キュレーターズノート

東京から金沢へ──国立工芸館、移転開館からの3年間

岩井美恵子(国立工芸館)

2023年07月01日号

東京の中心地・北の丸公園から、石川県金沢市へ。国立工芸館が2020年10月に移転開館してから現在に至るまでのおよそ3年間は、混迷をきわめるコロナ禍もあいまって、逆境の連続だっただろう。工芸がごく身近な存在であり、同時に一大観光地の顔ももつ金沢という土地に移ったことで、変化したものは何だろうか。同館の工芸課長である岩井美恵子氏に、移転開館以来の奮闘の過程を振り返っていただいた。(artscape編集部)

「一極集中」から遠く離れて

石川県立美術館、金沢21世紀美術館など多くの美術館を擁する石川県金沢市の文化ゾーンの一角、本多の森公園に位置する国立工芸館(以下「工芸館」)は、石川県と金沢市の誘致により2020年10月に移転開館した。この一帯は兼六園周辺文化の森と呼ばれ、美術館のほか兼六園や金沢城などの文化遺産も多数あり、まさに「工芸のまち」のど真ん中といえる。

この移転は、地方創生施策の一環として、東京一極集中を是正する観点から政府機関が地方への移転を検討する誘致提案のなかに当館が含まれていたことから実現したもので、地元自治体が整備し準備した明治時代に建てられた旧陸軍第九師団司令部庁舎と同じく旧陸軍金沢偕行社の2棟を使用している。窓枠などの外観は改修に伴う調査で判明した建設当時の色がそれぞれに再現され、往時の姿を知ることができる可愛らしい色使いが建築ファンのみならず観光客の目を惹き、天気の良い週末は多くの人がその空間を楽しんでいる様子が見られる。


国立工芸館 外観[撮影:太田拓実]


工芸館は東京国立近代美術館工芸館として1977年に東京都千代田区北の丸公園に開館して以来、19世紀末から現代に至る日本の工芸を中心に、広く国内外の工芸・デザイン作品を収集・保管し、展覧会や教育普及事業などを通して、それぞれの素晴らしさを紹介してきた。その基本的な方針は石川・金沢でも変わりはない。しかし今後はこの方針に加え、国際的に是正が求められているジェンダーバランスや地域性などの多様性やナショナルコレクションにふさわしい同時代収集についてこれまで以上に配慮することが喫緊の課題として挙げられている。例えば展覧会では、これまでの企画展で主眼としてきた20世紀における工芸領域の多様な活動の回顧だけではなく、再評価を必要とする工芸家の回顧展をはじめ、まさに〝旬〟といえる今日的な表現活動をクローズアップする試みも見据えている。


工芸館がこんにちは──コロナ禍のなか開催された、三つの開館記念展

ここで移転後の展覧会事業についてご紹介したい。

まずは地元のみなさまに工芸館の活動を知っていただこうと、所蔵作品を用いた開館記念展を三期連続で開催した。ひとつ目は「工の芸術 : 素材・わざ・風土」展(2020年10月〜2021年1月)と題し、日本の近現代工芸作品を素材、技術、風土の視点から紹介するものだった。移転後初めての展覧会ということもあり、全国から多くの工芸ファンが来館、コロナ禍にもかかわらずちょっとしたにぎわいを見せた。

次に開催したのは、工芸は我々の身近にあるということを改めて紹介する展覧会である。「うちにこんなのあったら展 気になるデザイン×工芸コレクション」(2021年1〜4月)と題したそれは、「自分の家にあったらいいのに」と想像力と所有欲を刺激するような作品を展示したが、出品作にはデザイン作品も含まれていた。「国立工芸館」という館名から所蔵作品は工芸のみと理解されている方も多いだろうが、実はグラフィックやプロダクトといったデザイン作品も所蔵している。工芸とデザインという本来区分の難しい作品を、自分ごととして捉えられる内容で紹介したことで、若い人たちを中心に好印象だった。

そして移転開館記念展最後は「近代工芸と茶の湯のうつわ ─四季のしつらい─」(2021年4〜7月)と題し、茶事で用いる道具としての作品を紹介した。茶道具といっても明治以降のいわゆる近代的作家意識を持った工芸家たちが制作したものなので、個性豊かな作風が並ぶ。日本工芸が独自の発展を遂げた理由のひとつである茶道という特殊な文化および文脈を改めて紹介することは、とりわけ茶道の盛んな金沢という土地ではより重要かつ必要なことであった。

開館記念展はいずれもコロナ禍における開催であったため、在館人数をコントロールしイベントを制限するなど運営に困難をきわめた。何とか活動を始めてみたものの、観光都市であるのに観光客がいない金沢の街の風景は、移転したばかりの私たちの不安をあおるのに十分だった。


「近代工芸と茶の湯のうつわ」展示風景



あらゆる逆境をバネに

それでも活動は続けていく。次は子ども向けの展覧会の移転後初開催である。昨今、美術館の教育普及活動の重要性が叫ばれて久しいが、工芸館は先駆けて20年以上前から力を入れてきた。そのお披露目の機会となるはずであったが「まん延防止等重点措置」の発出により、わずか12日間で閉幕を迎えた。しかし転んでもただでは起きないのが我々の強みである。そもそも移転自体が突如決まり、じっくり準備する時間もなかったので、この思いがけない休館が私たちにとっては束の間の調査の時間となり、金沢が想像以上に観光に依存していることや、地元の美術業界のつながりなどを知ることができた。

そして秋には開館1周年記念展となる「《十二の鷹》と明治の工芸─万博出品時代から今日まで 変わりゆく姿」(2021年10月〜12月)を、冬にはデザイン作品を中心に紹介する「めぐるアール・ヌーヴォー展 モードのなかの日本工芸とデザイン」(2021年12月〜2022年3月)を開催した。秋の観光シーズンは多くの来館者が訪れるが雪に悩まされる冬期は観光客が減るのに比例して入館者の数もグッと減った。

そして夏を迎え、子ども向け展覧会のリベンジの機会を迎えた(「たんけん! こども工芸館 ジャングル⇔パラダイス」/2021年7〜9月)。前年夏の展覧会はとても短い会期ながら、石川の来館者は工芸作品へのアプローチが違うということが収穫できた。北の丸公園時代には工芸「作品」を「美術館」で鑑賞する人が多かったが、工芸が身近すぎるこの地では「工芸」作品が展示されていると感じる人が多いようなのである。そこで普段使いの工芸品と美術館に展示されている工芸作品の違いに気づけるようじっくり鑑賞してもらおうと、作品に潜む丸や三角、四角、バツといった単純形態を探し出そうと促したのだ。これが大当たりで、1万人を超える親子連れに楽しんでいただけた。


「たんけん! こども工芸館 ジャングル⇔パラダイス」展示風景


3年目の秋に開催したのは「ジャンルレス工芸展」(2022年9月〜2022年12月)。昨今のジャンル横断的な作品を紹介しつつ鑑賞視点の変更を促す内容で、若者を中心とした新たな層の開拓に成功した展覧会であった。冬に開催したのは「工芸館と旅する世界展─外国の工芸とデザインを中心に」(2022年12月〜2023年2月)。あまり知られていない当館所蔵の海外作品を紹介する展覧会である。コロナ禍で海外旅行もままならなかった3年間、工芸館の所蔵作品で海外を旅した気分になってもらおうという新しい取り組みでもあった。旅行ガイドブックのようなリーフレットも作成し、空港の通関を思い起こさせるようなスタンプを押印するなど遊び心にあふれた展覧会であった。


「ジャンルレス工芸展」展示風景[撮影:野村知也]


「工芸館と旅する世界展─外国の工芸とデザインを中心に」の会場で配布したリーフレット


近年は、工芸や美術という領域の枠では捉えきれない新たな作品世界が築かれ拡大しつつあるので、一瞬の変化にも遅れをとらないために、つねに新しい動向に注目し、その魅力を展覧会というかたちでしっかりと伝えていこうと思う。石川・金沢という地は工芸文化に理解が深いうえ、文化観光を目的とした観光客も多いため、多くの期待を背負いながら前向きに活動できている。我々もアートライブラリやミュージアムショップを充実させ、展示だけでなく資料調査やグッズ購入でも利用いただけるよう設備を整えた。これからも工芸の奥深さを伝えつつ、ふらっと立ち寄って楽しんでいただける美術館でありたい。


館内のアートライブラリ[撮影:太田拓実]



観光地だからこその広報戦略/工芸王国・石川に根を張る

前述したが、私たちが想定していなかったことのひとつに来館者層の変化がある。北の丸公園時代には工芸や美術ファンを中心に、日本の文化に関心の高い方々にご来館いただいていたが、こちらではそこに観光客が加わったのだ。アンケートを見ても、来館者の居住地で石川県の次に多いのは北陸他県ではなく東京をはじめとした関東地方であった(次に多いのは関西圏)。移転当初は地元の理解を深め認知度を上げるために、宣伝広報も金沢、石川、北陸を中心に行なっていたが、ターゲット層が見込み違いなのであれば広報戦略も変えなければならない。そう考えていた同じ頃、東京在住の工芸館ファンからこんなことを言われた。「簡単に足を運べなくなってしまったから工芸館の移転はとても悲しい。でも移転してしまったことは仕方がないので旅行を兼ねて金沢の工芸館に行きたいと思うが、何の展覧会を開催しているのか知ろうとしても以前のように情報が入らない」というものである。これらを受けて、今春以降、市内を中心に出稿していた宣伝広告のおよそ半分を東京に切り替えることにした。

石川県内では人間国宝から気鋭の若手まで、全国レベルで活躍する工芸作家が多く活動している。それはこの地で伝統的に工芸品が制作されてきたため、環境が整っていることが大きな理由のひとつであろう。また金沢美術工芸大学や金沢卯辰山工芸工房、石川県立九谷焼技術研修所、石川県立輪島漆芸技術研修所、石川県挽物轆轤技術研修所など、工芸の技術や表現を学べる教育機関が数多く存在するので、他県出身を含めた希望者が集まりやすく、彼らの存在が新たな息吹を吹き込み、工芸に関するあらゆる環境の停滞を阻んでいると思われる。工芸館の移転はそのような土地に工芸作家たちの勉強の場をまたひとつ増やすことになったといえよう。物理的に近くなった国立工芸館で一級の工芸作品を目にしたり専門家の講演会を聞いたりする機会を得た石川の工芸作家の制作の大きな助けとなることは間違いない。そして工芸王国・石川がますます繁栄していくことになるのだろう。



国立工芸館

所在地:石川県金沢市出羽町3-2
公式サイト:https://www.momat.go.jp/craft-museum

  • 東京から金沢へ──国立工芸館、移転開館からの3年間