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テラヤマという「多面体」のなかを泳ぐ──
三沢市寺山修司記念館 常設展示室/特別企画展2020 vol.2「オリンピックと寺山修司」

広瀬有紀(三沢市寺山修司記念館)

2020年12月01日号

俳人であり、劇作家でもあり、映画監督でもあり、競馬評論家でもあり──数多の肩書きを持つ青森県出身の表現者・寺山修司(1935-83)。青森県三沢市にある三沢市寺山修司記念館の展示室は、彼の膨大な活動を横断的に覗くためのユニークな仕掛けに富んでいる。今年で開館から23年。寺山ファンの聖地のような存在でもあるこの記念館の展示が目指すものと、現代の若い世代も魅了し続ける寺山作品の魅力について、学芸員の広瀬有紀さんにお話を伺った。(artscape編集部)

引き出しごとに異なる顔

──常設展示室に入るとまず目に入る、ずらっと並んだ机のアイデアはどこから生まれたものだったのでしょうか。

常設展示室には11の机があるのですが、それぞれに別々のテーマが込められているんですね。例えば寺山が中学生だった時代をテーマにした机。その頃に文芸に目覚めて、表現活動の幅が広がっていくのですが、机の引き出しを開けるとその頃の原稿や資料などが見られます。あるいは早稲田大学に進学して作家になっていくまでの時期の机もありますし、演劇をテーマにした机だけでも3基。ほかにも映画についてや、シナリオライター、詩人、作詞家としての各仕事など、寺山のもつ顔ごとに遺品やスクラップブックなどを展示しています。

常設展示室

寺山の著作のなかに『テーブルの上の荒野』という歌集があります。そして映画『田園に死す』でも、机の引き出しの中に隠しておいた蛍が原因で火事になった、といった台詞を書いたりしていて、やはりテーブルというモチーフには寺山自身のイメージが詰め込まれているんですね。寺山を展示で見せようとしたときに、壁に資料が貼ってあるだけではやっぱり寺山らしくない。こうやって引き出しを開けて「寺山を探す」のをコンセプトにして、引き出しの中に寺山を閉じ込めてしまおう、と。開けたところによって違う寺山が出てくるし、見ているうちに余計に寺山がわからなくなっていくような……(笑)。そして「また来よう」と思ってもらうのが狙いのひとつです。

常設展示室


──机のスペースの屋根の上は、まるで舞台のようですね。

はい。展示室の奥側に回ると、演劇や映画のモチーフが並んでいます。実際に使っていた舞台装置や、『田園に死す』で印象的な指差しのマークなども。寺山の演劇は、ただ座って観ているだけの新劇や翻訳劇とは違って、「見世物」の系譜にあります。「あれは見ていいのだろうか、いけないのだろうか」とわくわくさせられるような。時期によってそれこそ「寺山修司1」「寺山修司2」……といったかたちで、寺山の影武者のような存在の劇団員がいて舞台設計を手がけていたのですが、その方々のアイデアがここでは結実しています。

常設展示室

常設展示室

よく私たちは、寺山のことを「多面体」と言ったりしますが、見る角度によって「あれも寺山、これも寺山」と、異なる寺山が見えてくる。「寺山がわからない」というのは、寺山がひとりじゃないという意味では本当に正解なんですね。いろんな人の集合体が寺山修司だった。

ここでは資料を一つひとつ細かく見ていくこともできますし、展示の仕掛けに翻弄されるという楽しみ方もできる。演劇の記録映像アーカイブや書籍などの資料も含め、自分の興味に合わせて観ていただけます。丸一日かけても展示をすべて観きれる方は少ないですね。



寺山修司研究の発展も見据えて

──記念館の中に入って最初に目に入るのは、時期ごとに異なる企画展示ですね。

はい。企画展示では、最新の研究の成果や当館の活動を通してわかったことを公に出していくことによって、それがさらに叩かれ揉まれ進化していってほしい、という期待もあります。いまはまだ、寺山が亡くなってから40年足らずという微妙な時期。寺山に関する研究はかなり未開拓な状態なので、とにかく現在最新でわかっていることを見せていくことによって、研究を発展させていければと。関係者の方でも元気な方がいらっしゃるし、研究分野としてはまだまだ耕す余地のある時期なんですね。

今年(2020年)は東京五輪のタイミングだったので、それに合わせて「オリンピックと寺山修司」という企画展を開催しています。そもそも古代オリンピックではスポーツ競技のほかに「芸術競技」という部門があって、そこでも点数を競っていたらしいんです。近代オリンピックにおいてはクーベルタン伯爵という人がその芸術競技を復活させたものの、現実的にはいろいろな困難があって、時代とともに開催形式や名前を変えていくんですね。現在は「文化プログラム」という名称になっていますが、寺山が参加した1972年のドイツ・ミュンヘン五輪のときは「芸術展示」という枠組み。ここで寺山は組織委員会から正式にオファーされ、日本の代表としてパフォーマンスを上演しました。

企画展示「オリンピックと寺山修司」

この年は非常にテロの多い年で、ミュンヘン五輪もその標的にされ、芸術展示は会期途中での中止が決定されるんです。招聘された他国の芸術家たちが町中での抗議デモを実施したりするなか、デモが好きではなかった寺山は、あくまで劇中で組織委員会への抗議を表明するために、劇場で大道具を燃やすパフォーマンスを決行しています。今回の企画展示は、そんな1972年のミュンヘン五輪のことを中心に構成しています。

ミュンヘン五輪当時の新聞記事。国からの渡航費用がなかなか下りないなか、寺山は当時の首相である田中角栄に直訴状を手渡しし、鶴の一声でお金を出してもらうことになったという


寺山が持っていた、1964年東京五輪の実況録音集のオープンリール。当時の寺山は東京に住んでおり、五輪の開催に合わせて大きく開発されていった当時の街の様子は小説『あゝ荒野』のなかにも綴られている


目標は「寺山を偉人にしない」こと

──今回ここに伺って、若い来館者の方が多いことに驚きました。

今日も若い女性のお客さんがとても長く滞在されていましたが、彼女たちみたいに純粋に寺山の作品に向き合ってくださる方や、この記念館を観光の目玉として遠方から来てくださる人がいまだにとても多くて、「寺山の引きって本当にすごいんだなあ」と我々も驚いています。寺山は昭和に生まれて昭和に亡くなっていて、時代性のある作家だと思われている部分も多いと思うんですが、彼の書いた言葉はすごく普遍的なんですね。いま読んでいても「昨日書いたんじゃないか」と思わせるようなところがあります。

うちの館は毎年5月に「修司忌」といって、寺山の命日周辺に来館者の方にお花を手向けていただくというイベントを開催していて、毎年全国からファンの方が訪れます。今年は新型コロナウイルスの影響で実施できなかったんですが、詩人であり寺山と一緒に活動していたうちの館長(佐々木英明氏)がオマージュの作品を朗読して、その様子を収めた映像をSNSに載せました。SNSではほかにも、「テラヤマ・キッズ4コマ劇場」という4コママンガの連載をやっています。三沢在住で漫画家志望だった齋藤さち子さんという方がマンガをつくってくれているんですが、寺山の俳句や人物エピソードをモチーフにして、月1〜2本ほどTwitterに載せるのを始めてから、そろそろ40話になります。

テラヤマ・キッズ4コマ劇場 第36幕[マンガ:齋藤さち子](元ツイートはこちら

ギャグ的な回もあれば、ほのぼのした回もあります。寺山が亡くなった年に生まれた齋藤さんは、もともと寺山の詩のファンだったんですね。寺山の誕生日や企画展、あるいは時節柄に合わせたりと、ネタも基本的には彼女が面白いと思ったもののなかからアイデアを出してくれていて、ニュアンスや事実関係にズレがないかは私たちが監修しています。

実は私たちの目標は「寺山を偉人にしない」なんですね。4コママンガもそのための試みのひとつです。逆に寺山との距離が近くなりすぎないためのバランスを取る工夫も監修のなかでしていますが、寺山を「偉大な芸術家」のような遠い存在にしてしまうのではなく、関係者しか知りえないようなダメなところや人間臭いところも、なるべく長く伝えていくのが次の世代の務めかなと思っています。


特別企画展2020 vol.2「オリンピックと寺山修司」(第2期)

会期:2020年11月3日(火・祝)~2021年3月31日(水)
会場:三沢市寺山修司記念館(青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955)
公式サイト:https://www.terayamaworld.com/museumnews/2020/10/18/特別企画展2020-vol-2「オリンピックと寺山修司」第2期/

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