2018年07月15日号
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フォーカス

街を変えるアートとアソシエーション──MAD CityとYCAM

寺井元一(まちづクリエイティブ代表、アソシエーションデザインディレクター)/城一裕(九州大学芸術工学研究院准教授)/石川琢也(山口情報芸術センター[YCAM]エデュケーター)

2018年06月15日号

千葉県松戸市の一角に「MAD City」と呼ばれるエリアがある。2011年からこの場所で特異なまちづくりを仕掛けるのは、まちづクリエイティブ代表の寺井元一氏。日本各地でアートとまちづくりの関係が試みられるなかで、地域とアートはどのように関わることができるのか。MAD Cityでプロジェクトを企画した城一裕氏と、「地域開発ラボ」を有する山口情報芸術センター[YCAM]の石川琢也氏が、8年目を迎えたMAD Cityの取り組みを振り返りながら、地域とアートの可能性を探る。(編集部)

街を使った表現活動を支援する

石川琢也──寺井さんは松戸市で「MAD City」の取り組みをされる前に、どんな活動をされていたのでしょうか。

寺井元一──僕は学生時代に世論調査の統計解析や、代議士の秘書をしていました。政治の現場で活動するなかで、若い人のやりたいことや、彼らが伸ばしていくであろう産業をサポートする仕組みが社会のなかにないと感じ、2002年に「KOMPOSITION」というNPO法人を立ち上げました。

2005年に、スポーツメーカーと東京都と一緒に「ALLDAY」というストリートバスケの大会を始めました。代々木公園にあまり活用されてない場所があって、そこをストリートバスケの聖地にしようという話が立ち上がったんです。大会は、国籍や性別、年齢、居住地すべてなんでもありなフラットなルール。プロのスカウトの人も見に来たりして、いまもこの大会は続いています。

もうひとつは「リーガルウォール」という活動です。もともと、渋谷をはじめ都心部のビルの壁に落書きされてしまう問題があったんですね。きれいにペンキで消しても、また上から落書きされてしまう。だったら、壁をぜんぶキャンバスにしたらいいじゃないかと訴えて、壁そのものを、絵の描ける場所とするプロジェクトを運営していました。いままで夜中にこっそり描いてた人が昼間に描くという、いわば壮大なマッチポンプの要素もあるのですが、グラフィティのようなストリートアートを支援する仕組みをつくっていました。街そのものが体育館や美術館になれば、もっといろんな表現活動に触れる機会になるんじゃないか。そんな想いがありました。

東京・渋谷の「川の環境再生」をモチーフを描かれるリーガルウォール(2004、現存せず)
[提供:NPO法人KOMPOSITION]


コミュニケーション不全という壁

寺井──でも壁にぶつかりました。ストリートカルチャーに関わっていると、タトゥーが入った人などがたくさん来るんです。すると、町内会や商店街の人たちから「怖い」と言われたり、騒音の問題が起きたりして、地域の問題にぶち当たってしまった。結局、その街の文化やルールが、そこで生きている人間の可能性を縛っているんだなと。

成長し過ぎた都市はコミュニケーション不全を起こします。管理が厳しくなってルールばかりが増え、お互いに苦情を言い合うことで、コミュニケーションの可能性が失われてしまう。だから、成長し過ぎていない街で、新しい取り組みをやったほうがいいなと考えました。そこで、2010年に「まちづクリエイティブ」を立ち上げたんです。



寺井元一氏


石川──ストリートカルチャーが持つ都市との関わり方は、いつもと異なる街の使い方を模索したりする点で、タクティカルアーバニズム★1の発想と近いところがありますね。異なる行動様式が生まれたときに起こる軋轢は、都市部はもちろん地方にもあります。多くの場合、こうしたときに立ち回る人の存在が不可欠ですね。とくに都市部では、どうしても関係する人が多くなるので、思い切っていままでとは違うことをするのは大変だと思います。まちづクリエイティブを立ち上げるまでに海外の取り組みなど、リサーチや参考にされた事例などはありますか?

寺井──まちづくりの仕方を考えるときに、僕が興味を持ったのは海外の「スクワット」(建物の不法占拠)です。かつてオランダでは、建物が1年以上使われていなくて、所有者がすぐ使う予定を示せない場合、その建物に占有者がいても排除できないと聞いたことがあります★2。だから、金のないアーティストが廃墟みたいな建物に入り込んで、電気とか雨漏りとかを勝手に直して住んだりする。いまでは、不法占拠された建物を行政が買い取る「アフタースクワット」というのが増えているんです。 自分から何かを発信するようなアーティストたちが、建物の中に映画館とかショップをつくったりして、ちょっとしたアートセンターみたいになっていたりする。スクワットした建物に、アーティストが集まったりして、結果的に街の最初の名所になったりする事例が、じつは結構たくさんあるんです。

そうした街には最終的に多くの人が集まるようになるんですけど、金が儲かるから集まるんですね。もともと儲かる街なら最初から人は来ているわけで、まちづくりにおいて問題なのは、「儲からないから」人がどんどん抜けてしまうこと。だから、どこかで逆転させなきゃいけない。


★1──大規模でトップダウンの都市計画に対して、市民自らが身近な公共空間で、短期的・仮設的に小規模なアクションを行なうことで、継続して都市の環境を変えていく手法。2000年代から欧米を中心に広まり、日本でも社会実験やまちづくりの方法として注目を集めている。
★2──2010年の法改正により現在は違法となっている。


《59 RIVOLI - Afterawuat》パリ市当局が買い取ったスクワットビル[撮影:小田雄太]


寺井──そこで、アーティストのようなビジネスの論理から離れて自分から何かを始める人、そういう自主制・自発性・自立性があって自己表現の欲求が高い人が、街の中心にいるといいのではないかと考えました。その人の周りにクリエイターが集まって、さらにカフェやショップができて、そしてビジネスをする人が集まってくる──。

でも、この話には続きがあります。街にどんどん人が集まるようになると活気づきますが、家賃も上がります。外からお客さんも来るようになる。すると、騒ぐのはやめてくれと怒られてしまう。街が都会になっていくんです。「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象は、こういった事情でもともといた人たちが街を離れていってしまうことです。その街に最初の活気をつくったクリエィティブな人が、家賃を払えないなどの理由で追い出されていく。

マンハッタンのSoHo地区のように、街が活気づくことと、人がいなくなることの両方を経験した事例は多々あります。人が集まってそこに居続けられる仕組みをどうやってつくれるのか。それが僕らの取り組みの問題意識です。

MAD Cityでの取り組み

寺井──僕らは、いまは3つの地域で活動しています(2018年2月現在)。ひとつは千葉県松戸市内での活動で、2011年から始めています。これは誰にも頼まれてないけど、僕らが自発的に始めた活動です。ほかに佐賀県の武雄市や、埼玉県のJR埼京線沿線で活動しています。これらの活動は基本的に「まちづくり」と呼ばれますが、海外の自治区のように、僕は「その街でいかに暮らせるか」という可能性を高めたいと思っています。だから、結果的に制度やルールをどう変えるかが重要なんです。その意味で、根本的に「まちづくり」ですらない。街には明文化されているルールと、明文化されていないローカル・ルールがありますよね。後者は、お祭りみたいな地域が守っている、歴史とか文化に根ざした暗黙知のようなもの。そういうものをどうやったらつくれるのか。

石川──明文化されているルールとローカル・ルールの違いは、ふだん地域の人たちが意識することはないでしょうから、その差を浮かび上がらせる作業を、ひとつのコミュニケーションの場として設計することで、よいアイスブレイクになる気がします。例えば、それらをマッピングして可視化していくことで、その街の輪郭がぼんやりと浮かび上がるでしょうし、街のソフト面/ハード面を含め、「どの部分が改変可能なのか」といった認識を共有できると思います。MAD Cityでは具体的にはどのような活動をされているのでしょうか?



石川琢也氏


寺井──まず最初に行なうのは、歴史や人材のリサーチ、チームの編成です。次にイベントや場、メディアをつくって情報発信をします。その後、不動産のサブリースを行なって、空き家を減らしていく活動を行ないます。そして、最後に仕事づくり、いわゆるインキュベーションとか起業支援と呼ばれる活動です。このサイクルを松戸でひと通り行なって気づいたのは、これらはぜんぶ繋がっているはずなのに、全部をまとめてやっている事業者がまちづくりの現場にいないことです。

石川──全部まとめてやっちゃおう、というのがMAD Cityですね。そこでの取り組みについて教えてください。

寺井──MAD Cityは、千葉県北西部の人口約49万人の松戸市にあります。かつての宿場町の街道沿いに半径500mのエリアを「MAD City」と名付けています。なぜ半径500mかというと、コンビニエンスストアの商圏とほぼ同じ距離だからです。コンビニって、夜中にサンダルを突っ掛けてジャージで行ったりしますよね。そういう日常生活が許される徒歩圏と同じくらい、小さなまちづくりをしたいと考えたわけです。

千葉県松戸市の一角に定めたMAD City。かつては松戸宿と呼ばれる宿場町だった。右はMAD Cityの地図をモチーフにしたロゴ。
[提供:株式会社まちづクリエイティブ]


石川──さきほど、寺井さんとYCAM周辺の街を一緒に回りましたが、歩ける距離の関係性をとてもデリケートに感じているのが面白いなと思いました。歩いて15分の距離はもう遠いと言うんです。その距離感はすごく大事だと思います。日常空間の生活圏内、「ちょっと醤油借ります」と言い合えるレベルだからこそ生まれるものがあるはずなので。

寺井──そうですね。小さくても尖った自治区がつくれるんじゃないかと。あと、各地の市民憲章をいっぱい調べたんですが、どの街も「緑豊かでみんなに優しい街をつくる」みたいな、いいことばかり書いていたので、これはダメだと思いました。むしろ10人中9人は嫌がってもいいから、1人が強く行きたいと思える街をつくらなきゃだめだと。

アートを日常にする──松戸アートラインプロジェクト

寺井──隣の柏市では2006年から「アートラインかしわ」というイベントを毎年秋に開催しているので、松戸でもやりたいという要望がありました。そこで僕がスタッフに入って、2010年から「松戸アートラインプロジェクト」を始めました。

でも松戸はベッドタウンなので、アートイベントをやってもお客さんは終電で帰ってしまう。地元の居酒屋ではなくチェーン店に行くし、もちろんお土産も買わない。それではまったく意味がないから、観光とは違うモデルをつくる必要がありました。それならいっそのこと、アーティストが街に住んで、日常的にアート的なことが許されるようなまちづくりをしなきゃダメなんじゃないか。そんな話になったんです。そこで、公共空間の中でいかに無茶できるかを考えよう、という取り組みをしたんですね。

代表的なのは、2012年に江戸川の河川敷を結婚式場にしたことです。これにはいくつかの背景がありました。ひとつは、原発事故後に放射線のホットスポットが河川敷にボコボコあったのですが、江戸川は国交省の管理下なので、除染させてくれない場所だったんです。だから、いかにこの場所を使うかを考えてました。もうひとつは、松戸市は葬儀場はいっぱいあるのに、結婚式場がひとつもないんです。結婚式場みたいな若い人が夢を見られる場所をつくって街を変えよう、という裏テーマがありました。実際に一組のカップルが河川敷で結婚式を挙げました。地元の人たちも参加して、クレームを言う人がひとりもいない構造をつくるという取り組みだったんです。

「暮らしの芸術都市 -松戸アートラインプロジェクト 2012-」の一環として開催された、河川敷を利用したたアウトドアウェディング(屋外結婚式)。地元のカフェやレストランも河川敷に出店した。
[提供:株式会社まちづクリエイティブ]


寺井──ほかにも、横丁とか飲み屋街の道路を「これはお祭りだ」と言い張って占領しました。するとその場所がちょっとしたイベント会場になるので、ビールサーバーを置いてお酒を飲めたり、DJブースをつくって音楽を流したり。

2013年にはアーティストの内海昭子さんと「西口公園プロジェクト」を行ないました。駅前にあるけれどポカっと真ん中が開きっ放しになっている公園があって、その真ん中に高いポールを立てて、その上からワークショップによって大量のスズランテープを外周に結び付けていくことで、公園の存在が変化するんじゃないか、という試みです。実際はポールを立てるのが難しいので、重機会社の役員だった地元の町会長が巨大なクレーン車を借りてきてくれて、上から2000本ものテープを垂らすと、いつもと違う公園の姿になりました。でも、夜に風が強くなって重機がビリビリ震えたり、テープがフォンフォン唸り始め、なんというか悪夢的な空間になって(笑)。危ないからそこでテープを一旦切ることに。でも、アーティストは「東京だと絶対に怒られていたので、松戸でやれたのはよかったかな」と。公園という公共空間でそんな実験をしました。

「暮らしの芸術都市 -松戸アートラインプロジェクト 2012-」の一環として、松戸駅前の西口公園で開催された「西口公園プロジェクト」。
[提供:株式会社まちづクリエイティブ]


アーティストが不動産を変える

寺井──一方、松戸には地元の空き家や空き店舗の問題があります。そこで、MAD Cityのコアエリア周辺でも、駅から徒歩20分圏内の古民家や古いマンションの部屋を転貸しています。壁がぶっ壊れていたりゴミが散乱していたり、誰が見ても「これは貸せない」という物件を扱うのが、僕らの目指しているところですね。

基本的に僕らが改装するのではなく、改装したい人、いい具合に改装しそうな人に部屋を貸します。すると、結果的に物件の価値が上がるという仕組みです。例えば、大工さんが部屋を使っていろんな工法を試しまくったり、画家の人が壁に絵を描いたり、工場の中に小屋を建てて住んだり。なかには素手で殴ったり蹴ったりして部屋を解体する人も。彼はスケートボードは使ってもOKというこだわりがあって、バールみたいに使っている(笑)。街で何かをやらかす人は、改修そのものをおもしろがって、部屋くらい自分でいじれる人だろう、っていうのが僕らの考えです。

石川──これからの移住を考えたときに、「緑豊かでみんなに優しい街をつくる」では人はもう来ないですからね。日本中どこに行っても、そのエリアならではの美味しい食べ物や風土があるわけですし。大事なのはそこで誰と何ができるかに尽きると思います。つまり人やモノを含めて、書き換え可能性がどのぐらいそのエリアにあるかを打ち出すことがとても大事だと思います。

あと、MAD Cityは大枠の設計だけではなく、細やかな部分も非常に優れていると思います。僕が3年前にMAD Cityを視察に伺ったとき、ちょうど建物の解体ワークショップが行なわれていました。解体を学ぶ機会の提供に加えて、マンションの一室がMAD Cityの住人のための木工施工ができる空間であることに驚きました。都市圏になればなるほど、こうした自主的にやる意欲はあっても、工法や作業場所の問題に直面してしまいます。そのハードルを少しでも下げるために、知恵や道具を提供したり、しかもほかの住人が講師になったり、ほんとうによく設計されているなと感心したことを覚えています。近年はベンチャー企業のインキュベーションのような施設が、地方都市にも量産されていますが、こうした細やかなデザイン──そこで活動する人たちの行動をフックアップするような細やかさ──の視点が抜け落ちているケースが散見されて、もったいないなと思うことが多くあります。

──MAD Cityではアーティスト・イン・レジデンスの事業も行なわれていますよね。

寺井──松戸はかつて、水戸と江戸をつなぐ宿場町として栄えました。街道沿いの家には、文人画人が残した宿泊代の代わりの作品が、いまも家宝として残っているんです。この歴史文脈にも着想を得て、現代の松戸に宿場町を蘇らせようということで、「一宿一芸」をコンセプトに「PARADISE AIR(パラダイスエア)」というアーティスト・イン・レジデンスが、2013年から立ち上がっています(現在は一般社団法人PAIRと共同運営)。駅前にある元ラブホテルの建物を改修して、世界各国から訪れるアーティストに、一定期間のあいだ滞在場所と制作場所を提供して、地域に「一芸」を提供してもらうプログラムです。いまでは応募の倍率も上がり、毎週誰かが来ている施設になりました。

「一芸」を披露する公共空間

寺井──あと、街中に共有スペースをいっぱいつくりたいと思って、地元の人と一緒にイベントスペースをDIYでつくりしました。そうしたら、一緒につくった60代のおじさんがDJを始めるようになったんです。忘年会で飲んでるときに、ミキサーが1台だけあって、誰かがギャグでノートパソコンを2台つなげて、YouTubeで曲を流していたんですよ。そしたらDJみたいな感じになって、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとか「80年代のソウルをかけろ」とか言われるんです。だけど僕らは曲名がわからないから「自分で入力してください」と。それでおじさん自ら検索して音楽を流し始めたら「俺もDJできるかも」って言い出して、結局PCDJまで買ったんですよね。そんな人が3、4人くらいいます。そうしたら、ソウルミュージックとかを流す松戸の人たち中心のイベントを月に2、3回開いて、50〜60代が踊り狂ってる。

彼らは「SEPTEMBER」みたいな定番曲に飽きていて、「もっとリミックスとかアレンジバージョンをかけたい」って言い出したりしています。彼らの時代はディスコ文化だったから、客の知らない曲をかけると怒られたりしたらしいんですよね。だから「クラブって自分の好きな曲をかけられて、超いい文化だね」って言うんです。昔のソウルの新しいリミックスバージョンとかをたくさん掘っていて、イケてるんですよ。ある人は、東京に呼ばれてギャラももらい始めたりしてて。

DJイベントの様子。メインの50、60代から子供世代の20代までと、客層がとにかく広い。
[提供:株式会社まちづクリエイティブ]


石川──ほんといい話ですね。音楽や食は隠れた一芸を発掘するアプローチとして、楽しいとか、美味しいとか、フィジカルな欲求に訴えるもので無理がない気がします。ちなみに、音楽空間は世代を超えてカルチャーが育まれる場所ですから、地方における音楽空間の少なさは、とても深刻な問題だと思っています。YCAMのある山口市では、個人が営む音楽空間がほとんどなくなってきています。そういった選択肢が減っていくことは、「街で何かをやろう」という風土に、いずれ格差が出てくるのではないかと危惧しています。とはいえ、この時代に新しい箱を一からつくるのはさすがにしんどい。むしろ、すでにあるものを転用して、音楽空間につくり替えたほうが、体力的にも資金的にもよい気がします。

以前、走行する鉄道車両内で音楽のライブイベントする企画を、岐阜県の大学院(情報科学芸術大学院大学[IAMAS])で城さんたちと樽見鉄道と一緒に行なったことがあります。2017年にはYCAMの主催でJR山口線でライブイベントを実施することができました★3。鉄道でやる理由として、純粋にイベント空間としてめちゃくちゃ楽しいというのも大きいのですが、「この場所でもこんな使い方ができるんだ」という、公共空間でたくらんでもらうきっかけにしたいという想いがあります。結果的にJRで行なうのがかなり大変だったので、一般の人がするにはなかなかハードルが高いことがわかってしまったのですが……(苦笑)。


城一裕──この樽見鉄道での音楽イベント、そもそものきっかけは実験音楽の巨匠ジョン・ケージの生誕100年を記念した催し(2012)でした。彼の作品のひとつに、ローカルな鉄道を使ったパフォーマンスである「失われた沈黙を求めて(プリペアド・トレイン)」というものがあるのですが、その再演をIAMASの学生たちとおこなったのが始まりです★4

この作品、鉄道の車体にマイクやらスピーカやらを取り付けて、地元の音楽家たちによる演奏を車内で行ない、地域の食べ物や飲み物を振る舞う、というなかなかな大掛かりなものでした。でも、当時の樽見鉄道の担当者の方には、企画を即快諾していただけたんです。「あの作品の大変さに比べればなんてことはないですね」ということで、その後も各種の音楽イベントを車内で実施することができました。いま思うと、双方(IAMASと樽見鉄道)ともに同じ地域に根ざしていた、ということもさることながら、「プリペアド・トレイン」の再演時に車両の運転もしていただいた担当営業部長の今村さんと一緒にできた、ということが何よりも大きかった気がします★5

★3──2017年10月28日に行なわれた「Boombox TRIP in TRAIN
★4──生成音楽ワークショップ第7回「失われた沈黙を求めて(プリペアド・トレイン)
★5──生成音楽ワークショップ(城一裕、金子智太郎)「プリペアド・トレインの運転士として」『アルテス』Vol.4 特集=101年目からのジョン・ケージ(アルテスパブリッシング、2013) 。


YCAMが主催するライブコンサートシリーズ「sound tectonics」の第19弾として、U-zhaan、鎮座DOPENESS、環ROYが走行中の鉄道車両内でのライブコンサートを行なった。
[撮影:田邊アツシ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


「MAD Tower」プロジェクト

──いま、僕は九州大学に勤務している傍ら、YCAMのアドバイザーを務めています。MAD Cityとは、以前、東京藝術大学に所属していたときに、その教え子が寺井さんと一緒に働いたという縁で、初期の立ち上げ時に同じくアドバイザー的な立場で関わっていました。

MAD Cityの中に「松戸ビルヂング」という高いビルがあって、その上に松戸市内を眺望できる回転レストランがあるんです。そこが長いあいだ空き物件になっていたので、「MAD Tower」という名のもとにいろいろと企画をしていて、そのなかにビルのてっぺんからレーザーの虹をかけるというプロジェクトもありました。3.11から2年後の2013年の頃です。



城一裕氏


──この取り組みの前提には、寺井さんが実践されている寛容なまちづくりや、自分たちが主体となってつくること、そして街の中で何が可能なのか、その実験の過程を大事にするという考えがありました。だから、企画を考えるうえでも、単に「外からゲストを呼んで何かやります」というのではぜんぜんダメで、一緒に何かやるのが大事だということを考えました。

そのときに声をかけたのが、DJぷりぷりくん★6とパウロ野中さんです。彼らは東京で「浅草橋天才算数塾」というスペースを主宰していて、アーティストなのかなんなのかよくわからないんですよね。でも街中の異分子として、一緒に何かを企てるにはうってつけの人たちだと思いました。彼らが言っていたのは「解放区をつくりたい」ということ。そんな彼らと一緒にいくつかのプロジェクトを考えていました。

当時、松戸には先ほど話に上がった結婚式を挙げた河川敷みたいに放射線のホットスポットがあったり、原発事故で福島から避難した人もいたり、という状況がありました。ともするとそういう話題はアンタッチャブルになりがちで、反原発派と原発推進派の対立のような、さまざまな断絶がおきる場にもなりえるのですが、そこで旧来、東北と江戸とを結ぶ宿場町であった松戸が、そのまちの寛容性を生かして、さまざまな人と人とをつなぐ場として何かできるのではないかという思いがありました.


★6──現在は「セクシーキラー」や「星葡萄(ほしぶどう)」名義でイベントプロデュース、イラストレーター、DJとして活動。


「MAD Tower」のスケッチ(2013)[提供:城一裕]


──そのなかから生まれた、「虹をかける」というアイデアは松戸の歴史に着想を得ています。ドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者が、昭和に松戸市の市長として市政改革に取り組んだことがあったのですが、そのときに虹製造機を設置して江戸川に虹をかけるという試みがあったんです★7。あわせて、いろいろと調べてみると、ニューヨーク在住のアーティストがレーザーの虹をかける、という作品★8を手がけていることがわかり、コンタクトを取ってみることにしました。

ただ、単に作品を設置しても、それこそよそ者が来てなにか変なことやってる、で終わってしまうと思ったので、まずつなぐ場として何ができるかということで、実際に東京電力の方と、松戸市の行政の方、そして地元の方が回転レストランで街を眺めながら話すという場を、MAD Cityのさまざまな取り組みを紹介するイベント「松戸アートラウンド」の一部として設けました。ここで、マチに何が可能か、その実験のひとつとして、東京と福島に向けて光の橋を架けて松戸から世に訴える、というアイデアを町内会長さんに伝えたら「ぜひやろう」と。「もしレーザーで怒られたら俺が責任取る」と言ってくれて。

寺井──「俺が犯罪者になっても上等だ」って言ってました(笑)。東京方面のレーザー光線は国会議事堂の上に行くはずだったから。

──かつての宿場町としての松戸の姿を現代的に蘇らせるというのはそういうことなのではないかと。たしかに荒唐無稽かもしれないけれど、本気で取り組んでいました。結果的に実現には至りませんでしたが。

寺井──市を通じて自衛隊にも連絡を取って、空域にレーザーを飛ばす了承を得たりとか。

──でも、無理だろうと初めから弱腰だと諦めるしかないけど、本気で動けば周りの人もちゃんと話を聞いてくれる。意外となんとかなるもんだと思いました。


★7──扇谷正造『対談ルポルタージュ すぐやる課太平記』(産業能率短期大学出版部、1971)
★8──Yvette Mattern, Global Rainbow, After the Storm, NY, 2012. http://www.yvettemattern.com/index/

新しいことを実験できるアソシエーション

石川──寺井さんは以前から「アソシエーションデザイン」という言葉を使われていて、同時にその難しさも指摘されていたと思います。いま、アソシエーションデザインにどんな展望をお持ちでしょうか。

寺井──「アソシエーションデザイン」に対比される言葉って「コミュニティデザイン」なんですよ。

石川──なるほど。

寺井──「コミュニティデザイン」というのは、山崎亮さんの活動をきっかけに広まった言葉ですね。興味関心型とか地縁型のコミュニティがありますが、いずれにしてもコミュニティそのものに向き合うことは難しいじゃないですか。町内会の清掃活動に参加したかどうかではなくて、「この街はこうあるべき」といったことを喋る経験ってなかなかないし、その立場も重たいんですよね。僕は城さんとのプロジェクトのときもそういう話をしました。

例えば、町内会のようなコミュニティでは、なかなか建設的な議論ができないと感じています。特にサラリーマンを定年退職したばかりの60代の人は、これまで仕事で管理職を務めていたことが多いので、資金計画とかリスク管理に対して意識的だしプライドもある。一方、さらに上の70代や80代の人たちは、家業を継いで、思い切りのいいことをやっても、自分で決済してきた人たち。そんな世代のあいだで「おれたちこそが地元だ!」みたいな意識の競り合いなんかがあって、コミュニティって建設的な議論をするのに限りなく向いてない組織だなと思ったんです。

そもそも、コミュニティの始まりというのは、コモンズとしての牧草地に「ほかの誰かが飼っているヤギが牧草を勝手に食べないように見張ろう」と、自分たちの共有財産が奪われないように守ろうとするものなんです。だからコミュニティとはフリーライド(タダ乗り)させないための閉鎖的な仕組みなんですよね。町内会の清掃活動もそのひとつです。だから、維持するための閉鎖的なコミュニティではなく、新しいことを実験できる開放的な人間関係、つまりアソシエーションが必要だというのが僕の結論です。さきほどのDJのおっちゃんは、閉鎖的なコミュニティのなかで強制されてDJをしているわけじゃない。やりたいからやっている。それこそがアソシエーションだと思います。

──町内会というコミュニティには、その地域に住んでいて定年退職した人が入りますよね。強制ではないけれど、自ら選んでそこに入るわけではない。一方で、MAD Cityに移り住んだ人は「ここに住みたい」という目的がある。これもひとつのアソシエーションと言うことができるんじゃないかと思います。そう考えると、「町内会に入りたい」という積極的な目的を共有できれば、アソシエーションとしての町内会をつくりえる可能性もありそうです。

「アーティスト」とはどういう人か

──寺井さんはアーティストと一緒にプロジェクトをされることが多いですが、「アート」をどのように捉えているのでしょうか?

寺井──ぶっちゃけて言うと、僕らは「アート」という呼称はどうでもいいと思っています。言い換えれば、他者の問題解決や要請とまったく関係ないところで、やりたいことを自分から勝手に推し進めてくれるような人であれば、誰でもいい。職業的な意味での「アーティスト」には興味がないんです。だから、おじいちゃんおばあちゃんでもいい。

──つまり「儲かるからやる」っていう動機じゃない人ですね。

寺井──そうですね。自分から自発的、自主的、自律的に何かをしちゃうような人。彼らを形容する言葉をまだ見つけられていないから「アーティスト」と呼ぶことにしている。それだけなんです。

石川──だから、大事なのは「アーティスト」という肩書きより「人」ですよね。

──YCAMの名称にも「アート」という言葉が含まれているけど、マーケットありきでじゃなくて「面白すぎるからやっている」人たちと一緒に組むほうが楽しいですね。

石川──むしろ、アートありきで考えると立ち行かない現状が現われています。

寺井──だから、アートをちゃんとやっている人の前で、僕らが「アーティストと一緒にやっています」と言うのは、本当は憚られます。結果的にアーティストと呼ばれる人と一緒にやることが多いけど、職業的な意味でのアーティストでなきゃいけないとは思っていない。そのことは丁寧に伝えるべきだと思うんですが、難しいですね。むしろ「アーティスト」じゃなくて「自分で始める人」とか言ったほうがわかりですかね(笑)。

──「数寄者」とか、そんな感じですかね。

寺井──「数寄者」とか「変態」とか(笑)。そういう言葉が近いんです。

石川──「まちづクリエイティブ」も2010年の立ち上げから8年が経ちますが、新しい問題が発生したとしても、基本原理として「アソシエーションデザイン」を軸に進めていけるような、普遍的な強さを感じました。個人的な関心として、YCAMのような公共のアートセンターが果たせる役割をどこまで広げれるのか、ということがあります。

YCAMにある「地域開発ラボ」の役割は大きく2つあり、ひとつはまさに一芸の発掘です。それはヒトのみならず、地域にある素材を、YCAMや外部の研究者やアーティストたちの視線も交えてみることで新しい面白さを見出す取り組みです。

もうひとつは、鉄道のイベントのように私達自身が実践的に場を書き換え可能性を示していくことです。近年はその両輪に加え、行政とも連携して、エリア全体のインフラのような役割を担えないかと考えています。その意味で、「数寄者」や「変態」な人たちが集いたくなるエリアを、その周りにも築いていきたいですね。やりたいことをやった結果、それが世に新しい職業になったり。そのときに生じるコミニティとの摩擦へのアプローチや、そんな人達を寛容に受け入れ、応援したくなるような仕組みをMAD Cityの取り組みから改めて伺えました。本日はどうもありがとうございました!

  • 街を変えるアートとアソシエーション──MAD CityとYCAM

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