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【ニューヨーク】つながりと共振──「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展

梁瀬薫(アート・プロデューサー、アート・ジャーナリスト)

2019年04月01日号

ジャパン・ソサエティー(JS)ギャラリーで開催されている「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展は、1960年代における日本で実践的な前衛活動をしていた美術家たちに焦点を当てた本格的な展覧会である。今展は、ニューヨークを拠点にする美術史家でインディペンデント・キュレーターの富井玲子氏の著書『Radicalism in the Wilderness: International Contemporaneity and 1960s Art in Japan (荒野のラジカリズム:国際的同時性と 60 年代日本の美術)』(MIT Press、2016)をもとに、JSギャラリー・ディレクターの神谷幸江氏との協働で構成された。


Radicalism in the Wilderness: International Contemporaneity and 1960s Art in Japan
(MIT Press, 2016)


「日本の戦後美術は近年世界的な注目を集めている。具体美術協会の活動が始まった1950年代に続き、もの派が始動する70年代に先立つ60年代は社会・政治的な大きな変化のなかで既成の場を離れた実践が行なわれてきた。インターネット以前に世界の美術家たちとつながり、グローバルな視野での活動は現代の美術家にインスピレーションを与えるパイオニアだ」と神谷氏がプレスプレビューで述べている。急進主義、過激主義とも訳されるラジカリズムだが、富井氏はアートのための既存の場ではない「荒野」で行なわれた「ラジカル」な活動とその特異な表現を提示している。世界のアートシーンとのリンク、同時代のそして現代の芸術家たちに与えた影響も考察する。

1. 松澤宥「読むアート」


長野県下諏訪に生まれる。日本のコンセプチュアリズムの先駆者。「荒野におけるアンデパンダン‘64展」に代表されるように「物質の消滅」という思想を提示し、言葉や行為により、作品の非物質化を目指した。その表現方法としてはドローイング、コラージュ、招待状、メールアート、レター、曼荼羅、パフォーマンスなど多岐に及ぶ。現代科学、超心理学、仏教思想などからインスピレーションを受け、鑑賞者の精神の働きを解き放つため、「瞑想によるヴィジュアライゼーション」、仏教でいう「観念」による実践を応用して「非感覚的絵画」を考案。禅の思想、あるいはゴースト(魂)や目に見えない世界を最小限の動きで表現する日本の伝統芸能である能のコンセプトを想起させる。



松澤宥(1922–2006)
Matsuzawa Yutaka holding White Circle, 1969
「白い円」をもつ松澤宥 1969
青木画廊展覧会図録(1969)からのデジタルプリント、オリジナルの写真は中嶋興撮影
6" x 4 1/8" (15.3 x 10.4 cm)


「アートの中心の地であった東京ではない、地方で既存の表現や制度に収まらない作品の理論を追求し、現代美術の主流とは隔絶した戦略を考案し、ローカルな文脈に根ざしていたこれらの美術形は、世界で起きていた美術の潮流との類似性を知らず知らずのうちに体現することとなった」との富井氏のステイトメントは、ギルバート&ジョージ、ジョン・バルデッサーリ、ヨーコ・オノ、イヴ・クラインらの作品との響きあいが立証している。ギルバート&ジョージは1975年には、松澤の樹上の小屋「泉水入瞑想台」に訪問している。また同郷の草間彌生とも交流があり、1952年に松澤に送られたレターも今回展示された。

また今回紹介されている「プサイ」論は、他のコンセプチュアルアートに殆ど見ることの無いユニークな思想である。プサイ(ψ・psi)はギリシャ文字第23字、超心理学で超能力を現す記号、量子力学で中間子の記号φ(ファイ)とともに波動関数を現す記号だと意味付けられるが、一般にはあまり馴染みの無い記号だ。下諏訪のアトリエ「プサイの部屋」は過去に制作された情念的なオブジェで埋まり、そこで松澤は半世紀近くに渡り東洋的な宗教観、宇宙観、現代数学、宇宙物理学などを組み入れながら思考を深め、仏教用語である「観念」そのものをアートとして表現しようとした。



松澤宥が美術評論家瀧口修造にあてた「プサイの座敷への招待状」1963
[撮影:筆者]



松澤宥(1922–2006)
《プサイの死体遺体》1964
印刷物、封書に入れて瀧口修造に送ったもの
15 1/8" x 10 1/4" (38.4 x 26 cm)
慶応義塾大学アート・センター、瀧口修造文書、ca. 1945–1979


彼の深い思想を紐解くためには、会場に展示されている緻密なオペレーション・マニュアル(=作業手順書)が重要な鍵となる。鑑賞する芸術というより読み解き明かす芸術である。JSギャラリーの中央会場にイヴ・クライン、ヨーコ・オノ、デニス・オッペンハイムの作品と共にインスタレーションされている「人類よ消滅しよう行こう行こう(ギャテイギャテイ)反文明委員会」と書かれたピンクの幟は1966年の代表作だ。松澤が生涯続けたパフォーマンスで垂れ幕として使われたものだが、ここでは巨大なオブジェ作品として完結している。



「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展の展示風景
March 8 – June 9, 2019, at Japan Society, New York
Photo credit: Richard Goodbody, courtesy Japan Society, New York


2. 新潟現代美術家集団 GUN(Group Ultra Niigata)「荒野からの叫び」


GUNは1967年に新潟で生まれた前衛芸術家集団。グループの代表は市橋哲夫と前山忠。中心メンバーとして堀川紀夫が参加している。結成50年以上となるが新潟の現代アートの源流とされ、その前衛性は近年再評価されている。機関誌の発行やシンポジウム、ハプニングを開催した。1970年2月、信濃川河川敷での「雪のイメージを変えるイベント」はまさにサイトスペシフィックなパフォーマンスであった。この地域では雪といえば迷惑なシロモノでしか無いというところに着目。約10人のメンバーが雪で覆われた河川敷に顔料を噴射し抽象画を描くというパフォーマンスを2回開催した。雪の上の絵画は、しかし降り続く新雪のためにわずか30分で再び白一面に。グループ以外にこの作品を見たのは、たまたま通った路線バスに乗っていた乗客のみだったという。会場で流されている映像では噴射された色がダイナミックに雪のなかを舞い、神秘的なスノーペインティング作品として記録されている。



GUN
《雪のイメージを変えるイベント》1970
パフォーマンスアートの写真
Dimension variable
Photo © Hanaga Mitsutoshi


またメンバーの一人、堀川紀夫は石を送るメールアートを創始。梱包せず、信濃川で拾った石をそのまま郵送するという方法は、当時東北に限らず全国で観光地土産品として主流だったこけしを当地から直接発送する「こけしメール」のシステムにヒントを得たという。1969年米国のアポロ11号で採集された月の石に対して、11個の地球の石を拾い、状況を記録し、針金を巻き、郵送する。さらには東京ビエンナーレに際しては、アポロ13号にちなんで事務局へ書留郵便で13個の石を送った。このシリーズで堀川は、1969年12月に米国アポロ計画の総指揮官であるニクソン大統領に、1個の石を郵送。のちに大使館を通して返事が届いた。「とてもユニークなクリスマスプレゼントを贈ってくれた思慮に感謝します」。



堀川紀夫(b. 1946)
《信濃川プラン: 11》1969
石によるメールアート、松澤宥に宛てたもの
1 3/4" x 7 1/8" x 3 1/8" (4.5 x 18 x 8 cm)
松澤久美子蔵


「美術は自由でなければならない」と言う同じメンバーの前山忠は、社会の矛盾をアートで訴え続けている作家だ。反軍、反戦の旗が展示会場天井から吊るされており60年安保闘争の歴史が蘇る。国民の内なる変革に訴える行為であるという「反天皇制」の写真コラージュや出版物による前山の作品はダイレクトでショッキングな提示でもある。旗の作品からは、1990年代からラジカルなテーマで作品に社会的なメッセージを強く打ち出し、国際的に評価されている柳幸典の旭日旗やアメリカの国旗の作品などを彷彿とさせる。ここで明らかなのは両者、また堀川にしても人種・国籍・性別・宗教そして社会に拘束されず、多様なものの見方を提示しているのである。



「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展の展示風景
March 8 – June 9, 2019, at Japan Society, New York
Photo credit: Richard Goodbody, courtesy Japan Society, New York


3. The Play「時の概念」


1967年より大阪を拠点に活動し、「行為」に取り組み続ける唯一の美術家集団である。メンバーは流動的でこれまでの参加者は100名を超えるという。

日本の現代美術を振り返ればアートの集団は、60年代のハイレッドセンター、80年代のダムタイプ、90年代にはコンプレッソ・プラスティコ、そして2000年以降には 、Chim↑Pom、そしてプロジェクトによってはインターネットなどの情報環境を使い、プロジェクトによってチームを作り新たな表現を模索する運動体「コレィティブ」が登場している。行為をとおして、アートに新しい価値が見出されてきている。プレイは川、山などの自然のなかで行なう「旅」を実施した。巨大なファイバーグラス製のタマゴを本州最南端から太平洋へ投入した作品「Voyage: Happening in an Egg」(1968)に始まり、77年からは、山頂に丸太材で三角塔を建て、毎夏キャンプをし、落雷のハプニングプロジェクトを開始した。ところが3年経っても雷が落ちず、その行為は10年間に及んだ。結局雷は一度も落ちなかったが、長い年月をかけて、結果的に何も起こらかったハプニングとなった。しかしその裏には単に待ち続けるという行為ではなく、人間の物質的、精神的制約からの解放を提示し続けたのだ。そして参加者が毎年共有した時間が歴史となった。



The Play
《現代美術の流れ》1969
パフォーマンスアートの写真
Dimension variable
Courtesy of The Play


ニューメキシコ州の荒涼とした大地に400本のステンレス鋼を建てたアースワークを代表するウォルター・デ・マリアの「ライトニング・フィールド」も1977年から設置されているが、時間軸を超越して大地のハプニングを想像させる作品だ。そのタイトルと形状からは稲妻の直撃を想起させるが、実際には雷が落ちるのは稀だという。また、プレイのユニークなプロジェクトで1968年の漁船、1969年の川下りのための矢印の形状をしたイカダは、一般の人々の協力を得たり、資材をレンタルするなど、地域社会との協働をモットーとしたものがある。川の流れはアートの新潮を提示し、地域のコミュニティーを基盤とした、ソーシャル・エンゲージド・アートの現代の流れを作った。


The Play
《雷》1977-86
パフォーマンスアートの写真
Dimension variable
Courtesy of The Play


1960年代の日本は昭和35年から昭和44年にあたる、いわゆる高度経済成長期で、海外旅行の自由化、日米新安保保障条約の締結から始まり、カラーテレビ放送開始、64年の東京オリンピック、69年には学生運動による東京大学安田講堂の占拠など、目まぐるしい時代を背景にしながら、既成の枠組みや思想に対する問題提起が行なわれていた。そんななか、60年代の美術は日本の社会状況と深く結びつき、視覚芸術の定義を一挙に広げていったのだ。本展は、世界で同時多発的に起きていたアートの動向と重なった作家間の交流、相互の影響に焦点をあてている。近年世界中で、具体、もの派は注目を集めている。しかし、その同時代に、アートの中心地ではないローカルな「荒野」で、実験的で精神性を重要視した前衛的なコンセプチュアルアートが、グローバルに響きあい、共振していたという事実は興味深い。



キャロリー・シュニーマンからオノ・ヨーコへ返信した《Draw Circle Event, 1964-1965》の葉書
[撮影:筆者]


★──ニューヨークを拠点に活動する美術史家・キュレーター。日本の文脈およびグローバルな文脈における1945年以降の日本美術を研究している。 日本の近現代美術史の学術的メーリング・リスト「ポンジャ現懇」の主宰としても活躍。1994年に『Japanese Art After 1945: Scream Against the Sky』アレクサンドラ・モンロー編著で絵画論の寄稿、資料集の編纂と翻訳、全体の編集を行なった。2000年にはNYのジャパン・ソサエティー主催の「YES Yoko Ono」展カタログ、2007年に『モダニズム以後の集団による美術(Collectivism After Modernism: The Art of Social Imagination After 1945)』(ミネソタ大学出版局)、2011年『グローバリゼーションと現代美術』(ブラックウェル出版)など数多くの著書を執筆、編集している。2017年に『荒野のラジカリズム──国際的同時性と日本の1960年代美術』でデイダラス・ファウンデーションよりローバート・マザウェル・ブックアワードを受賞。


「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち(Radicalism in the Wilderness: Japanese Artists in the Global 1960s)」展

会期:2019年3月8日(土)〜6月9日(日)
会場:ジャパン・ソサエティ・ギャラリー
(333 East 47th Street New York, NY)

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