フォーカス
越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》とは何であったのか?──2000年代日本現代アート論
彦坂尚嘉/木村静
2009年08月15日号
2:山本想太郎と彦坂尚嘉の2つのフロアイベント
今回の越後妻有トリエンナーレ名品ツアーで見た作品の中で、秀作をあげるとすると、先ずに山本想太郎の建具を使ったフロアーイベントとも言うべき作品だろうと思います。次に紹介する彦坂尚嘉の間伐材をつかったフロアイベントと、床にものを敷くということで良く似た構造です。
山本想太郎氏は、1966年生まれの建築家で、早稲田大学理工学研究科(建築専攻)修士課程を修了して坂倉建築研究所を経て、独立して山本想太郎設計アトリエを主宰しています。今村創平、南泰裕らとともに建築家ネットワーク・プロスペクターをつくって活動して、前回の2006年には、このグループの作品として「足湯プロジェ」を松之山湯田温泉「ゆのしま」敷地内にアート作品としてつくっています★1。
今回はグループではなく、一人で制作した作品です。タバコの葉を乾燥させる倉庫として使われていた建物の内部に、庭のように歩く空間を作っています。
前回の足湯プロジェクトで使った白く塗られた越後妻有全域から集められた木製建具約150枚が用いられて、訪れた人は、建具の障子紙やガラスが無くなった穴の部分に足を入れて、この庭を散策するのです。上部の空間には空中に浮遊する、建具でできた3つの筒があって、上部から外光が入っています。
繊細で、大胆で、そして建具の敷かれた床を歩くという作品で、新鮮で感銘を受けました。
この山本想太郎の作品は、デザイン的エンターテイメントではなくて《真性の芸術》になっている作品です。このこと故に、高く評価したいと思います★2。
山本想太郎の越後妻有トリエンナーレへの取り組みは、これだけではなくて「妻有田中文男文庫」(作品番号10/2009年作品)さらに、「安堀雄文記念館」(作品番号10/2006年作品)「再構築」(作品番号31/2006年作品)、「名ヶ山写真館」(作品番号36/2006年作品)と、全部で五つもあるのです。この精力的な活動の熱意が背景になって、今回の傑作が生まれたと思います。
この山本想太郎の作品に呼応するかのように、建築の床面を、あたかも外部の庭であるかのように反転させて、廃屋を芸術作品に変貌させたのが彦坂尚嘉のフロアイベント2009(作品番号22)です。彦坂尚嘉は1946年生まれの美術家で、1970年多摩美術大学油彩科中退。1969年に多摩美術大学の学園紛争のバリケードの中の造型作家同盟展という美術展でデビューしたアーティストです。そのときに出品した床に透明ビニールを敷いた「フロア・イベント」と、木を使った「ウッド・ペインティング」を、40年後の現在も展開して継続制作しているという作家です。
今回の越後妻有トリエンナーレでは、田麦(作品番号22)という山村の廃屋では「フロア・イベント」を展示し、もう一つ建築家の手塚貴晴のリノベーションしたイタリア・レストラン「黎の家」(作品番号229)の方には、「ウッド・ペインティング」を5点展示しています。
前回2006年では、同じ田麦の廃屋で、自分の家である彦坂家の歴史をテーマにしたフロアイベントを展開しています。彦坂家は、宇都宮藩の家老の家で、幕末の宇都宮戦争で壊滅している家系なのです。この時は〈気派〉というグループで制作しました。
展示は、一転して、間伐材を使った作品になっています。
今回はグループではなくて、一人で制作した作品です。200年は経つ古い農家の内部に、庭のように歩く空間を作っています。津南の山奥に切り倒されて放置されている樹齢20から30年の間伐材を輪切りにして、約1,000個、床に敷いているのです。間伐材の上を歩くのは汚れと危険さで無理なので、床にはレンガと砂利で歩道が作ってあります。観客は、この歩道を歩いて室内を散策して、反対の出口から出て、今度は両側に開いた壁を失った空間を透して向こう側の茄子畑を、見ると言う借景の作品です。外壁には絵が描かれていて、廃屋ペインティングになっています。家の内部にも『ペンキ絵』が描かれていて、さらに「木に竹を継ぐ」という言葉と、「人は木竹石にあらず」という文字が書いてあります。産業社会と情報化社会の連続性の齟齬と、そして派遣切りに象徴される事態を、間伐材と言う人工的な淘汰の悲惨さに重ねた作品であります。この彦坂尚嘉の作品も、デザイン的エンターテイメントではなくて、《真性の芸術》になっています★3。
彦坂尚嘉の越後妻有トリエンナーレの取り組みは、これだけでなくて、すでに述べたように、イタリア・レストラン「黎の家」(作品番号229)の方には、「ウッド・ペインティング」を5点展示しています★4。