フォーカス
建築の錬金術
木村浩之
2009年09月01日号
ひとり当たり国内総生産では日本の倍近くを誇るスイス。そのなかでも抜きん出て高いのがバーゼル市。市民に一般公開した美術コレクションという意味では世界初である美術館があったり、アートバーゼルが開催されたりと、アートの文脈では伝統的に知られている。そこで今起こっている超ハイエンドな建築ブームを、バーゼルの伝統・歴史・産業とのつながりから紹介する。
二大薬品会社を生み出したバーゼルの文化的土壌
アートフェアやワールドウォッチフェアで有名なスイスの都市バーゼルは、人口18万人という日本でいうならば地方小都市でしかない。それにも関わらず名のとおった多くのグラフィックデザイナーや建築家がいることで知られている。建築ではヘルツォーク&ド・ムーロン(プラダ表参道、テートモダンや北京五輪スタジアムを設計、2007年高松宮殿下記念世界文化賞受賞)が300人近くのスタッフを抱える事務所を構えている。また、『ハイジ』の舞台の近くのアルプスのふもとに事務所を構えるペーター(ピーター)・ズントー(2008年高松宮殿下記念世界文化賞受賞)もバーゼル生まれだ。
スイス・タイポグラフィとして広く知られる現代タイポグラフィの基礎理論を構築したムーブメントもバーゼルを中心としていたし、いまや欧文フォントの基本中の基本としてどのパソコンにも入っているヘルベチカ(Helvetica)というフォントもバーゼル生まれだ。また、ポカリスエットなどのロゴデザインをした大阪在住のヘルムート・シュミットもバーゼルで学んでいる。彼は日本におけるスイス・タイポグラフィの伝道師的役割をかって出ていると同時に、もっと広く(モダン)タイポグラフィの考え方を作品をもって示し続ける模範的存在だろう。
そもそもバーゼルにおけるグラフィックの伝統は、印刷業に由来する。アルプス以北でも屈指の歴史を誇る大学(バーゼル大学、1459年創立)のあるこのライン河沿いの町において、印刷業が早くから発達したのは想像に難しくない。エラスムスなどがひいきにしたフローベンという印刷出版業者などを中心に、1500年頃にはパリ、リヨンやヴェネツィアと並ぶ一大印刷都市として知られていたという。1488年に開業した印刷所シュヴァーベは、現存する世界最古の印刷所として今日も営業している。1500年頃といえば、まだグーテンベルグの活版印刷術の発明から半世紀ほどしか経っていないが、バーゼルでは後にスイスにて宗教改革運動をおこすツヴィングリがエラスムスに学んでおり、新しい世界感が吹き荒れる時代だったに違いない。数年後にパラケルススという一種特異な錬金術師的医学者がバーゼル大学の医学部教授に就任した。彼はラテン語ではなくドイツ語で講義を行なったり、当時医学界で聖典扱いされていたギリシア医学の貴重な写本を燃やすなど、過去や慣習からの決別を意志表示する行動に出た。その背景には、こういった時代・場所の空気があったのだろう。
まもなくしてイタリア医学界の名門パドヴァ大学で教鞭をとっていたヴェサリウスが、わざわざ遠く離れたバーゼルから解剖学の本を出版する。それは1543年のことであったが、その年といえばコペルニクスが死と同時にあの有名な著書を出版した年でもある。コペルニクスが死後の出版を自ら希望したのはローマ・カトリック教皇庁からの迫害を恐れたためだったという。そういったエピソードからもわかる通り、カトリック教皇庁の息のかかる土地では出版もままならなかったのだ。まして、カトリック教皇庁から禁止令が出ていた人体解剖を本にして出版することなど言うまでもない。
こうしてバーゼルはその印刷の伝統とプロテスタント的自由な土壌により医学出版の中心となっていく。このことが、この小さなまちにロシュ社とノヴァルティス社という、売上げ世界ランキングトップ10に入る製薬会社が二つも存在していることと遠からず繋がっていることは間違いない(ちなみに医療大国日本にはトップ10に入る製薬会社はない)。
ロシュ社の文化的貢献
バーゼルの総税金収入の3分の1とも言われる大口納税者である両社は、またバーゼルの建設業界の大顧客でもある。
ホフマン・ラ・ロシュ社は、いまや有名すぎるほどのインフルエンザ薬「タミフル」の権利を保有・製造している会社なのだが、この家族経営の大会社は文化パトロネージを多く行なってきたことでも良く知られている。特にオーナーの未亡人と結婚し巨額の富を自在に使うことができた指揮者パウル・ザッハー(1906〜1999)の道楽社長の時代には、例えばバルトークを第二次世界大戦中に別荘にかくまいつつ作曲委嘱するなど、ストラヴィンスキーからブーレーズに至るまで現代音楽のムーブメントをバーゼルにもたらした。今はパウル・ザッハー財団としてオリジナルの譜面などを保管公開しているし、バーゼル音楽院が古楽とともに現代音楽に強いのもそういう由来がある。他にもマリオ・ボッタ設計による《ジャン・タンゲリー美術館》(英語圏ではティンゲリーとして知られる)はロシュ社のコレクションだし、最近ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した《シャウラーガー》もエマニュエル・ホフマン財団という、元を正せばザッハー夫人が創設した現代美術コレクションである。建築でも、1930年代にはオットー・ルドルフ・サルヴィスベルグという主にベルリンで活躍したスイス人モダニズム建築家に工場一帯の設計を任せており、近隣の集合住宅街よりもよっぽどエレガントな装いをいまだに保っている。
その会社がライン河沿いに160メートル強、総工費550億円の(バーゼルにしては)超高層オフィスビルの構想を一昨年発表している(ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計) 。多くの賛成反対意見にもまれたのち、結局地盤強度不十分という理由で引き下げ、代わりに(ジェネンテックという巨大バイオ医薬品メーカーを買収し)より合理的(で安価)な地区再開発・高密度化のマスタープランをヘルツォーク&ド・ムーロンに依頼している。この一連の顛末は、さまざまな意地悪い憶測を呼ぶこととなった。
最初からこのビルを建設するつもりはなく、ただイメージ操作のためだけにプラン発表を行なったのではないか、と。
より具体的には、合併により突如として互角のライバル会社に成長したノヴァルティス社が、ここ数年、既存の工業地帯を新たな研究センターへと再開発する巨大プロジェクトをド派手に行ない話題を集めていることに対する牽制なのではないかという見方だ。