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学芸員レポート

北海道の美術家レポート③國松明日香

岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)2014年02月01日号

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 北海道にしっかと根を下ろして活動するアーティストは数多い。そのなかでキラッと光彩放つ実力者もまたあまたいるから、この地は興味深い。本連載では、年齢性別ジャンル等一切問わず、独断で、しかし、おおいに賛同を得られるであろう優れた作家とその作品を取り挙げ、紹介していきたい。

 3回目に挙げるのは、國松明日香(1947- )。自然界の現象にまつわる美しい要素だけを注意深く削ぎ落とし、そのエッセンスを凝縮して重量ある鉄鋼材をもって軽やかに且つ清冽に放散する彫刻家である。遮光マスクと分厚い革手袋、所々焼け焦げた作業着で武装し、火花散らしつつ鉄板を巧みに切断しては熔接する。このとき、彼が思い浮かべるのは、その猛々しい制作現場からは遠く離れた美麗な景色だ。用いる部材は、直径10ミリほどの黒皮を被った棒と円く溶断された盤の二種類のみである[図1]。頬なでそよ吹く風の感触と網膜に残る光度を頼りに、これらを感覚的に組み上げていく。そうして水平に幾重にも重ねられた鉄線は気流を生み、角度を変えて取り付けられた鉄盤は光を生む。それらが織りなす破綻のないリズムや清澄な共鳴に観る者は吸い込まれ、閑雅、且つ颯爽と潔い造形世界につい魅了される。


1──展示風景

 國松明日香は、北海道の昭和画壇を牽引した登の長男として、1947年、港湾都市・小樽に生まれた。父と同じ絵画の道を歩もうとはせず、東京藝術大学で舟越保武に、同大学大学院で千野茂に学び、彫刻の礎を築いている。札幌を拠点に作家として駆け出した当初は進取的な版画表現を専らとしていたものの、1978年頃から彫刻に復し、本格的にこれに着手し始める。
 当初、國松における立体表現の主たる素材は木、合板にポリエステル樹脂、金属、石と多岐にわたっていたが、1980年代後期には鉄鋼が主材として落ち着き始めた。その嚆矢と指摘しうる作品が、1987年作の《アラベスクな街》[図2]であり、この時期の作品群の類型とも位置づけられる。面積の大きい平滑な面を正面に据えて配されることが多く、正面観照性の度合いが強く認められる。また、その正面側が直線や弧線で窓を切るように抜かれている点も、ほぼすべての作例に指摘される。この種の作品の制作を力強く後押ししたのが、公共彫刻の隆盛であった。その要請に応じて手がけられた作品は現在に至るまで60点を超える。コルテン鋼(耐候性鋼)を材としたそれら大型の彫刻作品は、80年代後期から90年代を中心に札幌厚別公園競技場、洞爺湖、札幌駅前通、新千歳空港、札幌ドーム、大倉山ジャンプ競技場(設置順)など各所に設置され、シンボリックな役割を担うとともに、街に景色にさらなる美しさを添えてきた。なかでも、札幌厚別公園競技場に設置され、第4回本郷新賞を受賞したモニュメント《捷》[図3]は高さ16メートルにも及ぶ大作である。このような公共彫刻は、もはや自身の制作環境の範囲では賄いきれず、最終的には鉄工場への発注制作となる。感覚や直感性はもちろん、理知性や説明能力までも求められる創作状況のなかで、それでも固有の美的感覚を造形に注ぎ込み続ける行為は、自身の美学をより論理的に、そして堅固に醸成させたに違いない。


2──《アラベスクな街》1987年 高さ219.0cm


3──《捷》1988年 高さ1635.0cm

 1990年代後期にさしかかり、世の公共空間への彫刻設置が落ち着きを見せてきた頃、その趨勢と呼応するように國松の作品は次なるステージへと転じる。屋外設置の減少にともなう屋内での展示・発表の増加により、耐候性優先のコルテン鋼に縛られることなく金属材を選択できるようになった。また、公共性を前提とした周囲に対する安全面にも過剰に配慮する必要がなくなったため、作品の形態についての制約が取り払われ、表現の自由度が高まった。さらに、工場への発注という過程が抜けたことで、下絵や設計図面を製作する手間が省かれることとなった。國松は、この段になってようやく自らの手だけで溶断熔接し、何にもとらわれることなく自身の感覚だけを頼りに制作を完遂させることを許されたのである。その状況下で生まれたのが線材のみで造形された1994年作の《風のポロネーズ#1》[図4]や鉄帯による同年作《風のコンダクター》[図5]である。いずれも指揮者がタクトを揮うその軌道を造形化したような作品で、時に短く鋭角に激しく折り返し、緩やかに優しく弧線を描く。空間を放縦に往き来するラインは、彫刻に時間の推移やより顕著な運動性が新たな表現として加えられたことを示すのみならず、自身の立体表現への追求の高まり、あるいは造形精神の開放をも示しているようで興味深い。


4──《風のポロネーズ#1》1994年 高さ183.0cm


5──《風のコンダクター》1994年 高さ158.0cm

 それまで、部材としてほとんど使われることのなかった線材による感覚的な直接造形に確かな感触を掴んだのか、ほどなくしてそこに再び面の要素が復活する。ただし、それまでのように、その鉄面は確たる形をもって主体をなすのではなく、線がまず基軸としてあって、そこに小さな無数の鉄片が覆い貼り付くという造形表現である[図6]。これが多様に模索され、展開した後、現在のスタイルの端緒に位置づけられる《北北東の風》[図7]が2000年に制作された。本体の諸所に傾斜して付けられた短い直線群は、吹く風の激しさと流れを示す。角度を違えて設置された鉄鋼盤のその面は、直線によって稠密に直刻され、さまざまな色味の反射光を発し、凛烈な輝きを放つ。北国ならではの清澄な気や光が看取される秀逸な作品である。その後も、《水脈を聴く》[図8]や《秋霖》[図9]など自然物や自然現象の根源を見定め、それを制作の核としつつ、焼き付いては剥がれることのない自然界の輝きを鉄鋼で表現し続けている。そして2008年、ついに宙(そら)へもその目を向けた。高さ2.3メートル、長さ11.5メートルに及ぶ長大な作品《THE MILKY WAY #2》[図10]である。かつて國松は札幌の喧噪から距離を置き、北海道南部に位置する白老に身を移したことがある。その地にて目にした星々の宴。このとき覚えた感動をいつか彫刻に反映させたいと願っていた國松は、およそ20年を経た後、これにいよいよ向き合った。降り注ぐ満天の星、天の川。國松はこの作品をもって散る星屑たちが帯びる無限の輝きをわれわれに見せてくれている。頬に涙を伝わせる者もいたほどに、観る者の心を鷲掴む強固な美がそこにはある。


6──《閉じる季節》1998年 高さ225.0cm


7──《北北東の風》2000年 高さ198.5cm


8──《水脈を聴く》2001年 高さ210.0cm


9──《秋霖》2006年 高さ187.0cm


10──《THE MILKY WAY #2》2008年 高さ230.0cm

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岩﨑直人

1972年生まれ。筑波大学卒業、同大学院修了。札幌芸術の森美術館学芸員。おもな展覧会=「20世紀・日本彫刻物語」「北方神獣」「立体力──仏像...

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