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【パリ】Le Grand Musée du Parfum──新時代の香水博物館

栗栖智美

2017年02月01日号

 フランスで生きた芸術と言われる香水。19世紀のパリでは、才能ある調香師によって次々と革新的な香水が発売され、多くの芸術家やブルジョワジーを魅了してきた。そんな古きよき時代のパリの面影が残るフォーブール・サントノレ通りに、昨年12月16日、構想から2年半という短期間でオープンした待望のLe Grand Musée du Parfum(ル・グラン・ミュゼ・デュ・パルファン)。この新しい時代の香水博物館をご紹介しよう。


Le Grand Musée du Parfumのファサード 17世紀の庭師の邸宅として建てられ、1987年にはクリスチャン・ラクロワが住んだ[撮影:Irène de Rosen]

 フランス人にとって、香水はアクセサリーの一部のようだ。性別や年齢を超えて、自分の個性を表現するために香水をまとう。香水のブティックにはいつも人が溢れ、数種類の香水を気分によって使い分ける人も多い。そんな身近な香水であるが、どんな原料が使われているのか、調香師はどのように香水をつくるのか、香りにはどのような心理的効果があるのか、実際に香水について知られていることは少ない。このミュゼは、形をもたない香りの保存と伝承、感覚器のなかであまり重要視されない嗅覚を覚醒すること、そしてプロから素人まで、香りに興味をもつすべての人に香りの情報をシェアすることをミッションとして創設された。最新の技術と、どんな人にもわかりやすく楽しめるインスタレーションを通して、「香水の歴史」「嗅覚のひみつ」「調香師のクリエーション」という3つのテーマで香りにアプローチしていく博物館である。


歴史的人物のポートレイトはBruno Bressolinによるもの[筆者撮影]

香水の歴史

 展示室は地下のカーヴから始まる。最初の「香水の歴史」展示室では、ソロモンとシバの女王やルイ14世とモンテスパン侯爵夫人など、歴史的人物の香りと愛にまつわるエピソードを知ることができる。

 次の部屋では、香水を入れる壷などの展示とともに、古代エジプトで儀礼のために使われたミルラとフランキンセンスの香り、再現された最古の練香「キフィ Kiphi」の香りを嗅ぐことができる。また、香水の原料となる植物や蒸留器、香水瓶、香水のパッケージのオブジェ展示にとどまらず、実際に鼻を使って香りを体験できる装置が画期的だ。


古代エジプト時代の香りの展示部屋[撮影:Irène de Rosen]

 中世以降、神との繋がりを求めて焚く典礼のための香りから、病気や邪気から自分を守り、清潔に保つ衛生の香りへと用途が変化する。影絵風のストーリーヴィデオや、香水売りや中世の医師の服装などのミニチュア、保存用容器やレシピが書かれた書物などとともに、ハンガリーの女王が若返ったという逸話で有名な「ハンガリーウォーター」や、フランスでペストが流行したときに、その香りをまとった盗人だけ感染から免れたという「4人の盗賊のビネガー」、17世紀の世界初の「オーデコロン」などが、ボタンを押すと嗅ぐことができる装置として展示されている。


香水売りの衣装の模型[筆者撮影]


中世から近代までの香りの展示室[撮影:Irène de Rosen]

 1830年以降に飛躍的に発展したフランスの香水産業。次の展示室では、その栄華をポスターや写真、映像、有名香水店で使われていた家具などとともに眺めることができる。20世紀になると、何軒もの香水ブランドが新商品を発表したパリ万博、アルデヒドC11などの合成香料の発明、ココ・シャネルをはじめとするモード界とのコラボレーションなど、身だしなみのアイテムとして多くの人に親しまれた香水の発展史を垣間みることができる。特に、カルナヴァレ美術館所蔵で、これまで一般公開されたことのなかった第二帝政期の有名香水店ウビガンHoubigant(偶然にも博物館と同じフォーブール・サントノレ通りで営業していた)の家具がここで初公開されている。


香水店ウビガンの家具と香水瓶[撮影:Irène de Rosen]

嗅覚のひみつ

 香水の歴史を学んだ後は、2階に上がり「嗅覚のひみつ」展示室へ。バラのブーケから「ローズ」の匂いがする。当たり前のことと思うなかれ。自然のバラは400種類以上の芳香物質から構成されるのに対し、われわれの嗅覚が「ローズ」と感じるには、たった3つの香料を混ぜればいいのだそうだ。その3つをバラバラに嗅ぐと、まだ「ローズ」とは言いがたいのだが、絶妙なバランスで混ぜると「ローズ」になるという。このバラのブーケから香るのは、実は人工の「ローズ」である


「嗅覚のひみつ」展示室入口[筆者撮影]

 その謎は嗅覚と脳のメカニズムによって解明される。鼻から吸い込んだ香りの物質は、鼻の奥の嗅覚の器官で電気信号に変換され、記憶を司る海馬や情動を司る扁桃体を含む動物に共通の大脳辺縁系に届く。ここは、本能的に好き嫌いなどを知覚する場所で、その後、ようやく大脳新皮質という人間特有の理性や知性を司る場所に移り、「○○の香り」と知覚する。香りを嗅いで1秒もしないうちに、このような順序で脳が「香り」を感じるようになる。ただ、この嗅覚の器官の性能は人それぞれ。誰もが「ローズ」と感じる香りもあれば、人によっては何も感じない香りもある。香りを「感じる」「感じない」でテストする装置では、自分の嗅覚の精度が統計で大多数なのか少数なのかわかるようになっている。
 また、1970年代にスイス人が発明した香りを採取する装置は、花やリンゴタルトや石などから、その物体を壊して蒸留などせずに芳香物質を取り出すことを可能にした。この装置のおかげで、調香師は採取できない世界中の珍しい香りを嗅ぐことができ、それを再現することもできるという。この装置の発明が、香りの可能性を広げた画期的なものであることは、一般の人はほとんど知らないだろう。


嗅覚のメカニズムを映像で説明[筆者撮影]


 つづく「香りの庭 Jardin des Senteurs」は、草花を模した白いオブジェの中を歩くインスタレーションだ。そのオブジェに近づくと、香りが放たれる。一つひとつのオブジェには香りのもととなる絵が描かれており、バジル、カシス、バニラなど、誰もが知っている香りを嗅ぐことができる。と同時に、それぞれが思い出すイメージや記憶は誰ひとりとして同じではない。目をつぶり、放たれる香りを嗅いで、イメージを思い起こす。バジルの香りとわかる前に浮かび上がる懐かしい思い出や感情。それが嗅覚と脳のシステムを介して感じられるのだから興味深い。


Agence Projectiles設計のインスタレーション「香りの庭 Jardin des Senteurs」[筆者撮影]


花びらのクローズアップ バジルが見える[筆者撮影]

調香師のクリエーション

 3階の展示室に入ると、まずBlossomというインスタレーションがある。白い5つの花弁をもった有機的なフォルムの装置で、上に球体が載っており、その一つひとつの香りを嗅ぐことができる。中央には自然のバラから蒸留したローズの香りが。5つの花弁には、さまざまな調香師が表現した「ローズ」の香りが広がる。スパイシーなローズ、甘美なローズ、軽快なローズとニュアンスが違う。調香師は、自然のローズをそのまま再現するのではなく、それぞれの経験や解釈や想いによって「彼らのローズ」を表現するアーティストなのである。この装置で調香師という職業のクリエイティビティを表現しているのは見事である。


「Blossom」 Violette Houotによるデザイン[筆者撮影]

 「調香師のクリエーション」を展示する部屋では、天井からしずくが落ちるようなフォルムのインスタレーションが目を引く。こちらは香水づくりに欠かせない代表的な25種類の原料を一つひとつのしずくから嗅ぐことができ、耳を近づけてその原料のエピソードを聞くというインスタレーションだ。観客は熱心にさまざまな原料を嗅いでいるが、合成香料が天然香料よりも「本物」らしく感じられたり、原料の秘話を知ることができて興味深い。


Harvey & John設計の原料のインスタレーション[筆者撮影]

 続く部屋では、調香師たちがどのように調香していくのか、それぞれのインスピレーションの源や、彼らのこだわりや主義、創作のプロセスなどのインタビュー映像が流れる。その部屋に挟まれて、光のインスタレーションの部屋がある。こちらは、「香りのオルガン」と呼ばれる調香のための原料を並べた作業机から、それぞれの原料をどのくらいの量でどのように混ぜていくかというラボでの仕事を、音と光のコンサートに見立てたインスタレーションだ。


調香師のインタビュー映像が見られる部屋[撮影:Irène de Rosen]


Jason Bruges Studioによる香りのオルガンの光と音のインスタレーション[撮影:Irène de Rosen]

 実は、調香師はこの香りのオルガンに座って調香することはほとんどない。この仕事は調香師のアシスタントの仕事である。調香師は自然を散歩したり、ファッション雑誌を読んだり、好きな環境で香水のレシピを組み立てる。彼らは1,500以上もの原料をすべて頭のなかに記憶しており、どの割合でどの原料を混ぜると思い描いた香水が出来上がるのか、頭のなかだけで組み立てることができるのだ。それを白衣を着たアシスタントが、ラボの香りのオルガンの前で調合するのである。こうした分業も、私たち一般人には想像もつかないことだろう。


付属のコンセプトストア 世界中の香水が試せる[撮影:Irène de Rosen]

 このミュゼの展示をめぐるだけで、毎日使う香水に関していかに何も知らなかったかを実感する。調香師というアーティストがつくり上げた作品としての香水は、化学的な研究成果と、優秀な化学者たちと、私たちの嗅覚という脇役がいなければ成り立たない。アートと科学の融合が、香水の真の姿である。
 有史以前から用途は変わりながらも親しまれた香水。フランスでは年間に400種類もの新商品が販売されるという。しかし、学校教育の現場で美術や音楽といった視覚、触覚、聴覚を鍛えるカリキュラムが組まれているのに、嗅覚は置き去りにされたままだ。そんな忘れられた感覚器官を呼び覚ますことをミッションとして生まれたLe Grand Musée du Parfum。わかりやすく、楽しみながら鑑賞することができ、フランス人からの評価も上々である。今後はアーティストとのコラボレーションや、香りにまつわるエキスパートを招いての講演会、ワークショップ、子どもへの「香育」とさまざまなイベントを開催していくという。エレガントでラグジュアリーなパリの新名所として、今後が期待される。

Le Grand Musée du Parfum

開館時間:火曜〜日曜 10:30〜19:00、金曜 10:30〜22:00
休館日:月曜
73 rue du faubourg Saint-Honoré 75008 Paris
+33(0)1 45 23 14 14
http://www.grandmuseeduparfum.fr

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