キュレーターズノート
「バルテュス展」、「美少女の美術史」準備中、「成田亨 美術/特撮/怪獣 ウルトラマン創造の原点」
工藤健志(青森県立美術館)
2014年07月01日号
「バルテュス展」、「美少女の美術史」準備中
この半年、夏に立ち上がる2本の展覧会の準備とカタログ製作に追われていて、ほとんど職場に引きこもり状態。他の展覧会を見にいく暇のない日が続いています。さらに昨年度は展覧会の仕事よりも『青森県立美術館コンセプトブック』という本を作ることに注力していたので、なんとなく頭はずっと「編集モード」のままだったりして。このコンセプトブックは、建築やコレクションを紹介するという単なる美術館ガイド本ではなく、青森県立美術館の建築、コレクションと様々な活動を、青森の風土、文化、食や生活と結びつけながら、「青森とは何か」を探ってみようという1冊。ゆえに書名も『青森/県立美術館/コンセプトブック』と区切った方が分かりやすいかも知れません。いずれにしても、「どこまでも青森に根ざす」という県立美術館の方向性が、青森という強烈なエネルギーを持つ地の風土や精神性によって支えられたものであることが理解できる本に仕上がったのではないかと思います。おかげさまで現在初版分は出版社在庫なしの状態ですが、諸々の事情があって重版は当面ないはずなので、もし書店で見かけたらぜひお買い求めください(笑)。中身もさることながら、どのページも180度ぴしっと開き、それでも絶対にページがはずれることのない特殊な装丁の本なので、「モノ」としても面白く仕上がっていますよ。
そんなこんなで、ここ数ヶ月間わずかに見た展覧会はすべてが仕事がらみ。どうにも本来の「美術鑑賞」の心持ちからはほど遠く、感性も思考も鈍る一方。いけませんねえ。そうそう、巷で話題の「バルテュス展」はとりあえず観にいきました。「賞賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠。」というキャッチコピーが刺激的で、ポスターのイメージに使われている、いわゆる無防備であられもない姿をさらす少女を描いた作品も、多くの人が持つバルテュスのイメージどおりのもので、そちらの筋の方には期待大の展覧会だったはず。しかし、実際に展覧会をとおしてバルテュスの歩みを辿っていくと、個人的には性器を露わにした《鏡の中のアリス》(1933年)でさえ、「少女のエロス」といった印象は皆無でした。むしろ、その主題やマチエールには中世絵画からの影響が強く認められ、風景画をはじめ、少女を描いた作品においても、自らを「宗教画家」と称したバルテュスの真摯な態度が反映されているように感じました。松岡正剛が指摘するとおり、バルテュスの描いた少女は、「真剣そのものの天使であって、あまりに真剣なのでその姿のすべてをバルテュスに晒したのである」と解釈すべきなのでしょう。当時フランスの文化大臣であったマルローから、ローマのヴィラ・メディチにおかれた「アカデミー・ド・フランス」の館長に任命され、長期にわたってその職についたこと、在職中には日本古美術の調査のため日本を訪れ、そこで節子夫人と運命の出会いがあったことはつとに知られていますが、日本文化や浮世絵をはじめとする古美術との出会いは、《朱色の机と日本の女》(1967~76年)といった作品に結実しており、その空間処理や女性の姿態、色彩感覚などは、現代の日本人作家の描く作品よりむしろ日本的に見えるから不思議なものです。晩年はロシニエール(スイス)の「グラン・シャレ」内のアトリエ(その再現が本展の目玉のひとつとなっていた)で泰然自若の暮らしを営み、周囲の自然を愛したバルテュス。展覧会最後のコーナーには数々の愛用品とともに、着物や祭服に身を包むダンディなバルテュスが写真パネルで展示されていましたが、中世、古典を愛するロマン主義者の姿がそこには認められます。会場は予想以上に女性客が多く、バルテュスに対する誤解は「ファロゴセントリズム」に基づくものではないかと改めて認識させられました。
「バルテュス展」も、7月12日から青森県立美術館でスタートする「美少女の美術史」展の参考になればと観にいったのですが、やはり「少女」とはいうのは「誤解」、というか「欲望の対象」として消費されやすい存在なんだなあ、とつくづく思った次第。今準備している「美少女の美術史」展は、そうした一面的な解釈をされやすい「少女」について、その概念の問い直しを試みようという展覧会です。「ロボットと美術〜機械×身体のビジュアルイメージ(以下、ロボ美)」展(2010年)の続編的な位置づけを持たせ、「ロボ美」展と同じく静岡県立美術館の村上敬学芸員、島根県立石見美術館の川西由里学芸員と僕の3名で企画。「ロボ美」展では20世紀初頭に生まれた「ロボット」というモチーフをとおして、現代の視覚文化と美術・文学・科学の歴史との関わりを明らかにしましたが、今回は明治後期になって成立した「少女」をテーマとし、「美人図」が盛んに制作された江戸時代から、「少女」が誕生した近代を経て、「美少女」という言葉が日々メディアをにぎわす現代にいたるまでの様々な少女のイメージを紹介し、私たち日本人が少女という存在に何を求めてきたかを探ります。「ロボ美」展と同様に、美術のみならず、文学、漫画、アニメ、フィギュアなど様々な領域を横断しながら、「少女」のイメージを集結させ、しかも年代順やジャンル別に分けるのではなく、青森会場では「うつくしきもの、それは少女。」、「ガールの誕生 少女文化・戦前編」、「ガールの継承──少女文化・戦後篇」、「音楽少女」、「魔法少女と変身願望」、「観用少女と、見つめ返す少女」、「少女の憂い」といった16の切り口を設け、時代やジャンルをない交ぜにしつつ展示を行い、様々な観点から「少女」について考えてみます。
「少女」は、明治の近代国家形成のプロセスの中で学校制度が整備され、「女学生」という身分が生まれることで、その概念が定着していきました。「少女」は良妻賢母予備軍として「愛」、「純潔」、「美」という規範を与えられた存在であったことが近年の社会学の研究で明らかにされていますが、さらにその概念には現代に至るまでに様々な要素が付与されていきました。本展は、「少女」が担ってきた/担わされてきたそうした役割について考察し、「少女」という存在の本質に迫ろうという試みです。赤塚不二夫、吾妻ひでお、有元利夫、O JUN、岡本光博、加藤まさを、金子國義、鏑木清方、菊池契月、工藤麻紀子、鈴木春信、高木正勝、高田明美、高橋しん、鳥文斎栄之、手塚治虫、東郷青児、内藤ルネ、長沢蘆雪、中原淳一、橋本花乃、橋本明治、蕗谷虹児、藤島武二、BOME、松本かつぢ、松山賢、丸尾末広、Mr.、水森亜土、村上隆、四谷シモンなど、時代やジャンルを越えた100名以上の出品作家による300以上の作品、資料で「少女とは何か」を検証します。
また、これも「ロボ美」展と同様に、展覧会のための新作オリジナルアニメーションも出品作の一つとして製作、上映を行います。今回は太宰治の短編『女生徒』が原作。愛読者の少女の日記を下敷きに執筆された女性一人称小説で、昭和14年4月発行の雑誌「文学界」に発表されましたが、その一部を抜粋して約15分のアニメとし、自意識に悩む少女の思春期の心のうちを描き出します。
と、こんな風変わりな展覧会をやることにはちゃんと理由があります。タイトルに「美少女」と付けたのもその一つで、「少女」ではなくあえて「美少女」と打ち出すことで「えっ? 美術館で? 何それ? 」というフックを作る、そういう狙いがあります。近年はアニメや漫画の展覧会も増えてきていますが、企画会社のパッケージを買って、集客を狙うものばかりじゃないかというのは少々穿ちすぎ? でも実際にそうした展覧会が「キュレーション」されているとは到底思えないし、集客力はあるにせよ、それでも一部の愛好家向けの「閉じた展覧会」という印象が拭えません。僕らが目指しているのは全く逆で、いかに固定化したものを開いていくかに肝があります。以前にも書いた記憶がありますが、アートとサブカルチャーという分類が今やほとんど意味を成さないように、学術性と娯楽性だって本来両立は可能なはず。もっと根本に立ち返ってみるなら、「文化」というものを広く俯瞰的に捉えるためには、こうした手法こそがもっとも有効ではないかと思うのです。さらに、こうした実験をとおして、行き詰まり感のある「美術館」や「展覧会」という制度を少しでも拡張させることができれば、という狙いです。本展も青森県美の後は静岡県立美術館、島根県立石見美術館へと巡回しますが、出品作や展示構成が各館で微妙に変わるところも、「巡回展」における新しい試みと言えるでしょう。地方の3館をぜんぶまわらないと全貌が把握できない展覧会って、なかなかないでしょ(笑)。
ということで、この展覧会、おかげさまで前評判も上々なのですが、Twitterでは「どうして東京でやらないの? 」という反応もチラホラと。青森、静岡、島根の3つの県立美術館の共同企画だから、東京に巡回するわけないし、そもそも東京の美術館に入ってもらおうという意識も我々の中には皆無でした。東京ではすべての情報が手に入り、あらゆるイベントも必ず行われる、と考えるのは無意識のうちに東京を基準とし、地方を低く評価してしまう思考や態度につながりかねません。僕らはそれを「トウキョーセントリズム」と称していますが(笑)、ともあれ東京では絶対やるもんか! くらいのへそ曲がりな展覧会がたまにあってもいいですよね。でなければ東京の価値に追従するだけの地方になってしまいます。そこから地方の魅力など生じるはずもありません。幸いなことに、青森出身の作家の多くは、青森という辺境の地に堆積する混沌としたエネルギーを糧として創作活動を行ってきました。棟方志功しかり、太宰治しかり、寺山修司しかり、成田亨しかり、工藤哲巳しかり……。彼らの作品は、時に中央=権威に対する抵抗となり、時に新しい価値を生み出す力となって、時代を大きく変えていきました。先に述べたように、青森県立美術館は、「どこまでも青森に根ざす」という点において、企画展においても地方からの価値発信を重視した活動を行っています。もちろん「少女」と「青森」に特別な関係性はありませんが(笑)、そうしたコンセプトにおいて本展もまた青森県美ならではの企画と言えるでしょう。
バルテュス展 Balthus : A Retrospective
「美少女の美術史」展
成田亨 美術/特撮/怪獣 ウルトラマン創造の原点
最後に、東京じゃやらない展覧会をもう1本。
5月15日号の学芸員レポートで福岡市美術館の山口洋三氏が紹介している「成田亨 美術/特撮/怪獣」展がそれ。こちらは、富山県立近代美術館で7月19日からスタートし、その後、福岡市美術館、青森県立美術館へと巡回予定です(今、美少女の美術史展と並行して準備をしているところですが、さすがに展覧会2本とカタログ2冊の同時進行は無茶でした……)。
成田亨については青森県立美術館の準備室時代の1998年秋から継続的に調査を進め、1999年にウルトラシリーズの怪獣デザイン原画189点を収蔵しました。2006年に美術館が開館してからは、常設展示で必ずコーナーを設けて、作品を約8年間継続して展示。いつしか青森県立美術館を特徴づけるコレクション、展示のひとつとなり、青森の人たちに対しても、美術業界に対しても成田亨という名前が徐々に浸透していったように思います。また貸出の依頼も飛躍的に増え、国内のみならず海外の美術館からも声がかかり、コレクションが海を渡る機会も増えてきているなど、青森県立美術館の取り組みも少しずつではあるが実を結んできているようです。しかし、コレクションがウルトラのデザイン原画に限られているため、「成田の彫刻家としての高い資質が怪獣デザインには反映されている」といくら解説を付けてもやはり「成田亨=ウルトラ」という認識で止まっている点にはもどかしさを感じていました。怪獣とは何かを徹底的に考え、百科事典や様々な資料を参照しながら、神話の世界にまで遡り、独自の怪獣論を構築していった成田亨。まだ「怪獣」という概念が曖昧だった時代に、そのひとつの指針となる造形の方向性を打ち出した成田の功績は未だ充分に顕彰されていません。怪獣は妖怪とは異なり創造的でなければならないという信念のもと、形の「意外性」、デザインの「面白さ」を打ちだそうと試み、そのために彫刻家としての経験を活かしたフォルムの「抽象化」によって「ガラモン」や「ケムール人」、「バルタン星人」や「ゼットン」といった誰もが知っている怪獣が次々に生み出されていったことをもっと多くの人たちに知ってもらいたい。成田芸術の根底にある彫刻をはじめ、油彩、イラスト、ウルトラ以外の特撮の仕事と比較してこそ、そのデザイン原画が持つ本来の価値が伝えられるのに。と、そうした積年の想いが今回の回顧展でやっと果たされるわけです。初期の彫刻、油彩からウルトラシリーズの仕事、さらに『マイティジャック』(1968年)や『突撃! ヒューマン!!』(1972年)、『円盤戦争バンキッド』(1976 ~ 77 年)などの特撮の仕事や、晩年に取り組んだ「鬼」、「モンスター」まで、成田亨という芸術家の歩みが一望できる貴重な機会となります。さらに、映画『麻雀放浪記』(1983年)のオープニングに登場する上野の焼け跡シーンは成田の「非特撮的特撮」の仕事の代表作ですが、当時のスタッフによって忠実に再現されたセットも本展では展示されます。そのセットをカメラのファインダー越しに覗くとどのような世界が広がるのか、そうした成田特撮の神髄を実際に体験してもらう仕掛けも準備しています。で、こちらも「回顧展」にふさわしく出品点数は700に迫りそうな勢い。「え!」、「あっ!」と思わず声が出てしまう、あんなものやこんなものまで出品されるマニア必見の展覧会……、いや怪獣ファン、特撮ファンだけでなく美術ファンも楽しめるものになるはずなので、東京の方々も億劫がらず、たまには地方に足を運んでみてください。