キュレーターズノート
Art and Air──空と飛行機をめぐる、芸術と科学の物語(或は、人間は如何にして大空に憧れ、飛行の精神をもって世界を如何に認識してきたか。)
工藤健志(青森県立美術館)
2012年10月01日号
対象美術館
「空を飛ぶこと」をテーマにした展覧会をやってみたいと思ったのは、2010年に開催した「ロボットと美術──身体×機械のビュアルイメージ」の準備のころ。この展覧会は、「ロボット」をモチーフに20世紀に起こった人間の新しい身体観の変遷を追い、その背後にひそむ社会性や文化的特質を明らかにすることで、現代に生きるわれわれの意識や精神構造のありようを探るという企画であった。
20世紀初頭から現代に至る「時代」を考察するモチーフとしての「ロボット」なのだが、とすれば、1903年にライト兄弟が世界ではじめて有人動力飛行に成功してから劇的に進化した「飛行機」にも20世紀の時代精神が映し出されているのではないかと思ったのがきっかけ。空を飛ぶことへの憧れと飛行への挑戦という観点を含めれば、神話時代からの芸術、科学の歴史も振り返ることができ、とかく芸術と科学とを分けてしまいがちな現代において、その双方の関係性も再度考え直すことができるのではないか。さらに、飛行機は戦争と密接に結びついて発展した機械であり、国力の象徴として機能するとともに、また空を制するという観点からそれは権力の象徴ともなりうるなど、「空」と「飛行機」は人間のロマンをかきたてるのみならず、政治的な観点からも注目すべきモチーフである。……以上のことから、神話やレオナルド・ダ・ヴィンチの仕事、航空黎明期の冒険物語、さらには戦争記録画も模型も建築も映画も漫画もアニメも、そして現代美術も、すべて「飛行」という切り口でまとめ、人間の想像力や欲望の諸相と、20世紀の時代相を浮かび上がらせようというコンセプトの展覧会を構想した。
ゆえに構成としては、チャプター1を「見上げる/飛行・飛翔の夢」とし、空を見上げ、空に憧れ、空に対する挑戦を繰り返してきた人間の歩みをまず振り返ってみた。イカロスの物語に着想を得た美術作品やレオナルドの飛行に関する手稿とその模型を展示するとともに、ライト兄弟、リンドバーグ、イヤハート、リヒトホーフェンといった航空黎明期のヒーロー、ヒロインの活躍を振り返ったり、日本の浮田幸吉や二宮忠八らの挑戦についても各種資料で紹介した。もちろん科学展ではないので、航空史を網羅することは目的とせず、むしろその歴史が、「飛翔/自由」と「墜落/死」という表裏一体の概念から生じるロマンと、「世界」を解明しようという科学的好奇心、「人間」を解明しようという哲学的好奇心によって支えられたものであったことが伝わるような内容とした。
さらに「空」や「飛ぶこと」をテーマにした実験工房のオート・スライド作品《試験飛行家W.S.氏の眼の冒険》(1953)に「飛行」という行為がもたらす人間の豊かな精神の運動を見出したり、恩地孝四郎の『飛行官能』(1934)に飛行機という機械の革新性と恩地の前衛精神の融合を読み取り、飛行と抽象の関係性を考察したりと美術展的な要素も盛り込みつつ、こうした美術展と科学展をない交ぜにした文化史展的な構成を本展の基本としていった。
また、飛翔と墜落という両義性が人間の空への憧れを強く後押ししたことは、例えばバタイユの「極限においては我々は生を危険におかすものを決然と欲する」(『エロティシズム』、ちくま学芸文庫、酒井健訳、2004)という言葉からも納得できるが、生と死が隣り合うギリギリのところには確かに強い欲望が生じるし、飛翔と墜落の両義性を内包する「空」は、その衝動を喚起する最たるものとも言えよう。そうした「両義性」の重要性も、まず最初のチャプターで暗示させたのだが、はたしてうまく伝わったであろうか。
続くチャプター2は「見下ろす/神の視点」として、なぜ人は高みからの眺望を求め続けたのかを、近世の鳥瞰図から戦時中の空撮写真、建築家のマケット、東京スカイツリーの資料、そして松江泰治による青森県を上空から撮影した新作写真等で考えてみた。航空写真が普及する近代以前にも多種多様な鳥瞰図が描かれてきたが、その俯瞰構図は神の視点、絶対者の視点としてとらえられたものがほとんどであった。なぜなら、われわれ人間が暮らす大地をわれわれ自身の目でとらえることはできないから。ゆえに、その視点は「世界を外から眺める」という超越的な立場へとわれわれを導いてくれる。空への憧れを上昇の意志と読み替えるなら、空を支配した人間の意識が超越的になるのもまた当然かも知れない。人がはるか上空から大地を見下ろすことが可能となった20世紀初頭には、神に代わって人間がその刺激的な視覚体験に特権的な意味を見出すようになっていく。他者として世界を俯瞰する、あるいは高みから見下ろすという行為は、ともすれば支配と被支配の関係を作り出していくだろう。しかし、世界をどう理解し、他者とどう接していくべきかというヒントも、例えば松江の均質な視点でとらえられた俯瞰の風景等には含まれている。つまり、俯瞰の視点には見る者の意識や態度のありようが反映されているのだ。
こうした前提を踏まえ、チャプター3の「空と飛行機の物語」で、本展のメインとなる昭和初期から現代までのさまざまな飛行機モチーフの作品、実機の資料等を一同に展示した。
アジア・太平洋戦争期に盛んに描かれた「戦争記録画」は戦場のワンシーンを劇的に表現したものが多くを占めるが、その描写からは科学技術を信奉する昭和初期の時代相に則った機械への偏愛ぶりも見てとれよう。それらはやがて戦局が悪化するにともない悲劇的なイメージへと変化していくが、いずれも機械兵器や軍人をメインモチーフに、戦場の光景をパノラマ的にとらえ、さらに波や雲、大地などを感情込めた筆致で処理することで強い物語性を画面に与えていく点は共通している。この絵画様式は戦後になると「美術」の表舞台からは消えてしまうが、小松崎茂らの活躍によってプラモデルの箱絵、雑誌の絵物語、漫画といった大衆文化のなかで花開き、現在もアニメやゲームなどで繰り返しイメージが再生産され続け、独自の戦後日本文化を作り上げてきた。そうした文化のなかで育った世代が作家として活躍をはじめる1990年代以降、再び戦争イメージを直接的に描く作品が次々と発表されるようになってきているが、今回、戦争記録画と戦後の小松崎茂の戦時イメージのイラストと会田誠や風間サチコの現代美術作品を同一空間上に並べられたことは、昭和から現代の日本美術の歩みを考察するなかでも画期的な試みではなかったかと自負している。
さらに、1937年に東京−ロンドン間の飛行で100時間を切る94時間17分56秒をマークして日本初の国際記録を打ち立てた「神風号」や、1938年に周回航続距離11,651kmの公認世界記録を樹立した「航研機」、1939年に世界一周飛行を達成した「ニッポン号」など、日本の飛行機が世界的な活躍をみせるたびに日本中が熱狂していった様も当時の各種資料で紹介した。当時はまさに「航空ブーム」の様相を呈していた訳だが、20世紀初頭は「科学技術」と「機械文明」の時代であり、未来派の宣言文などを見てもそれが国際的潮流であったことがよくわかるし、日本国内でも輝かしい時代の象徴として飛行機は社会、文化のなかに深く浸透していた。これは飛行機やロボットといった機械を男性と子ども、そしてマニアのものととらえてしまう現代の感覚では少々理解しにくい事象かも知れない。もちろんその普及の過程には政治的思惑がからんでいたことも事実ではあるが、それ以上に旧来の常識や価値を次々に覆していく科学技術の力に、人々が「明るい未来」を見出していたことも確かであろう。少なくとも、こうした昭和初期の世相と教育が、戦後の高度成長を支える基礎的な力となっていったことにはもっと留意すべきではないかと思うのだ。
続く、チャプター4では「飛行機のメカニズムとフォルム、そしてデザイン」と題して、航空力学に基づく飛行機の流線型のラインや、複雑なメカニズムによって空気より重いものを飛ばす科学技術力の魅力、さらには飛行機への偏愛から生じる人間の欲望のかたちを、さまざまな作品、資料によって紹介した。デュシャンからはじまり、実機の木製プロペラ、プラモデルとその箱絵原画からアニメ「マクロス」、そしてゲーム「アイドルマスター」の女の子を描いた痛飛行機まで展示する破天荒なチャプターであった(笑)。
そして最終のチャプター5を「空を飛ぶこと」とし、空を飛ぶことが当たり前となった時代においても、あえて自らの手で飛行機をつくろうとしたり、人間が空を飛ぶことの意味を探ろうとするアーティストの仕事を紹介した。かつて人間が空を飛べなかった時代、飛行機が死と隣り合わせの危険な乗り物であった時代、生と死が寄り添うこの魅惑的な機械は人間を詩的境地へといざなった。もともと人間の領域ではない空、すなわちタブーを侵犯することによる快楽や、未知の世界がもたらす新しい視覚と思考の回路を求めて人は空に向かったのだ。
現代では空を飛べることがなかば当たり前のように考えられているが、飛ぶことをテーマにしつつも現実には飛べない(飛ぶことをしない)、人間の始原的な「創造の夢」を形にしたパナマレンコや、人間性を疎外する工業化社会に背を向けるかのように1970年代初頭からラジコン飛行機づくりに熱中し、自ら制御できないラジコン飛行機からの空撮写真に表現の可能性を見出した北代省三、そして一人乗りの飛行機をつくって飛ばす「OpenSky Project」を継続的に行なっている八谷和彦らの作品、インスタレーションをとおして、飛ぶという行為がもたらす人間の想像力について考えてみた。
そして最後に稲垣足穂を引用し、「飛ぶこと」と「墜落すること」に象徴される両義性こそが人間に想像力をもたらし、社会に「均整」を与えるのではないかという問題提起を行なった。戦うことや輸送することを目的とした飛行機を嫌悪し、「墜落/死」によって永遠に満たされることのない人間の意識と欲望に価値、そして意味を見出していった足穂。飛べないがゆえに飛行に憧れることで人間には抽象的な思考が生じ、その「生」と「死」が隣り合わせにあるという概念からは詩的な想像力が拡張されていくことを足穂の作品は高らかに主張する。そのひとつの図解として中村宏の作品や、ひとつの喩えとして空を飛ぶ原理を応用して地面に吸いついて速く走るF1マシンなどを展示した。
「空」は「大地」があるがゆえに存在する。すなわち、空とは地面によって支えられている概念にほかならない。「下」があるから「上」が成立するのだ。また「見上げる」ことも「見下ろす」ことと表裏一体であり、「飛翔」と「墜落」、「憧れ」と「挫折」なども、また同様の関係にあると言えよう。例えば、「善」と「悪」という対の概念があるが、われわれが暮らす現代社会は「善」ばかりを尊重し、「悪」を駆逐しようとする傾向を強く持っている。しかし本来、「悪」がなければ「善」という概念自体が成立せず、世界を支える構造としてもけっして安定はしないのではないか。現代社会を覆う不安が、こうしたさまざまな暗部の消去によってもたらされたものであると考えるのは少々穿ちすぎであろうか。
もちろん明確な答えなどすぐに出せる訳もないが、飛行の歴史と人間の精神の歩みを振り返ることで、もしかしたら現代社会が抱える問題のいくつかは解決の糸口が見つかるかも知れない。「人間」と「空」の関係から浮かび上がるさまざまな両義性、その双方を思考することではじめて社会には安定と調和がもたらされるように思う。
こうした展示をはさむかたちで会場に入る前と出た後の二箇所に、飛行機の多義性を伝えるインスタレーションも設置した。導入部であるエントランスギャラリーの上空を覆ったのは、オリジナルデザインの紙飛行機2450機を用いた青秀祐の《Operation “A”》。紙飛行機が均整、調和のもとに群れをなして空に舞う、その整然と規則正しい配列の美は工業的な美の感覚と近しい。われわれは、そのすがすがしい美しさに感動する一方で、空中を占拠されることによる威圧感や得体の知れない恐怖も同時に抱くであろう。そして、展示室を出た後に見るのが中ハシ克シゲによる《Missing》である。中ハシが2000年から取り組んできた「ゼロ・プロジェクト」と同様に、数万にもおよぶ膨大なサービス版プリントを繋ぎあわせ原寸大の飛行機を制作した写真彫刻であるが、これまでのように焼却されて完結するのではなく、「造形」と「展示」の魅力を追求するという新しい試みである。出品作は、戦後に連合国軍に接収された、機体が再ペイントされマーキングも修正された連合国軍仕様の零戦がモチーフであり、制作上でもまずいったん飛行機の形に組み上げ、それを分断し、解体し、塗装が施されている。歴史的事実を追体験することで、戦中から戦後にかけての失われた記憶と物語を浮かび上がらせようとするインスタレーションであった(あわせて展示されたのは桜花の試験機「四三乙型」)。
本展の総出品点数は約500。あえて中心はつくらず、「作品」も「資料」も「エンターテインメント」もひたすら等価に並べる。「学術性」を維持しながら「集客性」を高めつつ、同時に「飛行」をテーマに多彩なジャンルの展示物がこれでもかと並ぶ本展をとおして、「世界」の多義性や「表現」の多様性を伝えることができれば。ゆえに、これまでグダグダ書いてきたようなコンセプトも一応設けてはいるものの、けっして一方的に答えを押し付けるのではなく、さまざまな見方と楽しみ方、解釈ができるような重層性を持たせることを心がけてみた。ともあれ、あるひとつのモチーフを選び、そこから表現や社会、人間存在を考えていく手法は、「展覧会」というシステムに強度を与えるうえでも有効だと思っているので、今後もこうした試みを続けてみたいと考えている。
地方でしかも単館開催の、ある意味地味な自主企画展であったが、最終的には1万8千人を超える観覧者を記録し、予算の回収率も8割を超えた。「大手メディア主導の企画」や「東京で評価される展覧会」ではなく、むしろ中央で消費されることのない地方発の独自企画にこそ、地方館であることの「メリット」が本来あるのではないだろうか。
と、そんなことを作品返却作業中のトラック移動の時間を利用してつらつら考えながら、タブレット端末で原稿を書き進め、浜名湖の夕暮れを眺めながらなんとか脱稿(笑)。