キュレーターズノート

芸術祭と美術館の創造的な関係
──あいちトリエンナーレ2019を控えて

鷲田めるろ(キュレーター)

2019年02月15日号

8月に始まる「あいちトリエンナーレ2019」の準備が佳境に入りつつある。昨年10月に約3分の1のアーティストを発表した。3月末にほかの全アーティストを発表する。毎週、何人ものアーティストが会場を訪れ、打ち合わせと予算の調整を重ねている。

一時的な芸術祭、恒久的な美術館


「あいち」の特徴は美術館を会場していることである。街中の会場もあるが、今回は愛知県美術館名古屋市美術館に加え、豊田市美術館を使う。それぞれ充実したコレクションを持つ美術館である。今日、日本で芸術祭が乱立していると言われているが、そのうちの多くは県立・市立規模の美術館なしで行なっている。ヨコハマトリエンナーレや福岡アジア美術トリエンナーレは美術館を会場としているが、1館のみである。多くの芸術祭が美術館のない場所で行なわれるのは、将来財源の減少が確実な地方自治体が、美術館という恒久的な施設とそのコレクションを半永久的に維持し続けるよりも、イベントとしての芸術祭を定期的に開催するほうが、中止も容易で、集客や観光、まちづくりと結びつけやすく費用対効果が高いという経営的判断が働いているためであろう。そのなかで、3館を会場に使う「あいち」は例外的である。

しかし、一般的に美術館と芸術祭を組み合わせることは難しい。その難しさが最も鮮明に現れた事例は、新潟市美術館と「水と土の芸術祭」(2009)であろう。ともに新潟市が主体となり、芸術祭と美術館の両方のディレクターを北川フラムが兼任したにもかかわわらず、両者を繋げることに失敗した。市直営の新潟市美術館は、実行委員会が主催する「水と土の芸術祭」の会場となったが、芸術祭を美術館の業務であると認めなかった美術館の学芸員2名は、芸術祭の業務を命じようとした館長北川と折り合わず、芸術祭の開催前に市のほかの部局に異動することになった。芸術祭の作品として出品された久住有生の土を使った作品からカビが発生し、北川は館長を辞任した。美術館の改革と芸術祭の立ち上げを同時に急速に進めようとした点にも無理はあったが、背景にはこうした芸術祭と美術館の性格の違いがある。

横浜の場合はどうだろうか。当初は日本における国際展の立ち上げを目指し、国際交流基金と横浜市が共同で開催していたが、2010年に国際交流基金が主催から外れて以降は、横浜市の単独主催となり、会場は横浜美術館が中心となる。横浜美術館の館長逢坂恵理子がヨコハマトリエンナーレのディレクターも兼任するという体制で、横浜美術館の学芸員もトリエンナーレには関わっている。しかし、立ち上げ当初と比べると規模の縮小は否めず、美術館の大規模な企画展と大差がなくなってしまっている。


集客と予算の壁


「あいち」は実行委員会形式で、そのなかで主体となっているのは県である。「あいち」と愛知県美術館は別の組織だが、第1回から3回まで「あいち」のチーフ・キュレーターを務めた拝戸雅彦が愛知県美術館に異動し、代わって愛知県美術館の学芸員が学芸担当のプロジェクト・マネージャーとして着任している。また、前回のトリエンナーレに出品されたマーク・マンダースの作品は、その後、愛知県美術館のコレクションに加えられた。

一方、名古屋市美術館、豊田市美術館は、県と各市という自治体の違いがあるが、今回は「あいち」のキュレーターのひとりを豊田市美術館の能勢陽子が務めており、能勢は美術館の業務として「あいち」の仕事を行なっている。名古屋市美術館と豊田市美術館は、それぞれトリエンナーレと同時期に、自主企画展を行なう。トリエンナーレをきっかけに来た観客が、美術館を単なるハコとしてではなく、コレクションを含めた各館の活動を知ることができるというメリットがある。しかし、その自主企画展の内容については、不満もある。豊田市美術館はあいちトリエンナーレと同時期にグスタフ・クリムトの個展を行なう。確かに豊田市美術館はグスタフ・クリムトやエゴン・シーレの作品をコレクションしており、それが豊田市美術館の活動のひとつであることは確かだ。だが、そこには集客の見込めない現代美術と、集客の期待できる評価の定まった西欧の作家を組み合わせるという意図も感じられる。

西欧の「優れた」美術を享受することよりも、創造や発信に力を入れるべきではないか。例えば、豊田市美術館の優れたコレクションを核として、海外の作家と日本の作家を取り混ぜながら、海外からの注目度も高い1970年前後の作品を中心とするグループ展を開催することもできただろう。もし、集客が見込めず、予算的に無理ということであれば、国はそれを支援すべきだ。

美術がアイデンティティを象徴する


国際的に見れば、冷戦の終結以降、美術館と民族や国家との結びつきが強くなっている。それ以前は、アメリカ合衆国とヨーロッパ諸国とのあいだでの激しい主導権争いはあったものの、人類共通の遺産を欧米の美術館が保管するという意識が強かった。ところが、1990年代以降、イデオロギーの対立よりも民族や宗教、国のアイデンティティが重視されるようになると、芸術作品も、人類共通の遺産というより、そのアイデンティティを象徴的に示すものとして重視されるようになった。文化財の返還問題も大きくはその構図のなかにある。中国のコレクターが自国の作家を中心に収集し、シンガポールが巨大なナショナル・ミュージアムをつくり[図1]、自国の美術の歴史を描こうとしていることも、非欧米諸国の国のアイデンティティの確立に美術作品が結びついていることを示している。国を超えた横断的で複雑な美術の影響関係を見ていこうとする学術的な努力もあるものの、経済的な国家間、都市間の競争に美術も従属して支えられている状況である。



図1 シンガポール・ナショナル・ギャラリー[撮影:筆者]


そのような状況のなかで、例えば韓国では、メディア・シティ・ソウル、光州ビエンナーレ、釜山ビエンナーレの3つのビエンナーレの時期を合わせることによって、海外への発信力を強めている。さらに、2018年には、オープニングの時期に合わせて、メディア・シティ・ソウルの会場であるソウル市立美術館に近い、国立美術館では、単色画のユン・ヒョングン(尹亨根)の個展、国際的に活躍する中堅チェ・ジョンファの個展、そして若手の公募展という韓国の3世代をバランスよく見せていた[図2]。アメリカ合衆国を中心に韓国の1970年代の単色画が再評価されていることも鑑みると、海外から来るビエンナーレの観客へ韓国の作家を発信しようという意図が感じられる。



図2 韓国国立近現代美術館(MMCA)[撮影:筆者、2018年9月]


芸術祭と美術館の創造的な関係


こうした効果的な発信を目論む韓国に対し、日本では、祭典推進法が2018年6月に公布、施行され、今後、国際展を海外発信に繋げていこうとしている。筆者は2018年9月に行なわれた推進会議の幹事会において発言の機会が与えられたため、この韓国の事例を紹介したうえで、国と各芸術祭、そして美術館を横断するグランドデザインの不在を指摘した(議事録はウェブサイトで公開)。

現在進行中であるため、「あいち」と各美術館との関係が成功しているか否かを総括することはまだできないが、方向性の異なる両者のあいだに創造的な関係を築くことを意識して準備に当たっている。美術館での展示においては、展示室の中だけでなく、パブリック・スペースを用いた作品を積極的に展開することを目指している。これは今回が初めてではなく、第1回目から草間彌生やオノ・ヨーコなどの作品を隣接する都市空間で展開してきた。それを継承したい。また、「あいち」の作品を通じて、愛知県美術館のコレクションを読み直すような試みができないかと考えている。

あいちトリエンナーレ2019

会期:2019年8月1日(木)〜10月14日(月・祝)
会場:愛知芸術文化センター名古屋市美術館/名古屋市内のまちなか(四間道・円頓寺地区など)/豊田市(豊田市美術館およびまちなか)ほか
主催:あいちトリエンナーレ実行委員会
芸術監督:津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)