キュレーターズノート

何を残し、誰が受け継ぐのか──
問題提起としての「日比野克彦を保存する」展

町村悠香(町田市立国際版画美術館)

2020年12月15日号

日比野克彦を保存する」という展覧会タイトルから筆者が当初想像したのは日比野作品を保存修復するための科学的手法を提示する展覧会だった。酸性紙の段ボールでつくられた日比野の初期作品は経年劣化しやすく保存が難しい。日比野に限らず多様な素材を使う現代アート作品を将来的に伝えていくには、保存科学研究の進展は不可欠だからだ。しかし実際に訪れてみると、筆者が当初想像したことは本展が捉える射程の入り口に過ぎなかった。

「保存」を展示する

この展覧会が開催されたきっかけは渋谷のマンションの一室にある日比野のアトリエの建物が、老朽化による建て替えのため2021年に取り壊されることが決まったからだという。日比野の33年間が詰まったアトリエにある作品や資料の保存を急務と考えた東京藝術大学文化財保存修復センター準備室プロジェクトメンバー★1とプロジェクト協力メンバー★2が2020年6月にアトリエ保存プロジェクトを立ち上げた。

アトリエにあるものすべての物量を把握したうえで将来的に何をどこまで「保存」するのか。その判断を提案するため、いまも進行しているプロジェクトメンバーによる調査経過を公開することがこの企画の肝だ。本展ではアトリエ内部だけでなく、作品が生まれる場所であるアトリエを取り巻く外の環境も保存対象の視野に入れている。日比野克彦というひとりの現役作家をモデルケースとして、保存に関わるさまざまな事象を相対化し、「保存」という営みそのものを問題提起する挑戦的な展示だった。★3



★1──桐野文良(準備室室長、文化財保存科学専攻保存科学研究室教授)、飯岡稚佳子(教育研究助手)、岩倉希美(同)、杉原裕子(実験補助)、田口智子(特任研究員)、安田真美子(非常勤講師)。

★2──平諭一郎(東京藝術大学アートイノベーション推進機構特任准教授)、松永亮太(東京藝術大学大学美術館学芸研究員)、山下林造(絵画修復[油画])。

★3──展覧会で保存を問う近年の事例として、「ヨコオ・マニアリスム vol.1」展(横尾忠則現代美術館、2016)では展示室の中にアーカイブ資料の調査現場を移して、美術館業務を公開する試みをしている。「タイムライン─時間に触れるためのいくつかの方法」展(京都大学総合博物館、2019)では、時間の経過とともに変化する現代美術作品の継承のあり方を問いかけた。「収集→保存 あつめてのこす」展(高知県立美術館、2020)では、美術館が司る収集・保存機能に着目した展覧会を開催した。


「分類」を体感する展示デザイン

本展が秀逸だったのはプロジェクトで設定した同心円状の分類イメージを展示の構成・レイアウトに反映したことだ。


【分類イメージ】
中心0(A. 段ボール作品、B. 原画、原稿、その他の作品、C. プロジェクト型作品)
周辺1(D. ドローイング、スケッチ、E. 画材、F. 作業机、椅子)
周辺2(G. アトリエに置かれているもの、H. 廃棄予定のもの)
周辺3(I. アトリエ自体)
周辺4(J. 渋谷にあるマンション、K. 渋谷の街)


入り口近くが中心=0エリアで展示室奥に行くにしたがって周辺1〜4へと広がっていく。エリア番号を示す数字は日比野が段ボールを切ってつくり、展示台やパネルのベースも段ボールが使われている。展示順路に沿って中心から周辺へと歩いていくことで、来館者は作品と作品が生まれる環境そして作家自身を包括的に捉えるために何を残していくのがよいか、体感しながら問題意識を共有できる工夫がなされていた。

[撮影:松永亮太]


中心にあるモノとコト

中心=0エリアの最初には段ボールで制作された《TERAYAMA SHOES》(1993)と《APRIL》(1981)が展示されていた。隣にはこの作品を保存していくための素材調査の結果もパネルも掲示されている。続いてプロジェクト型作品の関連資料を紹介。長年アートプロジェクトを展開してきた日比野にとって、作品はモノではなく形を持たないコトが占める割合も大きい。数も膨大で形状もさまざまな関連資料をどこまで保存するか、また果たして関連資料を残すことで作品を残したといえるか。こういった資料群の具体例として「明後日朝顔プロジェクト★4で収穫された朝顔の種の入った缶、ワークショップで制作された作品、パンフレット、記録写真、報告書などが展示されていた。

《TERAYAMA SHOES》(1993)[撮影:松永亮太]

プロジェクト型作品の資料群[撮影:松永亮太]

アートプロジェクトは運営に関わった人々や参加者など関係者の数が膨大だ。資料の調査や日比野へのインタビューの結果、プロジェクト型作品の保存は作者だけでなく関わった人々との意見交換が必要であると、今後の保存方法の提案が示されていた。


★4──2003年から開始し、各地で開かれているアートプロジェクト。朝顔の育成を通して人・地域・コミュニティーをつなぐことを目指す。


中心から周辺へ

周辺1〜4は作品以上に取捨選択が迫られ、周辺領域に行くほど個人の意志だけでは保存ができない対象だ。周辺エリアの展示スペースにはアトリエから種々雑多なものが運ばれ展示空間を満たしていた。モノの存在感が部屋全体に漂うことでアトリエの空気感を運んでくるとともに、これらすべてを保存するのは難しいという取捨選択の必要性が実感をもって伝わってくる。

例えば壁面に展示したパネルや写真、平面資料の下には、アトリエにあった新旧カメラ・木箱・置物・書籍・植物の種・ファブリックなどが置かれていた。それぞれにどのような思い入れがあるのか、日比野による直筆コメントが付されている。周辺のモノから中心に迫ることができる仕掛けとして興味深い。展示空間中央の手前の島には作業机・椅子・画材。奥の島にはスーツケースやサッカーボール、ホウキ、ゴミ箱など廃棄予定のものが配置されていた。

周辺2「G. アトリエに置かれているもの」[撮影:松永亮太]

周辺2「H. 廃棄予定のもの」[撮影:松永亮太]

周辺エリアでは類似する保存の実践事例が目配りよく紹介され、それを踏まえた柔軟な保存方法の提案が興味深かった。例えば、周辺1エリアでは日比野が一貫して使い続けている赤鉛筆と、イヴ・クラインが特許申請した「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」を対比。作品の構成要素としての画材をどこまで保存するか問題提起されていた。

周辺1「E. 画材」「F. 作業机、椅子」の展示風景[撮影:松永亮太]

周辺2「G. アトリエに置かれているもの」の保存例では、長野県諏訪の松澤宥の自宅兼アトリエだった「プサイの部屋」にあったアーカイブが、周辺3「I. アトリエ自体」の保存例では、瀧口修造の書斎が取り上げられた。この二つは、部屋そのものが持ち主の思考の実験場であり、伝説的な場として訪れた人々に語り継がれている。

松澤アーカイブは研究者たちによって現在デジタルアーカイブ化が進められているが、膨大な資料の今後の保存方法が課題になっている。瀧口アーカイブは遺族から慶應アート・センターに寄贈され整理が進められている。本展ではそのなかから大辻清司、羽永光利、高梨豊ら多くの写真家や訪問者が写した「瀧口がいる書斎」の写真の縮小版を展示していた。場所と人が強く結びついた事例からは、空間そのものを残すことは難しくても、他者の目を介した場の記録が残されることを示している。

日比野の場合は若い頃からアトリエで多くの取材を受けてきた。展示では雑誌の切り抜きが数多く並べられ、メディアがつくり出そうとするアーティスト像の背景としてアトリエが写り込み、結果的に時代ごとの部屋の様子が記録されたことがわかる。

周辺4エリアの「J. 渋谷にあるマンション」と「K. 渋谷の街」の保存方法として提案されていたのは住民のオーラルヒストリーや写真だった。展示室最奥に掲示された年表パネルでは、渋谷の街、マンションの建物、日比野自身のタイムラインが多層的に示されていた。日比野の年表はプロジェクトチームが事項を抜き出した年表のほかに日比野自身が事項を選んだ年表も置かれていた。両者の違いから、作家本人と研究者の立場、価値観の違いによって抽出する事項が異なることを伝えた。

周辺4「J. 渋谷にあるマンション」「K. 渋谷の街」、日比野自身それぞれにまつわる年表


誰が評価するのか

展示室で流されていたインタビュー映像のなかで日比野は、作品が残るかどうかは作家ではなく第三者が決めていくことだと発言していた。それを反映したのか、動画を流すモニターは同心円状の分類エリアの縁、部屋のいちばん隅に置かれていた。

ではその第三者とは誰なのか。本展では具体的に言及されていなかったが、よく言われるのは批評家や研究者の存在だろう。研究が進むことによって、ある時代の美術が再評価され保存の機運が高まることもあるし、また逆に同時代に一世を風靡しても次第に忘れられてしまう作家もいる。もちろん家族や事務所スタッフ、支援者など理解と熱意のある人が作家の周囲にいたかどうかも作家の仕事が保存されていくかを決定づける重要な要素だ。

だが、さらに世代を超えて作品や資料が受け継がれていくためには、専門家や関係者のコミュニティを超えて、広く社会で保存すること自体の意義が共有されることが必要だろう。例えば公立美術館の場合、館の運営は自治体の一事業に過ぎず、公立美術館がここまで増えたのはここ3、40年ほどのことだ。限られた税収のなかで何に優先順位をつけるかは、社会の価値観をある程度反映した政治的判断のもと行なわれる。つねに温湿度を一定に保っていなければならない収蔵庫を管理する経費はバカにならない。これを見越してコレクションを持たない施設も増えている。多くの施設が老朽化し施設管理費は増えるが、コロナによって来館者数が減り経営が厳しい。作品や資料の保存、ひいては美術館そのものを維持することは専門家の力だけでは難しく、広く社会の理解が必要だ。これは筆者も現場で働く立場から日々実感するところだ。

「保存すべきもの」の価値観が社会のなかで大きく揺らぐこともある。例えば20世紀では政治的価値の否定と美術的価値が連動したナチスによる退廃美術展。現在では新自由主義的政策を押し進めるため、文化行政にもそれが適用されたり、専門家が意図的に排除され価値や評価が政治的に歪められたりする状況がある。

また社会の側の価値観が急激に転換し、これまで当たり前にあったものに対して保存すべきでないと評価を下すこともある。例えば今年、アメリカ発で世界に広がったBlack Lives Matter運動は、その多くは平和的な運動だったが、なかには南北戦争の南軍に由来する将軍や奴隷商人の銅像、記念碑を破壊するヴァンダリズムが見られた。運動の影響を受けて州政府の側がそれらの撤去を決める動きもある。これは排除であると同時に、いままで街中で忘れられていた銅像が象徴としての意味を回復した事態とも捉えられるだろう。評価は決して一部の専門家や関係者がコントロールできるものではないのだ。


社会に開く実践

美術に関わる営みで一般的にもっとも見えやすいのは、記録的な入場者数を誇った展覧会や、観光地としての人気が高い美術館かもしれない。経済効果に美術館の存在価値が認められていても、作品調査・収集・保存の重要性と問題点は社会のなかでは十分に共有されていない。

「保存」を広く可視化するための方法として、本展では保存手段としてのグッズ製作が提案されていた。アトリエに残された日比野の33年間の痕跡を写真に収めてデザインされたTシャツは、実際にショップで販売もされていた。

アトリエの写真をプリントしたTシャツ[撮影:松永亮太]

一見突飛なアイディアにも思えるが、Tシャツは単に衣服というだけでなく、多くの社会的機能を持っている。例えば音楽ライブのツアーTシャツはグッズ収入でアーティストを支えることができ、ライブというコトを記憶に留めるよりどころにもなる。書かれた「メッセージを着る」ことで、環境問題やフェミニズムをスタイリッシュに訴えるスローガンTシャツもある。

このようにTシャツはグッズとして人の身体とともに街に出ていくことで自然と会話の糸口を生み、これまで興味がなかった人にもアーカイブの存在を知ってもらうための有効な提案だと感じた。保存継承していく必要があると思うモノやコトを積極的に語れる仕掛けをつくり、楽しいアイディアで参加を呼びかけムーブメントを起こす。これは社会に開かれた保存実践のあり方として、さまざまに応用できるだろう。

そしてもちろん、本展を開催すること自体が「保存」そのものを社会に対して問題提起する重要な実践だった。筆者も美術館で作品・資料の収集に携わっている。アーティストや遺族のお宅で調査させてもらうと、作品とともに「周辺」にあるモノやコトの重要性に気づかされるが、それらを収集しきれないことにジレンマを感じてきた。本展を身につまされる思いで観た当事者も多いだろう。展覧会という体験型メディアを有効に活用し、調査研究の過程で見えた問題点を来館者に可視化した本展は、社会のなかで「保存」をともに考えていくひとつのモデルケースになりえるだろう。


日比野克彦を保存する

会期:2020年11月2日(月)〜11月15日(日)
会場:東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8)
公式サイト:https://hibino-hozon.geidai.ac.jp/
※サイトではインタビュー映像など豊富なコンテンツを紹介している。