キュレーターズノート
‘文化’資源としての〈炭鉱〉展
山口洋三(福岡市美術館)
2010年02月15日号
対象美術館
──近代絵画は虚像の表現論にいろどられながら、かろうじて自立の道を開いてきた。しかし近年における絵画状況は、ますます業界化し、観念化し、作為だらけの八百長の舞台ばかりに終始して、人間や社会の隠された構造と正面から切り結ぶことに背を向けてしまっている。「虚像」の表現論は今や想像自体を虚像にしてしまいつつある。彼の画業の持つ意義は、今日の絵画が抱きしめてきた「虚像」の最も軟弱な部分に対して肉迫しているのである。(菊畑茂久馬「自棲の秘術」)
〈炭鉱〉という強力なテーマのもと、美術、写真、映像、デザインなど多領域の作品を掘り起こし、網羅した「‘文化’資源としての〈炭鉱〉展」(目黒区美術館)は、その作品数の多さとジャンルの充実で鑑賞者を圧倒する。日本から姿を消しつつある炭鉱において、または炭鉱について、これほど多くの作品が生み出されていたという事実には驚愕させられる。技術的にも造形的にも洗練されているとは言いにくい作品ばかりであるのに、感慨がこみ上げるのはなぜか。企画の勝利である。時流がどうであれ、追究しなければならないテーマはある。このタイミングを逃せば、貴重な証言や物証を抑えられないこともありうる。展示もさることながら、図録も圧巻で、特にジャスティン・ジェスティの長大な論文、正木基の作家への膨大なインタビューは、頁からはみ出しそうなボリュームだ。学芸員が企画する展覧会はこうでなければならない、と説教されたような気分になった。拙文ながら筆者も九州派とサークル村に関するエッセイを掲載させていただいた。自分自身があまり調査の時間が取れず、やや消化不良の内容となってしまったことを反省しつつ、本展にかかわることのできたことを誇りとしたい。
ところで、本文冒頭の引用は、本展の図録内191頁に引用された、菊畑茂久馬の文章の一節である。文中の「彼」とは、福岡県田川の元炭鉱労働者にして画家、山本作兵衛のこと。作兵衛の作品を、美学校の授業において菊畑が学生に模写をさせた200号大の作品について触れた箇所において、本展企画者である正木基が引用した一文である。菊畑が、1970年代当時の美術状況に対して、作兵衛の炭鉱記録画を対置させ、彼の状況への違和感を表明した内容であるが、この言葉は2010年代の現代にもそのまま当てはまるのではと私には思えた。菊畑の言葉を借りて、正木が本展を通じて現在の美術状況の批判をしているのだ。土門拳や奈良原一高、野見山暁治、そして本展第二部を構成する川俣正など、写真や現代美術の分野では知られた存在の作家も出品するが、大部分はあまりポピュラーとは言えない、言い換えれば美術史の「メインストリーム」ではほとんど無名に近い作家ばかりだ。展示の始めに置かれた山本作兵衞の作品が東京においてまとまった数で展示されるのは今回が初めてなのではないだろうか。東京の人は、彼の作品を初めて見てどう感じただろうか。私自身は、田川市美術館などで何度か見たことはあるが、その記録の正確さ、書き込まれた文字量の多さと緻密さそして、作品数の多さに唖然としたもので、その印象は今回も変わらない。そのように人間をつき動かすものはなんなのか。この問いかけに現代の美術は答えることができるか。
作兵衛は、勤務していた炭鉱が閉山となって職を失った後、炭鉱の事務所で警備員として働いていた。その仕事の合間、過去の記憶を頼りに炭鉱の絵を描きだした。その時、すでに彼は60歳後半にさしかかっていた。記憶に頼るといっても、彼は炭鉱夫として50年も働いているので、記憶は50年分である。日記のように同時的に描かれたものではないのに、あたかも2,3日前のことを描いたかのように、作品には臨場感が漂う。驚くべきことに、そこに脚色やフィクションは一切なく、文章も絵も正確なのだという。そのことが筑豊炭鉱の往時を知る貴重な記録画として意義を彼の作品に与えている。
菊畑茂久馬は、1960年代末に作兵衛とその作品に出会ったことがきっかけのひとつとなって、現代美術のシーンから距離を置くこととなったことはよく知られる。そしていくつもの作兵衛論を著して、当時の美術状況への批判も込めて彼の作品に美術的な価値を与えた。その視点は、上述のような記憶と記録の正確さのみに注目しているのではなく、炭鉱の出来事がすべて終わったあとに、作兵衛の内面に立ち現われたイメージと、これを描き表わす画家の腕(肉体)との相関関係に向けられたのである。
ところで、「かつて日本の近代化を支えた」という修飾句が、あたかも枕詞のように〈炭鉱〉にはついてまわるが、「日本」の近代化を支えた石炭の生産地は、九州と北海道、そして常磐(福島県)周辺に限定されている。それゆえ〈炭鉱〉に関係する作品の多くがその地域と強く結びついている。言い換えれば、東京という日本の中心で展示、鑑賞されたことがほとんどない。作品は東京とほとんど関係なく生産されたのである(池田龍雄の作品が数少ない例外か)。石炭の生産と消費の明らかに非対称な関係が、ここに表われている。先述の山本作兵衛の作品は福岡の美術愛好家や関係者にはよく知られた存在であるのに、東京でまとまった数の作品が展示されたことがない。一方で、千田梅二や上田博など、雑誌『サークル村』の表紙を飾るなどして印刷物では見知っていた九州の作品を、私は本展で初めて間近に鑑賞できた。福岡県ゆかりでありながら全然知らなかった写真家についてもここで知識を得た。つまり筑豊地域と福岡市の距離感もここにはあるのだ(ローカルといっても、炭鉱だけに奥が深い……)。北海道、常磐にちなんだ作家、作品となると、その距離すら測りがたい。それは私が彼らと彼らの作品を「知らない」からだ。土地に不案内だからだ。私は長崎生まれで、福岡に住んでいるから、軍艦島、筑豊、三池といわれればその位置が認識できる。どんな場所か想像できる。しかし夕張、空知、歌志内の位置と風景を想像するのは難しい。逆に、九州以外に住む人が、九州の作品を見るときにも同様の思いを抱くのではないだろうか。その土地の美術が、その土地の人間にしかわからないということ、これがいわゆる「ローカル」の意味だろう。「ローカル」はいつもこのように分断されている。しかし今回の〈炭鉱〉というテーマは、それぞれの「ローカル」に接点を与え、巨大なうねりをつくり上げて、「日本」という「ナショナル」を直撃するのである。
もうひとつ再認識したのが、記録作家、上野英信の存在の大きさである。自らも炭鉱で働き、「サークル村」の中心人物の1人として労働者の創造活動に助力し、『追われゆく坑夫たち』で炭坑労働者の過酷な状況を世に問うた。山本作兵衛を菊畑茂久馬につなげた人物である。上野に触発されて作品を制作した作家も多いことが本展からもわかる。文化の面から思想的に炭鉱労働者の問題を考え、そして実際に行動に移した作家である。〈炭鉱〉の問題が今日こうして「文化」の問題として取り上げることができるのも、上野の功績のひとつだろう。