2017年11月15日号
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キュレーターズノート

「広島の記憶──写真家 明田弘司の仕事から」、「第18回平和美術展 ミリキタニの猫」、「第9回ヒロシマ賞受賞記念 ドリス・サルセド展」

角奈緒子(広島市現代美術館)2014年09月15日号

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 今年もあっという間に8月が過ぎ去ってしまった。1945年、原子爆弾の投下によって甚大な被害を被った広島にとって、8月は特別なひと月となる。8月6日には平和記念式典が粛々と執り行なわれ、亡くなった人々の魂を弔う。世界中から訪問者を迎えるハチロクと呼ばれる日を挟んだ夏から秋にかけて、ヒロシマに関連したさまざまな行事や催しがひらかれる。

 広島の西部にある泉美術館(以前に紹介した、大手スーパーマーケットを展開する企業による美術館)では、広島県呉市生まれの写真家、明田弘司(1922-)の展覧会を開催。明田は戦後、1948年、広島市内に写真店「ヒロシマ・フォト・サービス」を開店する。また、仲間たちと「ヒロシマ・フォト・クラブ」を結成するなど、広島の写真文化の発展に貢献してきた人物であるという。報道写真の先駆者である名取洋之助の言葉、「広島市は原爆ですべて焼きつくされた。元に戻るのにこれから何年かかるかわからないが、皆さんはそれを記録しなさい」に触発され、被爆直後から広島の街を精力的に撮影し続けた。戦後の「記録」写真といっても、凄惨な場面や打ち拉がれる人々の姿が写されているのではない。焼け野原の一角に露店を開き、商売する人々のたくましい姿、川で水遊びに興じ、屈託のない笑顔を見せる子どもたち。写真に写る人々の表情からは、恐怖や不安、怒り、悲しみ、苦しみよりも、どこか突き抜けた前向きさが伺え、また、街の復興にともなう風景の変貌にはじつに目を見張るものがある。
 筆者が美術館を訪れた日、来場者の多くを占める年配の方々が、ヒロシマのパノラマ写真を見ながら「ああ、このへんには○○さん家があったんよね、あんたも知っとるじゃろ」「ほら、ここはいま、○○が建っとるところよね」と写真を指し示しながら大きな声で盛り上がっていた。こうした声を聞いたとき、正直なところ、残念な気持ちと不愉快な思いとがないまぜになった感情を覚えた。写真を見ながら盛り上がるのはたいへんよい。問題は、「写真に写っている場所を私は知っている」と豪語するその盛り上がり方である。戦後に育った人々にとって、写真に捉えられた場所のほとんどは、「知っている」場所に違いない。しかし、この場合の「知っている」は、ある場所の同定にすぎない。なんと皮相的な鑑賞に満足しているのだろうと残念な気持ちになった。確かに、「知っている」ということを再認識するのは重要なことだろう。おそらく多くの人は、「知らない」ことを突きつけられるより、「知っている」ことに出くわすことで安心を覚える。しかし「知っている」という状態に安住していては、「知らない」ということを見落とすことにもなる。先述の鑑賞者には、「知らない」ことを見つけようとする意志が見られなかったから、不愉快を覚えたのだと思う。


展覧会チラシ

広島の記憶──写真家 明田弘司の仕事から

会期:2014年7月16日(水)〜9月7日(日)
会場:泉美術館
広島市西区商工センター2-3-1 エクセル5階/Tel. 082-276-2600

 「知っている」「知る」ということをめぐってもうひとつ。
 被爆者の高齢化を憂慮した広島市は、2012年より、被爆体験伝承のための「語り部」養成事業に着手している。被爆者から被爆の体験を聞いて受け継ぎ、未来へ語り継いでいく人材を育てようという発想である。こちらでは一時期ニュースでも取り上げられ話題となった。通常、口伝によって受け継がれる内容とは、例えばある土地に古くから伝わる風習、説話、伝説、民謡やことわざなど、伝え聞いて「知る」ことができるものと言えるだろう。一方、被爆体験とはまさに文字通り、被爆した人しか知り得ない体験のことである。広島では長い間、被爆者の苦しみは、非体験者の想像を絶するがゆえに被爆者にしかわかり得ないという風潮があった(小学校で受ける「平和学習」をとおして、少なくとも私はそう理解した)。実際にそうだろう。被爆体験談は、原爆を直接体験して「知っている」本人にしか語りえないゆえに重みがあり、語られる意味もあったのではないか。それを、体験していない人が継承することは可能なのだろうか。被爆を語り継ぐことの重責と、被爆の事実を風化させないために貢献したいという思いの間で葛藤しながらも、語り部になることを志願した人々の心を腐すつもりはない。しかし、広島市という行政によるこの皮相の応急措置的対応に疑問を覚えずにはいられない。記憶の風化を避けるために行政が取り組むべきは、発信する側(=語り部)の育成などではなく、受け手側の意識や姿勢ではないだろうか。上述の明田による記録写真はじめ、ヒロシマに関するさまざまな資料(被爆遺物などの一次資料、被爆者による原爆の絵、被爆者による体験談映像といった二次資料)は、すでにアーカイブ化が進められ、ある程度の形となって残されているはずである。残されたものを目の前にし、問われるのは見る(受けとる)側が、自分が「知っている」以上のことを知ろうとする姿勢、さらには理解力と理解の助けとなる想像力であろう。

 原爆ドームとともに、広島県下にあるもうひとつの世界遺産、厳島神社を有するお隣の市、廿日市市では、サクラメント生まれの日系アメリカ人、ジミー・ツトム・ミリキタニ(1920-2012)の個展が開催されていた。『ミリキタニの猫』(2007年公開)という映画タイトルを聞いたことのある人は多いかもしれない。私もそのひとり。ニューヨークの路上で絵を描き、生活していた人物についてのドキュメンタリーだというくらいのことしか知らなかったため、その人が、漢字で「三力谷」と書く苗字の日系人であること、しかも広島で幼少期を過ごしていることを初めて知って驚いた。ジミーは「優れた日本の芸術を世界に紹介する」という大志を抱き、18歳のころアメリカに帰国するも、時代は戦争を迎え、ツールレイク日系人強制収容所に送られてしまう。収容所でも絵画の研鑽を積み続けたという彼の水墨画も、このたび会場に展示されていた。
 絵のモチーフは猫、野菜、魚、金魚、草花など身近なもの。画材は簡単に手に入れられるボールペン、色鉛筆、クレヨン、用紙はポスターの裏紙など。作品からは、筆致の加減などまるで考慮していないような力強さが感じられる。画面に必ずしるされる、「三力谷萬信」「山水川合玉堂 木村武山師事」などの大袈裟な署名や「元日本美術院会員」「広島縣人」といった所属の暗示からは、一見、孤高の生き方を選びながらも、本当はつねにそばにいてくれる誰かを欲し、世界とつながっていたいという彼の思いが伺えた。9.11まで路上で描き続け、声をかけてくる人に絵を見せながら戦争の罪悪を語っていたという。炎に包まれ燃えさかるワールド・トレード・センターの姿は、アメリカに渡ったため彼が見ることのなかった広島の戦渦を想像させたのだろう。ワールド・トレード・センターと同じ煙と炎に包まれ燃える、彼が見たはずのない原爆ドームがたいへん印象的であった。


展示風景

 最後に。広島市現代美術館では、三年に一度のヒロシマ賞受賞記念展を開催している。第9回を迎えた今年の受賞者は、ボゴタ(コロンビア)出身の女性アーティスト、ドリス・サルセドである。世界で横行する暴力や差別による犠牲者の記憶を静かに訴える、プロジェクト型の大型インスタレーションを多く発表してきた。日本での個展開催は初めてなので、この機会にご覧になることをオススメすることにし、詳細を語ることは避けようと思う。10月13日まで。

第18回平和美術展「ミリキタニの猫」──ニューヨークで描き続けた不屈のアーティスト

会期:2014年8月1日(金)〜2014年8月31日(日)
会場:はつかいち美術ギャラリー
広島県廿日市市下平良1丁目11-1/Tel. 0829-20-0222

第9回ヒロシマ賞受賞記念 ドリス・サルセド展

会期:2014年7月19日(土)〜10月13日(月・祝)
会場:広島市現代美術館
広島県広島市南区比治山公園1-1/Tel. 082-264-1121

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角奈緒子

2006年より広島市現代美術館学芸員 *写真撮影=井上貴博

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