2017年10月15日号
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キュレーターズノート

戦後70年──もうひとつの1940年代美術

伊藤匡(福島県立美術館)2015年12月01日号

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 第二次世界大戦の終結から70年目の今年は、1945年前後の美術に焦点を当てた企画が各地で開催された。その掉尾を飾るのが、栃木県立美術館の「戦後70年──もうひとつの1940年代美術」展である。

 展示作品は、日本画、洋画、版画、彫刻、写真、工芸、着物など、58作家の約170点。加えて出品作家の著書や装幀本、当時の雑誌、絵はがき、教科書、紙芝居や双六などの資料が約250点と盛り沢山である。本展企画者小勝禮子氏の「戦時下から戦後を生きたできる限り多くの画家・版画家や工芸家たちが何を考えどのような作品を作ったかを丁寧に拾い上げ、より幅広く多様な美術史を記述してみたい」(本展図録掲載論文)という企図で組立てられているからだろう。
 小勝氏は本展の特色として、女性作家と栃木県ゆかりの作家が多いことを挙げている。「今展ではそうした女性画家だけではなく、中央の美術界で当時活動しながらも、戦後の美術史で主要画家として記録されず、展示される機会が少なくなった栃木県出身の画家や、それぞれの分野に分かれた展示に限られていた工芸家、版画家の作品を一堂に会し、『非主流画家』による1940年代の美術を振り返ってみることとしたい」。


栃木県立美術館、入口


「もうひとつの1940年代美術」会場入口

 展示は作家ごとではなく、1937年から1952年まで概ね制作年順に配置されている。したがって、同一作家でも異なる場所で出会うことになる。何度も出会う作家、言い換えれば本展の核となる作家の代表が、清水登之(1887-1945)と赤松俊子(丸木俊1912-2000)だろうか。
 清水登之は現在の栃木市出身で、アメリカで絵を学び、その後パリでも制作をした画家である。一方で清水は画家になる以前に、軍人を志望して陸軍士官学校を受験している。従軍画家として上海や中国東北部(旧満州)、東南アジア等を取材し、戦場や兵士を主題とした絵を制作している。また彼の長男は軍人として出征し戦死している。つまり清水は、戦時体制に積極的に関わって自己表現を続けた画家の一人といえる。本展では清水が1937年に描いた《戦蹟》を会場の最初の作品とし、南京の難民居住区に取材した《難民群》(1941)、息子をモデルにして歩兵部隊の突撃の様子を描いた《突撃》(1943)など24点が展示されている。
 赤松俊子は1937年と41年に、外交官一家の家庭教師としてモスクワに滞在しスケッチを描いている。この間、世界史的には日ソ間の国境紛争ノモンハン事件があり、独ソ不可侵条約が締結され、ドイツによるポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発している。1940年、失恋をきっかけに出かけたという南洋パラオ諸島は、第一次世界大戦の結果ドイツ領から日本の委任統治に変わったところである。赤松の行動自体は、彼女の個人的動機によるものだが、その行動範囲は当時の世界情勢と日本の位置を反映している。二度目のモスクワ滞在から帰国後に赤松は丸木位里と結婚し、45年位里の故郷広島に原爆投下直後に入る。1947年には花咲乱れる楽園を背景に立つ裸婦像《裸婦(解放されゆく人間性)》を描くが、1948年から原爆を描く決意を固め、最初の作品として《原爆の図第1部幽霊》(原題:八月六日)を1950年のアンデパンダン展に発表する。


同展、会場風景

 銃後の生活を描いた女性作家が多いなかで、積極的に戦時体制に協力した女性画家もいる。長谷川春子(1895-1967)は、1932年から40年にかけて陸軍省嘱託の身分を得て戦地の従軍画家となり、1943年には女流美術家奉公隊を結成し自ら委員長となり、銃後の戦争協力を推進した。《小婦国防》(1943)は、長谷川自身の気概を表わしたかのような女性の国防図である。
 版画家川上澄生(1895-1972)は宇都宮中学の英語教師だったことから栃木県ゆかりの作家だが、彼の戦時中の動向も興味深い。次第に戦時色の強まる学校を1942年に退職し、『南蛮国人物図絵』『いんへるの』『時計』などの超豪華な絵本制作に没頭している。戦時下にあるまじき贅沢と特高警察から呼出しを受けたが、特高警察に教え子がいて事なきを得たという。これは総力戦体制になった現実からの逃避にとどまらず、戦時体制への抵抗、挑戦のようにもみえる。
 同館の企画展示室は構造が複雑なうえ、一部の作品が常設展示室で展示されていることもあって、展覧会の全体像を把握するのに多少手間取る。それを差し引いても、主題も表現も多様な作品が並んでいる。「非主流」作家を集めたため、戦闘場面や戦意高揚を狙ったいわゆる「戦争画」は少ない。
 展示の後半は戦後の作品となる。丸木位里(1901-1995)・俊の《原爆の図》、茨城県高萩炭鉱などの労働争議を主題にした新居広治(1911-1974)らの木版画などが展示され、最後に岡上淑子(1928-)の占領軍が放出したグラフ雑誌を素材にしたコラージュ作品で終わる。


丸木位里・俊《原爆の図 第4部 虹》

 戦後の美術は「まったく新しい別の美術ではなく、シュールレアリスムや抽象絵画など戦前の前衛が姿を替え、名前を変えて復活したものでもあった。1940年代、戦前から戦後への価値の転換がなかったわけではないが、政治や経済の世界で戦前の権力の継承が行われたのと同じことが、美術の世界でもなかったわけでもない」(前掲論文)と、小勝氏は控えめな言い回しながら旧套的表現と思想的反動を指摘している。
 「戦前—戦後」という時代区分の感覚がどの程度共有されているのかという思いもあるが(次元は異なるが、福島の視点では震災前と震災後という区分にリアリティがある)、戦後70年を振り返るためには、重要な結節点である1940年代についての予断のない検証が欠かせない。本展は、その出発点である。


戦後70年:もうひとつの1940年代美術

戦後70年──もうひとつの1940年代美術

会期:2015年10月31日(土)〜12月23日(水・祝)
会場:栃木県立美術館
栃木県宇都宮市桜4-2-7/Tel. 028-621-3566

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伊藤匡

1956年生まれ。福島県立美術館学芸員。

2015年12月01日号の
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