともなう美術館機能の変遷をひとつの指標とみなすことができる。パート1は84年の別館および2003年の葉山館開館以後現在まで、パート2は66年の新館の増築以後★3、パート3は坂倉準三の設計による竣工当初の旧館時代に割り当てられる。度重なる建築の改修と増設は、時代の変化とともにこの美術館が直面してきた問題とも重なっているようだ。収蔵庫や常設展示の確保に加え、企画展の大規模化、巡回展の増加により、美術館の機能が変化してきたこととも関係しているだろう。

近代美術館としての役割

 いまでは想像できないことだが、開館当初、神奈川県立近代美術館はコレクションを持たずに企画展示によってスタートした。それは予算上の理由だけではなく、「近代美術館」の社会的機能をどう考えるかという議論に基づくものでもあった。美術館の設立に携わった美術評論家の土方定一の言葉には、近代美術館はたんに評価の定まった芸術作品を収集陳列するのではなく、企画展示によって現代美術に対する明確な判断を示すべきという自負が見える★4。折しも、1951年の同館に続き52年に開館した東京国立近代美術館の展示をめぐり、『美術批評』誌(1953年1月、2月号)において日本の近代美術館はどうあるべきかという議論が巻き起こったが、そこで丹下健三は、パリの近代美術館を歴史主義、ニューヨークの近代美術館を行動主義と位置づけ、日本の「近代」をどのようなモデルで捉えていくのかを問うている。丹下によれば、パリの近代美術館は印象派以後の系譜づけのなかに〈近代〉を位置づけようとしているのに対して、ニューヨークのそれは未だ系譜づけられないキュビスム以後の作家の行動のなかに〈近代〉を発見しようとしているように思われるという。丹下は、パリ、ニューヨークと比較して、日本の近代美術館が、建築、彫刻、絵画に通底する造形言語とその文化的意義をいかに提示し、系譜づけられるのかを切実な問題として提起したのだ★5
 残念ながら全文を紹介する余裕はないのだが、丹下の発言は非常に示唆深い。歴史がつねに切断と再編によってつくられるものであることを意識させるからだ。では、神奈川県立近代美術館は「近代」をどう捉え、どのような活動方針を持っていたのだろうか。
 今回の展示を通して、同館が幕末から現代にいたる日本の近代美術の作家の作品の発掘、整理、展示を中心に、啓蒙的な意志に貫かれた数々の企画を展開してきたことがわかる。日本の近代美術作家の体系化の動きとして、1952、66、68年の3回にわたる「佐伯祐三展」、1962、85年の「萬鉄五郎展」、1964年の「高橋由一展」および71年の「高橋由一とその時代展」、また江戸期からの日本近代美術の系譜を扱った「司馬江漢とその時代展」(1965)、「近代日本洋画の150年展」(1966)などが挙げられる。また、古賀春江の《サーカスの景》(1933)、《窓外の化粧》(1930)は、それぞれ1963年度、68年度に川端康成氏から寄贈を受けた作品である。パート3では、寄贈者に焦点をあてた紹介があり、鎌倉ならではのコレクション形成の一端を窺い知ることができた。その方針は展覧会だけでなく研究事業にも表われている。近代日本の美術史のなかに神奈川県が占める位置を明らかにした『神奈川県美術風土記』(1970〜74)、『近代日本美術家列伝』(1999)などの刊行により、歴史の編纂が進められてきた。


左=高橋由一《江の島図》1876-77年
油絵具、カンヴァス 神奈川県立近代美術館蔵
右=岸田劉生《童女図(麗子立像)》1923年
油絵具、カンヴァス 神奈川県立近代美術館蔵


左=古賀春江《サーカスの景》1933年
油絵具、カンヴァス 神奈川県立近代美術館蔵
右=松本竣介《橋(東京駅裏)》1941年
油絵具、カンヴァス 神奈川県立近代美術館蔵

 初期の活動のなかでは、「今日の新人・1955年展」(1955)、彫刻の社会性の回復を掲げた「集団58野外彫刻展」(1957-58)や「集団60野外彫刻展」(1960)などにより、現代美術の枠組みを提示していく。対象とする分野は、絵画、彫刻、工芸、版画、写真、建築、音楽等の幅をもたせている点も特徴的である。また、美術史研究の重要な課題でもあるテーマを大胆にとりあげた「ほんもの・にせもの展」(1956)、「ほんものと伝展」(1958)、「日本の南画名作展」(1960)をはじめとする古美術の再発見は、美術の見方の啓蒙を促す展示といえるだろう。丹下の言葉を借りれば「行動主義」ともいうべき数々のテーマ展を、初期から展開していたのである。
 忘れてはならないのは、西洋美術展の開催である。開館第1回展が「セザンヌ、ルノワール展」(1951)で始まったことに象徴されるように、ヨーロッパの近代画家についての企画は、最初期から継続的に行なわれている。その後に続く「パウル・クレー」展(1969)、「エドワルド・ムンク展」(1970)は、入場者数の面でも当時の記録を次々に塗り替えた(前者が6万人、後者が10万5千人)。クレー展は、現在のカタログ制作の原型(作品図版を全点掲載、出品リスト、年譜、参考文献に加え、論考)となったこと、東京新聞・中日新聞社との共催の最初の海外企画展として以後継続的に両社との共催展が続いたことからも、こうした企画展の枠組みを決定づける重要な局面であった★6


左=「集団58野外彫刻展」前庭 1957年
右=「集団58野外彫刻展」ポスター 1957年


左=「パウル・クレー展」ポスター 1969年
右=「エドワルド・ムンク展」ポスター 1970年

展覧会活動の変容

 こうして振り返ってみると、開館からほぼ30年間で、すでに美術館活動の原型がつくられたようにさえ思える。しかし、時代の移り変わりとともに、神奈川県立近代美術館をとりまく状況は変化しつつあった。80年代初頭頃をピークに、日本各地に美術館が続々と誕生したのもその背景のひとつである。各館を巡回する企画展の数が増大し、それぞれの企画が重複したり、特定の作品の出品が重なったりという混乱もあったという。また、市場に出回る作品をめぐって美術館同士で購入競争が起きるようになった★7。1982年12月に「美術館連絡協議会」が結成され、美術館相互の交換展、共同企画展、海外の美術を紹介する展覧会の国内巡回を組織するようになったのは、こうした背景とも関係があるといえよう。
 1980年代後半から90年代初頭のバブル期には、日本の経済的成功と並行して日本近代に世界各国から関心が寄せられ日本研究が活発になる。海外へ紹介される日本の文化が伝統芸能中心から近現代へと比重が移っていくのもこの時期である。この時期、神奈川県立近代美術館が積極的に協力していったのは、国際交流基金主催による1985年の「近代日本洋画」展★8、1987年から88年にかけての「パリの日本/日本のパリ──ヨーロッパ絵画と日本の出会い(Paris in Japan : the Japanese encounter with European painting)」展である。各展覧会は、日本の近代洋画をヨーロッパ、アメリカへ紹介する初めての機会となった。これ以後、大規模な日本現代美術展としては、1986年の「前衛芸術の日本1910-1970(Japon des Avant Gardes 1910-1970)」展(ポンピドゥー・センター)、1994年の「戦後日本の前衛美術展(Japanese Art after 1945: Scream against the Sky)」(横浜美術館、グッゲンハイム美術館他)が続いた。これらのカタログは、海外の日本美術研究の基礎資料となり、次世代のキュレーターや研究者による研究を促している。

「近代美術館」のこれから

 これまで見てきたように、本展は、三期を通じて、現在の視点から過去を再文脈化するのではなく、できる限り各時代の評価に忠実にそれぞれの年代の展覧会、作品を振り返る試みである。しかし、神奈川県立近代美術館が開館当初に近代美術の編纂を手がけたように、戦後美術はいま、再編の時期に来ているのではないだろうか。
 近年、ニューヨーク近代美術館の「東京1955-1970新しい前衛展(Tokyo, 1955-1970 : A New Avant-Garde)」(2012-13)、ヒューストン美術館の「来たるべき世界のために──日本美術と写真の実験1968-1979展(For a New World to Come, Experiments in Japanese Art and Photography, 1968-1979)」(2015)等に見られるように、グローバルな文脈のなかで日本の現代美術に対して新たな解釈が加えられつつある。こうした動向は海外だけでない。国内でも従来副次的な資料として扱われてきた情報を積極的に盛り込んで時代像を浮かび上がらせる展示の試みや、テレビや出版等のマスメディアを通じて形成され浸透した表現を扱う展覧会が目立つ。前者の例として「日本の70年代1968-1982」展(埼玉県立近代美術館他、2012)、「実験工房展──戦後芸術を切り拓く」(神奈川県立近代美術館他、2013)等、後者の例として「ディスカバー、ディスカバー・ジャパン──『遠く』へ行きたい」(東京ステーションギャラリー、2014)、「赤瀬川原平の芸術原論──1960年代から現在まで」(千葉市美術館他、2014)等が挙げられる。これらに共通するのは、過去の同時代の文化現象のなかに表現をめぐる視座を捉えなおそうとする問題意識である。
 「展覧会」もまた、自明な枠組みではない。「カマキン」が取り組んできた近代の歴史化がその影響も含めてどのように検証され、どのような理解と解釈を生み出していくのかは、まさにこれから始まろうとしている課題なのである。

★1──カマキンの愛称は、開館当初の名称である「鎌倉近代美術館」に由来する。『小さな箱──鎌倉近代美術館の50年1951-2001』(2001)所収の酒井忠康氏の「回想の美術館奮闘記」によると、現在の正式名称に統一したのは80年以降とのことらしい。
★2──「文化遺産としてのモダニズム建築展DOCOMOMO20選」展カタログ(2000)もあわせて参照されたい。
★3──新館は坂倉準三の設計により増築されたが、耐震の問題で2007年以降は公開されていない。
★4──『神奈川県立近代美術館30年の歩み──資料・展覧会総目録 1951-1981』(1982)所収の「鎌倉近代美術館の出発」において、第一期の学芸員であった佐々木静一が神奈川県立近代美術館設立の経緯について詳述している。
★5──植村鷹千代、丹下健三、吉沢忠、田近憲三、水沢澄夫、徳大寺公英「国立近代美術館に問う──日本近代美術展覧会を契機に」『美術批評』第13号(1953)、32〜35頁。
★6──匠秀夫「1968年から1974年までの企画展」『神奈川県立近代美術館30年の歩み──資料・展覧会総目録 1951-1981』(ノンブルなし)を参照。
★7──山梨俊夫「1982年から1986年の活動」『神奈川県立近代美術館40年の歩み展1951-1991』(1991)、69頁。
★8──展覧会は、ヴェネツィア、ケルンに巡回(伊文名称:Arte Figurativa giapponese, 1987-1964、独文名称:Japanische Malerei im westlichen Stil - 19. Und 20. Jahrhundert)。

鎌倉からはじまった。1952-2016

会期:
[パート1:1985-2016 近代美術館のこれから]2015年4月11日(土)〜2015年6月21日(日)
[パート2:1966-1984 発信する近代美術館]2015年7月4日(土)〜2015年10月4日(日)
[パート3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生]2015年10月17日(土)〜2016年1月31日(日)
会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53/Tel. 0467-22-5000

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伊村靖子

1979年生まれ。国立新美術館学芸課美術資料室アソシエイトフェロー。2013年京都市立芸術大学博士号(芸術学)取得。研究テーマは「1960年...

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