2017年11月15日号
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キュレーターズノート

月光ノ絵師 月岡芳年

岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)2017年07月01日号

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 札幌芸術の森美術館では、7月23日まで「月光ノ絵師 月岡芳年」展を開催している。この美術館において浮世絵師を取り上げる展覧会は、歌川国芳以来2年ぶり2度目だ。


図1 「月光ノ絵師 月岡芳年」展チラシオモテ

絵解きパネルで伝えた国芳展

 「浮世絵師 歌川国芳展」(2015年4月25日〜6月28日)は、作品総入れ替え制の前後編あわせた計62日間の会期にわたって、当初の想定人数を超える5万人の鑑賞者を数えた(当時当館歴代9位、現11位)。もともと北斎、広重、歌麿らとともに人気浮世絵師の上位に挙がる国芳であるから、さほどに心配することはなかったかもしれないが、開幕前はこの入館者数を読み切ることができず、不安の方が大きかった。北海道における国芳人気や浮世絵に対する人々の関心度合を測る根拠が不足していたからである。
 とはいえ、手広く確かな広報展開に関しては共催相手の北海道新聞社に委ねることとし、われわれ美術館は展覧会づくりの本分に徹しようとただひとつの目標に向かった。それは、出品作一点一点の前で必ずおみ足お留めいただくということである。
 言うまでもなく、浮世絵は小さい。画面のサイズはA4判よりひとまわり大きいくらいである。そんな小ささだから、展示室を埋め尽くすように飾るとなると出展作品数は300点、400点と必然的に膨大になる。そうなると、鑑賞密度が薄まり、鑑賞速度が次第に加速してゆく。また、浮世絵は作画の前提とする社会や風俗、芸事、流行、文化が、多様で広範で複層的かつ複雑だ。これに見立てや翻案、すなわち二次創作、パロディも合わさると、典拠となる元ネタさえも不確かなままでは、その創作の真意に達し難く、鑑賞深度を弱める方向へとさらに助長させてしまう。
 こうした諸々の背景をすべて看破し、画の内容に迫ることができるのはよほどの専門家(しかも複数分野にわたる)でもない限り、至難の業である。「舟遊びに興じる女性を描いた一見したところ3枚続きの美人画は猪牙舟と屋根舟が正面衝突し、肩や指先、表情に緊張が走る一瞬を描いた緊迫感が表わされているんですよ」[図2]とか、「奇々怪々な化け物たちは、天保の改革で禁止された数々の贅沢をそれぞれ象徴しています。例えば、スイカのお化けは、初物を食してはならぬという令を江戸の庶民が大好きだったスイカに仮託していて、その判じられた物を江戸の人々は読み解き、楽しんでいたんですね」[図3, 4]などと、一人ひとり呼び止め語るわけにいかない。

   
図2〜4 「浮世絵師 歌川国芳展」絵解きパネル ※クリックすると拡大されます

 もちろんずらずらと丁寧に書き連ねた解説文を一点ずつ貼りつけていくわけにもいかない。仮に300字として、出品200点とすると、計60,000字、原稿用紙150枚分に相当する。鑑賞者にしてみればこれはもう苦行である。興味を覚えた作品だけ解説を読んでもらえたなら、という取捨選択を委ねるのもいかがかと疑問に思う。どんな浮世絵も見応えは等しくある。むしろ、その逆で、役者絵、美人画との把握のみで終えられそうな物ほど、その向こうに潜む楽しみがある。
 そこで、試みたのが一作品一絵解きパネルであった。文字情報をできる限り少なく、ビジュアル重視のパネル製作の試行。これについては、かつて当連載で語っているので、詳細は省く。結局、この展示工夫が話題を呼び、来館リピートを増やし、巷間に広く知れることとなった。こうして、マスコミと美術館とがそれぞれに本分を発揮し、真の意味で共同開催展覧会を成功に導いたのである。

のんきな国芳、シビアな芳年

 さて、芳年展では、さらなる工夫を行なった。というより、鑑賞補助のための手段の変更を余儀なくされたと言った方が適していようか。芳年を取り巻く時代背景とそれを反映して行なわれた絵画表現は、国芳に比べると芳年の方が格段にシビアなのである。
 国芳は、血で血を洗う真の幕末を迎える前にこの世を去っている。平和な江戸にあって、言わば暢気に繰り広げられる庶民の生活と爛熟の文化を写し、その表現、趣向においては、珍奇珍妙な工夫を凝らすことに夢中になることができた。数々挙がる贅沢禁止令に反抗してスイカのお化けを描いて市井の人々に読み解かせるとか、複数の人間を寄せ集めてひとつの顔を構成してみせるパズル的な絵[図5]などは、やはり泰平の世の証左とも言えそうだ。


図5 「浮世絵師 歌川国芳展」絵解きパネル

 一方、芳年はがらがらと音を立てて崩れゆく近世と、そのそばから即座に洋風に建て替えられていく近代のはざまにあって苛まれることとなる。国芳が描く戦は、軍記、歴史物語に綴られる言わば文学の世界を絵画化したものであり、江戸好みに脚色された英雄譚とも言えるもの。かたや芳年が描く戦は、浪漫の欠片もない切なき現実。遠く京の都に立つ血煙、きな臭い匂いが徐々に東に迫り来て、ついに江戸上野が血戦の舞台となった。
 そうして表わされたのが後に「血みどろ絵の絵師」という異名を持つこととなる無惨絵の数々である。実際、芳年がこれを手がけたのは、江戸末明治初めの足かけ4年間程度のことであったが、後に、谷崎潤一郎、芥川龍之介、江戸川乱歩、三島由紀夫らがこの部分を特筆したこともあり、その印象を決定づけた。
 芳年の無惨絵には人物図像の先行作例が幾つか発見されていて、完全に芳年の想から発せられたものばかりでないことはいまや自明の事実ではあるけれども、しかし、そもそも日本絵画の常套である図像借用を前提として、意識的に無惨絵群を描き出し、シリーズとして完成させたことは、芳年の画歴においても、また浮世絵史上においても看過してはならない重要な事項である。実際、同じ姿態の人物を描いた両者の作があったとして、国芳の場合、血は皮膚を覆うように付着するものであり、芳年の場合、その血は裂かれた皮膚の内から溢れている。国芳の方は活劇で、芳年の方は実存だ。よって本展では、鑑賞者が気分を害する可能性を考慮し、該当する《英名二十八衆句》および《魁題百撰相》を別室に囲った[図6]。それほどにこの連作の持つ残虐性はやはり群を抜いているのである。


図6 「月光ノ絵師 月岡芳年」展「巻ノ二」展示風景

 一連の無惨絵には激変の社会情勢を如実に反映するという、いわば、浮世絵らしさを見出すことができる。ところが、明治時代が幕を開けたとき、多くの浮世絵師が鉄道や洋風建築、渡来人や洋装の日本人などを主題に、文明開化を高らかに謳ういわゆる開化絵を手がけたのに対し、芳年にはその作例が極めて少ない。反して多く手がけたのが、いにしえの戦記文学や神話、国史であった。無惨絵を描いたときのように世情を色濃く映し出すスタイルから離れ、芳年が世に問うたのは歴史画であった。当然、世の反応は薄かった。しかし、趨勢は変わる。古来の文化の見直しや国粋主義的志向が高まり、芳年の歴史画が再認識され始めたのである。しかも、芳年の絵画表現は、前代の墨守ではなく、すでに進取に富むものであった。極端な人体のねじれ、衣や肌の執拗な襞と皺の描き込み、前後幅が強い奥行き、奇をてらったアングルなどによって、みなぎる動感表現の充実へと至り、さらにその極みが緊迫した静寂を導くという芳年後期のスタイルの確立へと結実することとなる。

芳年展の展示構成

 長くなったが、このように時代と向き合い、ときにこれに合わせ、ときにこれに背いた経緯というものがあるのが、芳年である。画風も大きく変化している。よって、国芳展では、「役者絵」「美人画」「武者絵」とジャンルごとに章を区切り、一様に絵解きパネルで解説したが、芳年展では、その生涯を編年的に追うことを原則とし、その章ごとに見せ方、すなわち鑑賞補助のパネルスタイルを変えた。

 「巻ノ一」では、国芳展を引き継ぐかのように絵解きパネルを用いた。芳年様式が確立する前の江戸期において、いかに浮世絵の基礎を学び、自己の画技を高めたかを師匠・国芳の同画題作品と照らしながらジャンルを問わず紹介した。その相違を比較しつつ、いずれにも充満する楽しい時代気分を堪能できるつくりである。芳年が師匠譲りの器用さを備えていたことがよくわかるコーナーである。
 「巻ノ二」では、歌舞伎の演目ともなった殺伐とした事件を描く無惨絵を先述したように一部屋に収め、個々に多くても40字に抑えた口上を添えて紹介した。「弟の仇討つために 立ち上がりし二人の兄 なれど多勢の騙し討ち そいつぁないぜ地蔵様」[図7]、「あんたがしでかした事と比べれば 鮟鱇切りなんざ 大した事ねえやなぁ」[図8]というように。往年のドラマ必殺シリーズの口上を念頭に置いてみた。


図7 月岡芳年《英名二十八衆句 遠城喜八郎》


図8 月岡芳年《英名二十八衆句 稲田九蔵新助》

 「巻ノ三」では、材となった古事記、日本書紀の話の筋を語るより、場面の瞬間理解に重きを置き、漫画の吹き出しを用いた。この頃の芳年が描く人物姿態に、江戸浮世絵の平面的描法からは離れ、動感表現に重きを置いた劇画性が認められることもそれを選択した理由のひとつである。
 「巻ノ四」では、歴史画、武者絵を得意とした芳年のもうひとつの重要な側面である美人画を紹介するに当たり、再び絵解きパネルを選択した。微かな所作ひとつ見逃さない細やかな表現から窺われる女性に対する真摯な眼差し、着物にあしらわれた紋様が含む意味などを伝えるには、やはりこのビジュアル重視の手法が有効であった。
 「巻ノ五」では、芳年の円熟期の代表連作《月百姿》のみを取り上げた。画題は、やはり昔の物語。大小さまざまながら、月が必ず配され、その月光が照らすひそやかな場面が丁寧に描かれている。江戸浮世絵はもちろん、同じ明治時代のほかの絵画と比べても、類例を見ないその静謐な画趣を鑑賞いただく邪魔にはけっしてならないようにと最小限の文字数を短冊にしたためる形で、画の内容を伝えることとした。「やい兎 月に戻れと こらしめる」[図9]というように、画中の孫悟空と兎がじつは敵対関係にあることが伝わりさえすれば、という考え方である。


図9 月岡芳年《月百姿 玉兎 孫悟空》

 「巻ノ六」では、いよいよ芳年が描く人物姿態の劇画的造形に迫った。手法としては、人物だけを型抜いたパネル[図10]を壁面に並置した。上体を極端にかがめたり、大きく反らしたり、頭髪やまとう衣服の袖や裾、帯などの長物も、その運動にあわせて力強く翻る。線の流れと行き先を辿る助けとなったように思う。


図10 月岡芳年《藤原保昌月下弄笛図》部分

 ほかにも、彫摺の技法が顕著に見られる作品のそばには、「正面摺」「空摺」などのアイコンを貼って、技術面での注目ポイントを適宜示したり、鑑賞を深める一助となるクイズやカードも用意した。
 これまでにご回答いただいたアンケートに目を通すと、鑑賞者からは上々の評価をいただいている。功を奏したところもあろうが、いまにして思い浮かんだり、力及ばぬところに気づかされることもある。しかし、展覧会を介して出品作品たちの魅力を伝えんとする意気込みはこれからも失われない。

もうひとつの特別展@野外美術館

 なお、紙数の都合で詳らかにはお伝えできないが、本展の会場、札幌芸術の森美術館に隣接する札幌芸術の森野外美術館においては、画期的な屋外写真展「岩合光昭写真展 THE CATS ねこ科 ねこは野生動物だ。」[図11, 12]を同じ7月23日まで開催している。動物写真家・岩合光昭がおよそ40年にわたって追い求めてきた「ねこ」をテーマとした初の屋外写真展。私たちの身近に暮らすイエネコのほか、ライオン、チーター、トラ、サーバルなど野生のネコ科動物の姿を最大2m級の迫力ある大型写真作品106点(うち屋内展示40点)で紹介している。


図11 「岩合光昭写真展 THE CATS ねこ科 ねこは野生動物だ。」展「ねこの丘」展示風景


図12 「岩合光昭写真展 THE CATS ねこ科 ねこは野生動物だ。」展「ねこの森」展示風景

 芳年展とあわせてご覧いただくことをお薦めする。なにせ、野外美術館での展覧会企画というのはそうそうあることではない。また、屋外写真展は当館においても初めての試みである。ちなみに、国芳の猫好きは有名だが、実は芳年も大の愛猫家だったそうだ。

月光ノ絵師 月岡芳年

会期:2017年6月3日(土)〜7月23日(日)
会場:札幌芸術の森美術館
   札幌市南区芸術の森2丁目75番地

岩合光昭写真展 THE CATS ねこ科 ねこは野生動物だ。

会期:2017年4月29日(土)〜7月23日(日)
会場:札幌芸術の森野外美術館

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岩﨑直人

1972年生まれ。筑波大学卒業、同大学院修了。札幌芸術の森美術館学芸員。おもな展覧会=「20世紀・日本彫刻物語」「北方神獣」「立体力──仏像...

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