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東京のアートフェアはどこへいく?

住吉智恵

2009年04月15日号

充実のエデュケーションプログラム

 昨年から始まった101TOKYOはどうだろう。国内外のギャラリー33軒の参加があり、今年は若手というよりは、東京以外の地域から中堅ギャラリーの出展が目立った。細かく区分された出展者ブースとは別に、主催者と選考委員のセレクションによる若手作家の展示があったようだが、キャプション、推薦者、推薦理由などの掲示がないので目にとまりにくい。“現場系”演劇ユニット「悪魔のしるし」など、ゲリラパフォーマンスがあちこちで出没したりと、アートバブル前の混沌の時代を彷彿させた。
 一方、エデュケーションプログラムはかなり充実していた。2つしか聴けなかったが、パネルディスカッションの登壇者とそのトピックは、現代を生きるアート関係者にとってリアルなテーマに終始密着していた。椿昇の「アーティストなんだから自分のアタマで考えろ。サバイバルの発想はいくらでも生まれるはず。日本を牛耳ってきた既得権を今こそ奪え」という力強くも至極当然の提言は、バブル景気に乗っかってユルんだ独立自尊の意識を叩き起こす往復ビンタとなったかもしれない。なかでも、ファッションやIT、あるいは趣味的サークルといった、アートなんぞに本気で首を突っ込まないほうが安全そうな領域の方々が多数登壇した回では、むしろ生真面目なプレゼンテーションに感動を覚えた。なぜこの時代に今なおアートなのか? 玉石混淆のアートシーンが鎮静したあと、あえて乗り出そうというからには、それだけの信頼性を獲得する確固とした自信があるはずだ。そして彼らを動かした動機とは「現代を生きるためにアートは必要だ」という実感でなくてなんであろう。
 実行委員の1人、ジャパンタイムズのアートエディターであるドナルド・ユーバンクはこう語る。「中国がアジアのアートマーケットで主役を張った時代は終わった。彼らはお金の話にしか興味がなかったからね。アジア文化の中心はやはり東京。日本人は苦境を文化の豊かさで乗り切ることを知っている」。彼はまた「短期間で一気に増えたアートフェアも自然淘汰され、各都市にヤング系とエスタブリッシュ系、2つのアートフェアがあれば十分なのではないか」という意見だ。


「101TOKYO」:アートコミュニティーはどう違うのか?国内外でのアートサバイバル術、イベント風景
提供=101TOKYO

 歴史的に観ても、日本人はどんな乱世にあろうと、混迷のなかから芸術を育むことを忘れなかった。毎日を生きることで精一杯の時代こそ、芸術文化は憂き世の不条理をも昇華させ、美しさや楽しさを感じることのできる心身の大切さと誇りを実感するための道標となる。それほど名誉あるものとも思えなかった経済大国の勲章を外した今、日本人が向かうべき道は、市場経済の浮き沈みに動じることなく、身の丈に合ったスタンスで芸術を愛でる精神を鍛えることではないか。これからのアートフェアはそのトレーニングの機会となるべきだ。高額化した人気作家の作品は海外へ流出し、手の届かない場所へ行ってしまったかもしれない。しかし新しい作家、新しい作品はどんどん買いやすいプライスで勝負に出てくる。たとえば、ブランド物で固めれば誰でもお洒落に見えるのは当然だが、古着やノーブランド品のアレンジで本当のセンスが磨かれるように、今こそ再編されたアートシーンのなかで、ブランド力や価格に惑わされず、自分自身の選択眼でアートを探しだす歓びを知るチャンスなのだ。それはむしろアートヴィレッジに長年住みついた人間にとってこそ「アートの存在意義」を覚醒させてくれる、本質的なチャレンジとなるかもしれない。

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