2018年11月15日号
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【アジア】アートブックフェアの現在地

安東嵩史(編集者/TISSUE Inc.)

2018年10月01日号

「アジアが熱い」と言われ始めて久しい。

その言葉にはいくつかの要素が含まれるが、まずはなんといっても特徴的な人口動態がある。国際連合の2008年度調査では世界の若者人口(ここでは15〜29歳)のうち実に30%を東南アジアが、28%を南アジアや中央アジアが占めていたことにも象徴されるように、すでに人口減少に転じていた欧米や、同じアジアの日本などと比べても圧倒的に「若い国」が多く、それはすなわち今後安定的に持続・拡大していくマーケットがそこにあるということでもあるため、21世紀の初頭には特に世界の対アジア投資が活発になっていた。そして、それが特に東南アジア各国における飛躍的な経済成長を促した。
そして、そうした状況がもたらした所得やインフラの向上にともなう文化的な変化が後からついてきた。インターネットの時代ということもあり、同時代の世界の息吹をリアルタイムで摂取しながらもアジア特有の複雑な民族構成、細分化されたローカル文化、さらに政治的課題などまでも内包したユニークな音楽、映画、ファッション、ITサービスなどが若者たちによって次々に生み出され、その豊かさに世界が瞠目しつつあるというのが、2018年の現在地だろう。

古い建物がまだまだ残る、シンガポールの下町

さらに、最近では日本のインディーロックバンドがカジュアルにアジアツアーを行なうなど、ストリートレベルでの文化交流が盛んに行われているのも特徴だ。シャムキャッツ、Yogee New Waves、D.A.N.、Tempalayといった人気の若手バンドは頻繁に韓国、台湾、上海などでライブを行なっているし、その逆も然りでセソニョン(韓国)、Sunset Roller Coaster(台湾)などアジア各国のバンドやDJ、ラッパーなどが次々と日本のライブハウスやクラブで公演を打てば少なからぬ数が満員になり、タイのイサーン音楽を題材にとった映像製作集団「空族」による映画『バンコクナイツ』(2016)は異例のロングラン・ヒット。筆者の友人がジャカルタで居候していた家の大学生の息子が始めたファッションブランドは店舗もオンラインストアすら持たず、Instagramのダイレクトメッセージですべての注文を受けて国内のみならず中国や韓国にもデリバリーし、1カ月でインドネシアの平均年収の半分という荒稼ぎをしばらく続け、大学卒業とともにブランドを畳んだ。

母語どうしの壁はまだまだあるものの、インターネットによって文化的なタイムラグがほとんどなくなってきたことによって、むしろそれぞれの国における小さなマーケットだけでなく、アジア全域をマーケットとしてとらえたうえでフレキシブルかつスピーディに動くクリエイターが増加していると感じる。LCCの普及によってアジア圏内をちょっとした長距離バスに乗る感覚でよりカジュアルに移動できるようになったことも、その状況を支えている要因だろう。

同時多発的に勃興する、“若い”アジアのブックフェア

世界各国で開かれているアートブックフェアがここ最近アジアで続々と誕生しているのも、そうした文化状況の表れと見て差し支えない。アジア圏で代表的なものであったThe Tokyo Art Book Fairが2009年、同じくソウルのUNLIMITED EDITIONが2008年にスタートしていることと比較して、ほかのフェアは後発のものが多い。

2013年からシンガポールで開催されているSingapore Art Book Fairがまあまあ古株ではあるが、日本にも馴染みの深い台湾においてはTaipei Art Book Fairが2016年に始まったのが最初で、ファッション雑貨や食などをよりフィーチャーしたCulture & Art Book Fairも2017年に開始するなど、台湾そのものへの(特に日本からの)注目度と比してさらにこうしたイベントが増える傾向にある。

ほかの地域でも、写真に特化したHK Photobook Fair(香港=2015〜)、Bangkok Art Book Fair(タイ=2017〜)、そして成長著しい中国においてはShanghai Art Book Fair(上海=2018〜)が始まるなど、1〜2年で同時多発的にさまざまなアートブックフェアが催されるようになってきた。

東京(左)、台北(右)と場所は違えどどの会場にも多くの人が訪れる

これらは例外なく、各地のインディペンデントなブックレーベルや書店などが企画・運営・キュレーションなどを手がけている。すでにフェアとして定着し、世界各国からの参加者がいる東京やソウルほどでないにしても、どの街においても地元はもちろんアジア各国から集った出版社、ZINEやリトルプレスの制作者、アーティスト、ディストリビューター、書店、印刷業者などの出展ブースがひしめき、少なからぬ数の人々が訪れるし、ある程度は運営側の価値判断や美意識によって出展者もふるいにかけられるため、会場にいる人々の価値観は比較的インディペンデント寄りにまとまっている。この辺も、文化的感度の高くなってきたアジアの若年中流層には新鮮かつ魅力的なポイントだろう。

500年以上の歴史を誇るフランクフルトブックフェアを筆頭とする一般的な(一般書の)ブックフェアというと、世界中から一堂に会した出版社や流通関係者が版権や翻訳権を巡って真剣な交渉を行なっている場という印象が強いが、アートブックフェアは一般ユーザーももう少しカジュアルに入場でき、自由に本やグッズなどを購入している。どのフェアもこうしたアートやカルチャーに敏感な一般層がメインの客層と言えるが、それだけに、それぞれの都市によって売れ筋や人の動き方も千差万別であるのが面白いところだ。

本をきっかけとした体験を求める来場者たち



筆者もTISSUE PAPERSという出版レーベルを運営しているのでしばしばこうしたアートブックフェアに出展したり、出展しないフェアにも偵察がてら顔を出したりするが、東京を基準にして考えると、いろいろと面食らうこともある。例えば2017年、第1回のCulture & Art Book Fair in Taipeiに出展したときは台湾で人気の写真家・濱田英明氏が参加されていたり、日本各地からフードやグッズ類も多数出展していたせいか、初日のオープンからいきなり若者たちによる長蛇の列ができていたのには驚いた。6割方は若い女性客で、男性客もフィルムカメラを首からぶら下げた、いわゆる「文系」な感じの若者たちである。会場はすぐに人で溢れかえり、2日間の開催日程のうちほぼすべての時間で、30分〜1時間待ちの入場待機列ができていた。

われわれは日本円にして3,000円台のアートブックを出展していたが、2017年3月の台湾における被雇用者の平均月収が約18万円であることを考えると、若い世代には少々ハードルの高い金額だ。案の定、きっちり製本した書籍よりも、1,000円前後のZINEやリトルプレス、またはグッズ類を置いているブースの方が常時賑わっている。とはいえ現地では写真表現に対する関心がかなり高い若者が多く、購買にまでは至らないまでも写真集などはかなりじっくりと時間をかけて吟味し、「これ」という一冊を選んでいる様子だった。

これはアートブックフェアの常だが、出版元の人間だけがいるよりも、やはり作家とともに現地に入り、ブースを訪れる人にも作家本人がサインや説明をした方が反応は断然いい。フードや音楽などといった体験価値のなかに、作家とのコミュニケーションも含まれているようだ。「作品世界」への本質的な理解に至るまでにはもう一歩という感じのまだ若いカルチャーファンが多いこの街は、やはりもっとも日本に近いのだなと感じる。聞けば写真学校のようなものもまだ1校しかないそうで、これからどのようなシーンが生まれてくるか楽しみでもある。


作家や作り手との交流も来場者にとっては魅力

都市ごとに異なる本の見方

今年の初夏に参加したSingapore Art Book Fairも、またなかなか印象深いものがあった。アジアのハブであるこの街には中華系・マレー系・アラブ系などさまざまなエスニックグループの人々が混在するが、それを示すように出展する地元の版元やアーティストも現在の文化表象をより深く掘り下げるようなアプローチのものが多かったり、先述したようにインディペンデントの運営であるにもかかわらず国立美術館のブースも出ていたりして、独特の雰囲気がある。

印象的だったのは、この街ではしきりに印刷や製本など、やや専門的なことについて聞かれたことだ。リソグラフのブームが来ているのか、リソグラフのスタジオもグッズやZINEを出展していたし、われわれも2色印刷のタブロイドを置いていたのだが「これはリソ?」と何度訊かれたことかわからない(結局、このタブロイドは100部近くが完売した)。ほかには、異なる判型の冊子をひとつにした、ちょっと変わった製本の決して高くないビジュアルブックを真っ先に手に取ってしげしげと眺める人が多く、結局これも完売している。会場にはシンガポールの著名な編集者テセウス・チャンのライフワークであるアート雑誌『WERK』の印刷・加工を担うDominie Pressという印刷会社のブースもあり、親しくなったのでその話をすると、「シンガポールは人口も少なく、本の部数自体が少ない。それゆえに安づくりしないタイプの本も多く、装丁や紙質などに興味のある人が多いんじゃないか」とのことだった。

実際、日本から出展していたT&M Projectsの松本知己氏、Edition Nordの秋山伸氏らとともに彼らのランチに招待いただき、その印刷や加工へのこだわりを10作品を見せていただきながら聞いたが、並大抵のものではない。某有名百貨店のために17,000部刷った本に皮の表紙をつけ一冊ずつ手作業でヴィンテージ加工したカタログ、コム・デ・ギャルソンのポスターを6cm四方くらいのスクエアな紙片に一旦すべてカットしたものを再びB4程度の判型になるようパッチワークした雑誌、表紙から背表紙から小口まですべて一点一点ハンドペイントした美術書……ありとあらゆる偏執的なまでの加工の粋を見て圧倒されるとともに、ひとえにこうした人々の研鑽によって「情報の器」としてではなく「アーカイブに値する作品」としての本がこの世に生み出されてきたのだなと感じるところも多かった。ちなみに、この日は本当はそうした作品が生み出される現場であるところの本社工場を見学させていただく予定だったのだが、急遽政府系の発行物の印刷が入ったとかでNGになり、街でのランチと相成ったのだった。そんなところもシンガポールらしい。


シンガポールでは、今年は参加を見送ったShanghai Art Book Fairの様子も伝え聞いた。なんでもやはり超富裕層が続々と誕生している上海では、日本でもそうそう売れないような8,000円近い本が飛ぶように売れたり、全出展者の全商品を中身も見ず一部ずつ買っていく恐るべきバイヤーなどもいたそうだ。やがての値上がりを見越してのことなのか、なかなか豪快な話ではある。ほかのアートブックフェアがまだまだ「カルチャー」の域に留まっているのに対して、上海の一部の人々は本もまた投機的な意味も含めた「アート」としてとらえているような印象を受けた。いい商売にもなりそうだし、来年は参加してみようという気にさせられる。写真集を一冊一冊穴が開くほど見てはため息をついてテーブルに戻し、1時間後に駆け戻ってきてやっぱり買っていく……という台湾の若者たちの姿を思い浮かべると、やや複雑な気持ちにはなるけれど。



一口にアジアのブックフェアと言っても、そこにはやはりそれぞれの都市の地域性や出版事情、または社会状況などが如実に反映し、その様相は少しずつ違ってくるものだ。ましてや、その多くがここ数年でスタートしたものであり、今後はブックフェア・バブルやそこからの淘汰といった現象も含め、各地のブックフェアはより明確に分化していくローカリティの部分と、一方で上海のようにグローバルなアート市場の影響を感じる部分、両方の側面が如実に出てくるはずだ。フェアの運営を担うインディペンデントたちの匙加減にもよるだろうし、より大きな政治力学に巻き込まれて変質することもあるだろう。5年後はどうなっているかまったく予測のつかない混沌、それこそがアジアだ。このブックフェア黎明期こそがもしかしたら一番面白いのかもしれないという気持ちも込めて、しばらくは各地を巡っていきたいと思う。


Singapore Art Book Fair(終了しました)

会期:2018年6月29日〜7月1日
会場:NTU Centre for Contemporary Art Singapore(Blk 43 Malan Road Gillman Barracks)
詳細:http://www.singaporeartbookfair.org/

草率季 Taipei Art Book Fair

会期:2018年10月12日〜14日
会場:​松菸北向製菸廠(110台灣台北市信義區光復南路133號)
詳細:https://www.taipeiartbookfair.com/

UNLIMITED EDITION Seoul Art Book Fair

会期:2018年10月20日〜21日
会場:​Buk Seoul Museum of Art, Exhibition Room 1-2, Project Gallery 1-2(1238, Dongil-ro, Nowon-gu, Seoul)
詳細:http://unlimited-edition.org/ue10

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