キュレーターズノート

シャルロット・ペリアンと日本/「この素晴らしき世界──アジアの現代美術からみる世界の今」準備中

角奈緒子(広島市現代美術館)

2011年12月15日号

 いつの時代にもそしてどの分野においても、時代を切り開く人は存在する。時代の最先端を行くそうした人々は、称賛され熱狂的に受け入れられるか、またはあまりに新しすぎるためすぐには理解を得られず、見過ごされるか叩かれる。そして当時の評価がどうであれ、時が流れ過去を振り返るとき、人々はその人物の成し遂げたことの大きさに改めて気づかされる。シャルロット・ペリアン(1903-99)もそうした人物の一人だったに違いないと、現在、神奈川県立近代美術館〈鎌倉館〉で開催中の「シャルロット・ペリアンと日本」展の準備に携わり、思いを新たにすることとなった。

 1903年生まれのシャルロット・ペリアンは1927年、弱冠24歳で《屋根裏のバー》を発表しセンセーショナルなデビューをはたす。住宅にしつらえられたカウンター式のキッチンバーは、調理台やシンクが外から見えないつくりになっており、徹底して機能的であると同時にすっきりとしたシンプルなスタイルを可能にした。この《屋根裏のバー》を見てペリアンを気に入ったル・コルビュジエは、彼女を自身のアトリエに招き入れ、ル・コルビュジエと彼のいとこであるピエール・ジャンヌレとの協働が始まる。1929年のサロン・ドートンヌでは、金属など新しい素材を用いた斬新なデザインの水まわり設備を室内空間に大胆に配置した「住宅のインテリア設備」を三人で発表し注目を浴びた。ちなみにいまなお愛される《シェーズ・ロング》もこの頃誕生している。ペリアンは37年にル・コルビュジエのアトリエを離れるものの二人の協働は続き、彼の建築に欠かせないブレーンの一人であり続けた。彼女のこうしたキャリアの始まりからも、これまでは殊にル・コルビュジエの一協働者として、つまりル・コルビュジエの名前とともに語られることの多かったシャルロット・ペリアンだが、この展覧会は彼女が愛した「日本」の友人や文化との交流から生まれた共鳴にフォーカスし、ペリアン自身の功績を振り返る内容となっている。
 偉人と呼ぶに相応しい人にはいくつかの共通した資質が備わっていると思うが、ペリアンもそれらを持ち合わせていたのだろう。例えば、好奇心旺盛でつねに新しいものを取り入れる余裕を持ち合わせ、そして新しいことに挑み続けるということ。1920年代、いまだ有機的な曲線を特徴とするアール・ヌーヴォーや装飾的なアール・デコ様式の家具が一般的であったフランスで、金属やガラスといった新しい材質を用い、機能を重視したシンプルなデザインの家具を発表するということは大変なチャレンジだったに違いない。それが大衆に受け入れられるかどうかを気にするよりも、来るべき時代に適っていると自らが感じたスタイルを提案するという強さを彼女はもちあわせていたが、むやみに我を通すというわけではない。当時はまだ男性中心であった建築、デザイン界において、自身が女性であるということをけっしてネガティヴにはとらえず、むしろそのことをうまく利用しながら男性ばかりのなかに自身のポジションを見いだしていくという柔軟性と適応力も兼ね備えていた。ペリアンの、女性ならではの視点や発想は、特に水まわりといった室内の設備で生かされることとなり、「外側」をつくるル・コルビュジエは彼のプロジェクトの多くに彼女を必要とした。そして、臆することを知らないこのペリアンの好奇心は、彼女を「日本」へ導くこととなる。



神奈川県立近代美術館 鎌倉での展示風景

 ペリアンと日本との本当の意味での出会いは、ル・コルビュジエのアトリエにきていた日本人建築家、前川國男や坂倉準三と交友が始まった頃である。帰国した坂倉準三が、輸出工芸指導顧問としてペリアンを商工省に推薦したことから、ペリアンの日本招聘が実現する。情勢の危うくなりつつあった時期(1940年)にフランスから遥々海を渡ってくる決断を下したこと、さらには、さまざまな友人たちの協力があったとはいえ初めて足を踏み入れた国で、7カ月後には展覧会を開催していることなど、その行動力と実行力には驚かされる。日本全国への工芸指導の行脚に随行した若き日の柳宗理は、後に語っているようにペリアンから多くのことを学んでいる。戦後日本のインダストリアル・デザイン発展の影にペリアンの存在もあった。
 ペリアンは、日本家屋で使用される「モジュール」、すなわち規格化された畳、襖、障子にたいへん関心を抱いた。ル・コルビュジエのモジュールは、建物の大きさ、つまり一番外側の器のサイズを決めるひとつの基準であったが、ペリアンの娘ペルネットによると、ペリアンは逆に、モジュールとしての室内の構成パーツを組み立てていくことによって、内側から建物を構築していく人であったという。1950年代に入ってペリアンは、このモジュールの概念を利用した家具(書架、棚)を生み出す。彼女が「カンカイユリー」と呼んだその家具の仕組みは、規格化されたパーツやユニットを必要な数だけ購入し、組み合わせることで、誰もが自分の家にフィットする整理棚をしつらえることができるというものであった。しかしながら残念なことに当時は流行するには至らなかったようだが、今となってはその発想がいかに時代を先取りしたものだったかが窺える。
 激動の20世紀を生き抜いたシャルロット・ペリアンは、つねに先のこと、未来のことしか見ていなかったという。過去を振り返ることにはなんの興味もなく、そのため『自伝』(みすず書房、2009) の執筆は遅々として進まなかったと娘のペルネットは話した。しかし私たちは今一度、すでにひとつの歴史として語られるようになったペリアンの軌跡を、貴重な写真、資料、図面、家具をとおして振り返るこの展覧会で多くの発見をすることになる。上述の『自伝』のほかではおそらく初となった日本語で書かれたペリアンについての本格的な読み物である展覧会図録も見逃せない。なお本展覧会は、鎌倉でのあと、年明け1月21日からは広島市現代美術館に、その後4月からは目黒区美術館に巡回する。

シャルロット・ペリアンと日本

会期:2011年10月22日(土)〜2012年1月9日(月・祝)
会場:神奈川県立近代美術館〈鎌倉〉
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53/Tel. 0467-22-5000

会期:2012年1月21日(土)〜3月11日(日)
会場:広島市現代美術館
広島市南区比治山公園1-1/Tel. 082-264-1121

会期:2012年4月14日(土)〜6月10日(日)
会場:目黒区美術館
東京都目黒区目黒2-4-36 目黒区民センター内/Tel. 03-3714-1201

学芸員レポート

  今年一年は日本国内外含め、〈世界〉という言葉が掲げられた展覧会タイトルを心なしか多く見かけたような気がした。なぜいま、ことさらに〈世界〉が展覧会のテーマとして取り上げられるのか。かく言う筆者もじつは、「この素晴らしき世界──アジアの現代美術から見る世界の今」と題した展覧会を準備中である。世相を反映した作品をとおして、あらためて私たちの暮らす世界と向き合うことをうながすこの展覧会、それでも世界は素晴らしいと希望を見いだすのか、本当に世界は素晴らしい?と皮肉まじりに疑問を感じるのか。世界中で活躍するアジア諸国出身の7名の作家(シルパ・グプタ、グオ・イツェン、マイケル・リー、下道基行、ティンティン・ウリア、ジュン・ヤン、チュウ・ユン)の作品は、いわゆる外的世界における問題を提起するだけでなく、私たち自身、つまり内的世界を省察する契機をも与えてくれるに違いない。


ティンティン・ウリア《ルアー》2009
Courtesy the artist and Osage Gallery, Hong Kong
Presented through the support of Indonesian Art for International Biennale and Osage Art Foundation

この素晴らしき世界──アジアの現代美術から見る世界の今

この素晴らしき世界──アジアの現代美術から見る世界の今
会期:2012年3月24日(土)〜5月13日(日)
会場:広島市現代美術館
広島市南区比治山公園1-1/Tel. 082-264-1121

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