キュレーターズノート

アトリエ・ワン:マイクロ・パブリック・スペース、中村好文:小屋においでよ!

鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)

2014年05月15日号

 気候が湿潤な地域から提起される建築のあり方とは──。ギリシャ、ローマを起源とし、いまや世界を覆い尽くす西洋建築を乾燥した「地中海主義」の建築とするならば、それに対抗する概念として、日本などアジアの湿潤な地域から「山水主義」的な建築を構想できるのではないか。アトリエ・ワンは、3年ほど前からこのような考えを表明し始める。

 金沢21世紀美術館の収蔵作品である《ファーニ・サイクル》を貸し出したこともあり、広島市現代美術館で開催された「アトリエ・ワン:マイクロ・パブリック・スペース」展に足を運んだ。タイトルにも示されているとおり、これまでのマイクロ・パブリック・スペースを集めた本展では、展覧会入り口から、《ホワイト・リムジン屋台》《人形劇の家》など、おなじみの作品が並ぶ。とりわけ《スクール・ホイール》は、2007年に金沢で「いきいきプロジェクトin金沢」を行なったときに使ったもので、目の前にすると、当時かかわった人たちの顔が思い起こされ、作品のあの部分は修理してもらえただろうかなどと、いとおしくなる。そして、1階に展示された一連のマイクロ・パブリック・スペースの最後に、新作《山水主義・広島》はあった。


《農具屋台》、2012年、中里地域まちづくり協議会蔵、筆者撮影


《ファーニ・サイクル》、2002年、金沢21世紀美術館蔵、筆者撮影

 マイクロ・パブリック・スペースはいずれも、展覧会に招聘される機会ごとに現地でのリサーチを元につくられたものである。広島での展覧会を機に、新しい作品をつくろうとすることはアトリエ・ワンにとって極めて自然な発想であろう。今回、リサーチの対象となったのは、「ハデ干し」と呼ばれる稲の天日干しと牡蠣の養殖である。1階の展示室と地下の展示室を繋ぐ吹き抜けになっている部分に、階段として機能する木造の構築物が設置された。その上部には、稲の束が屋根のように掛けられている。途中に設けられたベンチのある踊り場のような空間の下に、ホタテ貝を連結した、牡蠣の養殖のための装置が吊り下げられている。観客は、順路に沿って階段を下りて行くに従って、乾燥した地上から水中へと移動するという趣向である。その地域に見られる異なる二つの行動様式をひとつに組み合わせることは、最初期の《ファーニ・サイクル》から使われている方法である。《ファーニ・サイクル》の場合は、移動のみならずさまざまな運搬手段として用いられている自転車と、路上に出して使われている家具とを前後を逆にして組み合わせたものだが、ともに高密度な都市部での行動様式の観察に基づくものである。それに対し、《山水主義・広島》は、都市部の外の農業と漁業をモチーフとしており、両者を合体させることによって、山と海のあいだに位置する都市としての広島を描き出している。
 「山水主義」は、アトリエ・ワンが2011年頃から主張し始める概念である。例えば、2011年末に行なわれた中谷礼仁との対談で塚本は、川端康成の小説や、メタボリズムのドローイングに筆が用いられたことなどに触れながらこの考えを披露している。翌2012年に出版された小池昌代との共著『建築と言葉』(河出書房新社、2012)のあとがきとして、塚本は「山水主義試論」を書いている。さらに、同じ2012年、塚本由晴と森田一弥の共著『京都土壁案内』(学芸出版社、2012)のなかでは、「日本の古建築というのは、庭から室内までの連続した環境の中に組み込まれた、乾湿状態を制御するしくみである」(139-140頁)と述べ、湿った外部から乾燥した内部(いぐさを乾燥させた畳、土を乾燥させた土壁など)へと推移する日本の建築を記述している。《山水主義・広島》は、「山水主義」という概念を初めて作品として展開したものとして、注目に値する。しかし、展覧会として、欲を言うならば、この新作のためのリサーチの展示がもっとあればよかったと感じた。


京都御苑拾翠亭、撮影=塚本由晴
出典=塚本由晴+森田一弥『京都土壁案内』(学芸出版社、2012)89頁

 地下へ降りたところの扇形の大きな展示室の壁面には、さまざまな都市のパブリック・スペースでの人々の振る舞いをとらえた映像群《ふるまいの庭》が投影されており、そのなかに新たに広島平和記念公園での人々の振る舞いをとらえた映像も含まれていた。そして、続く最後の展示室では、宮下公園や北本の駅前など、マイクロ・パブリック・スペースで追究してきたパブリック・スペースについての考え方を実際の公共空間に展開した事例が展示されていた。近年のアトリエ・ワンの公共空間での仕事は、すでに2012年にベルリンのアエーデス・ギャラリーで行なわれた展覧会でまとめて紹介されている。展覧会や本などで試みてきた思考が、公園や駅前広場といった施設に展開することを見せるのは、マイクロ・パブリック・スペースの全貌を見せる展覧会としては正統的であろう。
 しかし、もし、自分がこの展覧会のキュレーターだったとしたら、展覧会の核には、その展覧会に際してつくった新作を置きたい。回顧よりも新作に力を入れたい。私ならば、広島での新作のテーマが山水主義に決まった時点で、地下の扇形の展示室は、広島での稲の干し方と牡蠣の養殖の仕方のリサーチ、そして、土壁に関する調査など山水主義に関する展示に充てたであろう。どのような構築物を、どのような位置に建てて、稲を干しているのか。どのような筏を組んで、どのようにホタテ貝を吊るしているのか。どのように吊るせば、牡蠣はうまく育つのか。例えば、能登半島の輪島でも稲の天日干しは行なっており、穴水など内浦では、牡蠣の養殖を行なっている。そのような他の地域のやり方とどのように異なっているのか。アトリエ・ワンの視点でより詳しいリサーチを行ない、展示することは可能だったのではないか。一方、最後の展示室はエピローグ的な位置づけとし、スタディ模型の展示はやめて、代わりに扇形の展示室で展示されていた《ふるまいの庭》を移動させる。新作の広島平和記念公園のパブリック・ドローイングも不要だったかもしれない。そうすることによって「マイクロ・パブリック・スペース」から公共空間の仕事へという展覧会全体のすっきりとしたまとまりは失われるかもしれないが、「山水主義」という新しいチャレンジに向けて破綻しているくらいがこの展覧会にはちょうどよい。


《山水主義・広島》、2014年、スタディ模型、筆者撮影


左=《山水主義・広島》上部、2014年
右=同、下部、2014年
ともに筆者撮影

 そもそもマイクロ・パブリック・スペースは、住宅の設計を主たる戦場とせざるをえなかった建築家が、美術展という場を活用して、パブリック・スペースに関する思考を実験的に展開してきたものではなかったか。いまやその建築家は、その思考を公園などの実際の公共空間で試みることが可能となった。その時点で、アトリエ・ワンにとっての美術展というメディアの役割は変化しても不思議はない。その意味で、一連のマイクロ・パブリック・スペースを総括するにはよいタイミングであったと思う。だが、回顧して整理するだけではなく、新しい思考を実験する役割がコンテンポラリーアートの美術館にあるとすれば、この展覧会でもっとも重要な作品は、山水主義という概念に取り組もうとした新作ではないか。この作品は、都市部のパブリック・スペースにおける人々の振る舞いをテーマに据えた一連のマイクロ・パブリック・スペースからはすでにはみ出たものであり、マイクロ・パブリック・スペースの総括を踏まえて、アトリエ・ワンによる、次なる美術展の使用法に踏み込んだものである。そのことこそが重要であり、《山水主義・広島》をマイクロ・パブリック・スペースにカテゴライズする必要もない。《山水主義・広島》の途中に設けられたベンチは、ものを乾燥させるという振る舞いに沿ったものというよりはむしろ、アトリエ・ワン自身が批判する、共有できる空間をつくれば人が集まるのではないかという想定でつくられた「空っぽな」空間(アトリエ・ワン『コモナリティーズ』、LIXIL出版、2014年、12頁)であり、それが「マイクロ・パブリック・スペース」たらんという意思によってもたらされたものであるならば、私は必要なかったと思う。
 ひとの「ものを乾燥させる」という根源的な振る舞いに沿った新たな「山水主義」のシリーズが生まれるチャンスを孕んでいたにもかかわらず、アトリエ・ワン自身もキュレーターも「マイクロ・パブリック・スペース」という展覧会の枠組みに捕われすぎて、新作の勢いを殺してしまった点が惜しいと感じた。マイクロ・パブリック・スペースの次なる、新たな「山水主義」のシリーズを今後の展覧会で期待したい。

アトリエ・ワン:マイクロ・パブリック・スペース

会期:2014年2月15日(土)〜2014年/5月6日(火)
会場:広島市現代美術館
広島市南区比治山公園1-1/Tel. 082-264-1121

学芸員レポート

 3月に島袋道浩の長期プログラムが終わったあと、4月26日から金沢21世紀美術館で始まった「中村好文:小屋においでよ!」展を担当した。この展覧会は、昨年東京のギャラリー・間で行なわれた同名の展覧会の巡回展で、私は後追いで展覧会の内容について学びながら金沢展の準備をすることになった。金沢への巡回を考えた理由は、小屋を通じて住宅とはなにかを考えること、および、エネルギー自給自足のシステムを通じてこれからの暮らしを考えることといった展覧会の内容に共感したということがまずあるが、それ以外にも二つある。
 ひとつは、中村氏がこれまで、金沢のガラス作家辻和美や能登の漆作家赤木明登と一緒に仕事をしており、彼らの提唱する「生活工芸」と横断的に見せることによって、さまざまな作家がいる金沢の工芸の世界の一側面を切り取ることができると考えたことである。現在同時に、美術館近くのギャラリーショップ「モノトヒト」(ディレクター:辻和美)では、中村氏の選んだお気に入りのものを展示する「好文堂」が開催されている。
 もうひとつは、今年の秋から全館を使って行なう建築展との関係である。この建築展は、戦後の日本の建築を網羅的に紹介するグループ展で、ポンピドゥー・センターと共同主催する「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」と金沢21世紀美術館で独自に企画する「3.11以後の建築」の2本の展覧会で構成される。ゲスト・キュレーターを、前者はポンピドゥー・センターのフレデリック・ミゲルー氏に、後者は五十嵐太郎氏と山崎亮氏に依頼している。両展覧会の内容はおいおい明らかにしてゆきたいが、この準備の過程で私が感じたのは、両展覧会が実験的なもの、アヴァンギャルドなものが中心となり、吉村順三、宮脇壇、中村好文といった木造の「居心地のよい住宅」の系譜が手薄になりがちだということである。それを補完したいと考えた。


中村好文《Hanem Hut》、2013年
筆者撮影

 展覧会の準備を通じて感じたことを、2、3記しておく。まず、中村氏が工務店や職人たちとの関係を非常に大切にしているということ。自ら細かいところまでつくり方を考えているので、施工の際に無理がない。これは当たり前のことと思われるかもしれないが、例えばSANAAのつくり方とは対極的で、工芸職人的な設計手法といえるだろう。職人たちと設計図という目標を共有してともに走り、職人たちと食事をともにし、振る舞うことも大切にしていて、それが、中村氏を通じた工務店からの多くの協賛という結果を生んだ。次に、手に触れるところ、足が当たるところ、視覚的に硬そうに見える金具など、身体的な接触がある部分を丁寧に時間をかけて設計すること。そして最後に、自分のオリジナルのデザインを主張するのではなく、過去のデザインを学び、紹介することを大切にしていることである。『住宅巡礼』(新潮社、2000)、『意中の建築』(上下巻、新潮社、2005)などで、多くの先例を訪ね、実測し、丁寧にスケッチして紹介している。展覧会でも、意中の小屋を七つ紹介しており、それらを詳しく見てゆくと、中村自身の小屋の設計に反映されている点も見出すことができる。
 また、調べるうちにもうひとつ浮上してきたテーマは、宮脇ゼミによる「デザイン・サーベイ」である。「デザイン・サーベイ」とは法政大学の宮脇ゼミが1960年代から1970年代にかけて日本各地で行なってきた集落調査であるが、その元となったのが、1965年にオレゴン大学が金沢市幸町で行なった調査である。さっそく、その調査結果が掲載された雑誌『国際建築』(1966年11月号)を図書館で調べたところ、調査対象となっている道は、私が毎日美術館に出勤するのに通っている道ではないか。その調査報告には、内部の家具の配置まで細かく書き込まれている。来年は調査からちょうど50年後にあたる。瀝青会による今和次郎の民家再訪ではないが、50年後の幸町を調査するのも良いではないか。その間、残っている建物もあるが、1971年に犀川大通りが通って、大きく変化したところもある。どなたか一緒に調査しませんか。

中村好文「小屋においでよ!」

会期:2014年4月26日(土)〜2014年8月31日(日)
会場:金沢21世紀美術館
金沢市広坂1丁目2番1号/Tel. 076-220-2800

好文堂/My Favorite Things

会期:2014年4月4日(金)〜2014年6月29日(日)
会場:生活工芸プロジェクト shop labo「モノトヒト」
金沢市広坂1丁目2-20/Tel. 076-255-0086

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